1DKの忘れ物 7

二月末、日曜日。外を行く人々はまだまだ防寒を忘れないが、それでも日差しのある日中はほのかに朝東風の漂う今日……正に引っ越し日和だった。
首にタオルを巻き、ジャージの袖を大きく捲った牧は今、アパートの階段から父親と共に駐車場へと降りてきたところ。二人で収納ボックスを抱え、それをトラックの荷台へ乗せるとまた狭い階段を上っていった。木暮もまたジャージ姿で、カラーボックスを持って階段を降りてはトラックの荷台へと運ぶ。テレビや扇風機、テーブル等を抱えせっせと往復していた。
「これも一種の筋トレだな」
言った牧は、木暮が重そうに運ぶレンジを奪うとそれを軽々と運んでいく。日々の成果はこんなところにも表れるらしい。
電気水道のライフラインが整うのは明日になるから、最低限の荷物を残して大きな荷物を先に運ぶ予定だ。それらを詰め込んだトラックに乗り込み、三人は先日決めたばかりの新しいアパートへと走らせていった。
こうして男三人の力作業はスムーズに進み、家具や荷物を全て移し終えたのはまだ日没前だった。明日から二人の新居となるアパートはこれまでよりやや古めかしいものの、それでも少し広くなる。
「ほう。いいとこ見つけたじゃないか」
「お陰様で」
父と木暮が話しながらアパートを出ると、これから旧アパートへと戻るそのトラックの運転席には息子が着席していた。目を剥いた木暮が透かさず駆け寄っていった。
「牧お前……運転する気か?」
「免許は卒業前に取っておいた。実は車も持ってる」
「たまに乗らないと忘れるからな」
そう父親が口を挟み、ベンチシートに三人で掛けてすぐアクセルが踏み込まれた。真っ直ぐに背筋を正し、緊張気味にハンドルを握る息子に、腕組みした父が暢気に話しかける。
「いいねぇ新しいアパートなんて」
「じゃあ親父も引っ越せばいいだろ。金はあんだろうから」
応えた牧は一切視線を曲げることをせず、身を乗り出して左右を確認、見晴らしのいい交差点を慎重に右折。
「金はまあ……ちゃんと貯めてるが、母さんが引っ越しなんてって言えばそれまでだからな。いつものことだよ」
すると始まった……と白けた目をした牧が返事をせずにいると、事実始まってしまったのだった。
「余計なことに金かけたくないんだと。結婚指輪もそうだった。一番安いもんでいいって、あればいいなんてさ、まったく、男の気持ちってのがまったくわかってないんだから、可愛くないよなぁ……」
これには二人の間に挟まれた木暮も愛想笑いを浮かべるまで。息子は息子でハンドルに溜息を落とすと、父が何食わぬ顔で話題を変えた。顔を合わせるのは正月以来の息子に対してだった。
「で、あの金は使ったのか?」
息子は途端に口籠り、「いや……」と言ったまま尚姿勢を正す。
「使ってないのか?」
「いやその……遠慮されたんだ。今日にでも返す」
「なんだそれ? 紳一お前、まさかフられたのか?」
息子への質問に、木暮までがばつが悪そうに肩を竦めている。
隣の牧も顔を紅潮させ、咳払いのあとで返事をした。
「そうじゃなくて、遠慮だ」
「遠慮だと? まったく……」
腕を組み直した父はこう言った。
「それじゃまるで母さんと同じじゃないか。そんな女に惚れるとは、お前はやっぱり俺の息子なんだなぁ」
それからも長々と続いた父の語りはトラックが停車するまで続き、自ら幕を下ろした。
「はい、それじゃお疲れ」
旧アパート前の路肩に二人が降りると、父は運転席へと移り、窓から顔を出しては息子に一言。
「金は返さなくていい。母さんには俺から言っとく」
そして木暮にも、窓から片手を伸ばして握手する。
「これからも紳一をよろしく頼むよ。女にうつつ抜かして帰ってこないようだったら、叱り飛ばしてやってくれ。他にも困ったことがあったら俺にいつでも言ってくれ」
二人が父に礼を言うと、窓から出した手を振りつつ、沈む夕陽に向かって走り去っていった。見送った二人も旧アパートに帰ろうと踵を返す。がその前に……
「夕飯、どうする?」
冷蔵庫も調理器具も食器も全て運んでしまった。だから弁当でいいかと、二人は駅方向に向かって歩き出した。外灯が明り出した街を、ファミレスを、弁当屋の前を通り過ぎ、着いたのはスーパーの惣菜コーナーだ。
揚げ物からサラダまでざっと見回したところで木暮が「ちょっと待ってて」と牧に。何やら従業員のいる店の奥を覗き込んでいる。
「なんなんだ……」
牧が呆然と突っ立っていると、間も無く奥から出て来たパートのおばさんがニコニコと声をかけてきた。
「あらお友達?」
「はい」
そして他の客の目を盗み、並んだ商品に値引きシールを貼り出したから牧は感心するばかりだ。
「すみません、いつも助かります」
