犬猿の鎖 9

俺は裸のままのサクラギと共に、またあの町へと足を踏み入れた。水戸の言う五人目のメンバーを訪ね、山麓にあるという釣具店へ向かう。サクラギの手を引きながら足早に、せめて日が落ちる前に、すでに全身が拒絶するこの町を早く抜け出したくて地図にある住所まで突っ走る。
地図は寂れた観光地へと導いた。住所が指す閑散とした商店街は蛻の殻、本当に人がいるかも怪しいが、端から順に歩いていけばやがて目的地へ辿り着く。
【陵南★釣具店】
旧八百屋と旧呉服屋の間にあった小さな店舗のその扉を今、開ける。
「ははは、いらっしゃいっ」
この町に足を踏み入れてから俺は初めて人の声を聞いた。人当りの良い明るく太い男の声はこの町にそぐわない気安さで、少し安堵する俺がいた。そして、奥から顔を出した声の主はここの店主だろうか。長身に気さくな笑みを浮かべたオールアップの男だ。
するとそいつを見るなり、今サクラギが慌てて店から逃げ出してしまった。
「サ、サクラギッ!?」
急いで開けたドアの外にはすでにサクラギの姿はない。
「おい、サクラギどこだ! 戻れ!」
店を出ては散々名前を叫んでみるが、続く何件もの店を覗き込んでみるが、サクラギは一向に姿を現さない。
「嘘だろ? なぁ、サクラギ…………」
胸元にぽっかり穴が開く。最早生きがいとしていた存在がこれほど呆気なく消えてしまったことに酷く落胆して、ガクっと膝から崩れ落ちた。
「サクラギ…………」
柄にもなく泣いていたようだ。気付けば涙が零れ落ち、地面に黒く染み渡る。こんなことなら車で待たせておけばよかった。しかしそれでも逃げられたなら、原因はどこにあるのだろう。俺が嫌いだったのか……
昨日、突如訪れた出会いと恋、今朝には芽生えた愛情が一瞬にして打ち砕かれたこの悲しみ……この辛さを誰がわかってくれるだろう。
「お客さん、急にどうしたの?」
俺を追いかけてきたのだろう。太い声のオールアップの男が俺の後ろにいるわけだが、今はそれどころではない。この深い悲しみからまだまだ這い上がれそうにない今は男の気安さが癪に障る。
「とりあえず、店戻ろうか」
「……るせぇっ! 放っといてくれ!」
俺は男の差し出した手を振り払った。初対面の人間に無礼を働いたわけだが、男は怒るでもなく立ち去りもせず、年甲斐もなく不貞腐れる俺の心境に優しく触れてくれた。俺よりもずっと懐の深いヤツだった。
「お連れさん、いなくなっちゃったの?」
「ああそーだ」
「まあ、すぐに戻るかもしれないし、トイレかもしれないよ。だから、まだ慌てる時間じゃない」
「トイレ……ああそうか……」
確かに流川の家を出てからというもの、一度もトイレに行かせていない。俺はコンビニで済ませたが、サクラギは裸であることに人目を気にして我慢していたのかもしれない。そこは俺の責任だと省みると同時に、男の手を振り払った行為を今更大人げなく、情けなく思った。
「わ、悪かった。さっき……」
「気にしないでよ。それより、店で待ってるといいよ」
なんら下心のない、風のように爽やかな男の笑顔に少なからず救われた俺は、促されるまま男の店に戻っていった。
そんな男の店は釣具店というだけあって釣竿やルアーが棚に並ぶが、いずれも埃が被っている。まるで商店街の他の店舗と同様、長らく放置されいていたように窺えるが、店のエプロンをした男はあくまで客に商品を薦めてくる。
「今はマダイとアジで間違いないね。お客さん、初心者?」
「いや、俺は……」
「気が進まない? だったら今度俺と行こうか? 釣りの楽しさ教えてあげるよ」
「いや俺は…………」
別に釣り竿を買いに来たわけでも釣りに来たわけでもない。最後のメンバーハンティングに、最後のイケメンを求めここへやって来たのだ。
「……? っつーことは…………」
この男か? とその甘いマスクを見上げた傍から今微かに声が聞こえた。レジの奥の扉から、苦しそうに藻掻く人の声を…………
「――!? まさか、サクラギか?」
俺はレジに向かって駆け出すとオールアップの店主がそれを阻むべく、俺の腕を後ろから掴む。
「お客さん、急にどうしたの?」
悠長に尋ねてくるがその腕力には今にも握り潰されそうだ。
「だークソッ、離せっ!!」
とは言っても簡単に離してくれるわけないだろう。……薄々嫌な予感はしていた。確信を持って振り向けば、男の首に『1-SENDO』が記されている。1…………流川と同じだ。そして仙道の名も実は聞いたことがあった。
しかし今はサクラギだ。すぐそこでサクラギが捕らわれているかもしれないのだから、俺は男の不意を衝き、後ろ蹴りを股間めがけてかましてやった。
「ひッ――――――――!!!」
男が両手で股間を押さえ藻掻いている合間に俺は透かさずレジへと駆け込み、その奥の扉を開ける。
そして、絶句する――。
「ンー……、ンー……!」
まるで俺に訴えかけるように悶絶の声を上げる男らは皆、裸で首輪を嵌められていた。口にも轡を嵌められては言葉を発せず、何やら卑猥な玩具まで当てがわれ、閉じ込められた五人の若い男達。それぞれの首にはやはりあの記があった。
『2-KOSHINO』『2-UEKUSA』『3-KUWATA』『3-ISHII』『3-SASAOKA』
サクラギは、いなかった。それでも仙道は何か知っていると、振り返ればすぐ後ろにもう仙道がいる。
そしてうっかり身動きが取れなくなった俺の耳元に甘く囁いてきた。
「ねえ、俺の犬になってよ」
犬……つまりここに閉じ込められた男らと同じ扱いを受けろ言っているのだ。冗談じゃない、と振り切ろうとしたが、もう遅かった。仙道の腕が俺の体に纏わりついていた。
「な、オイ、離せよ!」
どうにか振り切ろうと身を捩った…………その時だった。

bad endhappy end


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