恭しく頭を下げる木暮の笑顔に、パートのおばさんの顔がぱぁっと花咲いた。
「やるな木暮……」
牧の知らなかった木暮の一面が、こうして引っ越し前日に明かされたのだった。
そして、その帰り道のこと。弁当とペットボトルの入った袋を手に、すっかり夜に染まった街の歩道を行く二人。その背中に、憚らずも浴びせられたのは晩冬の風にも似た世間の声だった。
「何あれ、キモイ……」
二人が振り向いた先には女子高生が三人いて、ちらちらと視線を飛ばしつつ陰口を言っていた。首にタオルを巻いたジャージ姿の男二人が並んで歩いていたまでだが、二人の距離が近過ぎたか……いや、牧の手がすっかり木暮の腰に触れていた。狼狽えた牧は慌てて適度な距離を取った。
一方、いつも通りにこやかな木暮は何に動じるでもなく、伸ばした右手で離れたばかりの牧の手を取る。その掌をしっかりと握っては目線を下に外し、柔らかな恥じらいを浮かべ、何も言わず歩を進める。いつまでも引きずる寒気の中、明りだした小さな街灯がまるで春の暖かさを呼び起こすように、間も無く迎える春を知らせるように、二人の頬を灯していた。
牧は言った。
「どうせもう、引っ越すしな」
そして木暮の手を握り返すと、二人は後ろを顧みることなく気持ち足早に、朗らかな談笑と共にアパートへ帰っていった。これから最後の夜を迎える前に、今、今季最後の雪がはらはらと舞い出していた。
そしてそんな二人の後ろ姿を、今度は先の女性らとは別の眼差しで見つめる男の姿があった。街中の闇に潜む影は暫し二人の行く先を見つめ、部屋に入る瞬間まで見届けると密やかに歯噛み。頭を覆い出した雪を払うことなく、建物の影に留まっていた。
男が見つめる視線の先の一室は閉められたカーテンから明かりが漏れ、やがて二人分の影が淡く映る。それは座った一人の影の正面からもう一人の影が凭れかかるようにして、そのまま上体を伏せたようだ。
中には、日中は決して目にすることはない木暮がいた。
「な……! こ、木暮…………」
煌々と電気が照らすそのカーテンの中、物もなく殺風景な六畳の中央に布団が一組だけ。その上で今、二人の閨事は行われていたのだ。
木暮は正面の牧に跪くようにして牧のモノを口に含んでいる。困ったように眉根を寄せ、両手を添えた大きめのソレを口いっぱい含みながら懸命に頭を上下させる。牧がどうしたんだと尋ねる隙も与えないほど、積極的な唇が黙々と奥まで咥え込んでいた。
帰宅してから夕食を、風呂に歯磨きを済ませた後のことだった。先に布団の前に座っていた牧の手前で、突如木暮が行動に出たのだ。
「お、おい木暮……」
牧は暫く困惑していたが、その不器用さは却ってじわじわと情欲を煽り、思わぬ刺激を与えていたらしい。
「おい、もう、出るぞ……」
牧が言うと、それでも離れようとしない口の中いっぱいに放出された。忽ち苦々しく顔を歪ませた木暮は手で口元を押さえ、手渡されたティッシュにそれを吐き出した。
「だから無理するなと言っただろ……」
牧が零す傍から大きくえずき、台所に小走り口を濯ぐ。そして喉元に手を当てつつ戻った後も、牧が先の行為を咎める。
「まったく、慣れないことするからだ」
木暮も咳き込みつつ言い返した。
「お前が最近、変なことばかりするからだ」
「変なこと?」
「ああ。指輪くれたり金出そうとしたり」
「それが……変なのか?」
「ああそうだ。俺もその……何かしないと悪い気持ちになるだろ?」
「フッ……そうか」
鼻で笑った牧に、「なんだよ」と木暮が不機嫌を返すと立場は一変。やおら立ち上がった牧が隅に置かれた自らの鞄の前へ歩み寄り、ゴソゴソと何かを取り出してはこう告げる。
「じゃあ、俺もまた何かしないとな」
取り出した物を手に、電気を消すと木暮の手前に近寄ってくると、あっという間に木暮は布団に組み敷かれてしまった。早速スウェットを剥がされ、そして晒したその上半身に先程取り出したボトルの、掌に出された透明の液体が塗り付けられたのだ。
「牧お前、なんでそんな物取っておいたんだよ」
「なんでって、段ボールにでも入れといて親父に見つかったら気まずいだろ」
「そりゃ、ぁ…………」
肌の上をひんやりと滑る指先が胸の突起に軽く触れた。それだけで声を漏らし身震いするのはそう…………
「寒いんだけど」
「あ、スマン……」
まだまだ冷え込むこの時季、室内といえ裸体を晒し、そこに冷たい液体を塗られては素肌も粟立っていた。
「えっと……温めるべきだな」
言っては再び立ち上がろうとした牧を、木暮が止めた。
「別にいいよ」
「いやしかし、寒いだろ?」
「いいって。もう、春はすぐだろ」
木暮の手が牧の腕を掴み、引き寄せてはキスへ誘う。傾れ込むように重なろうとした牧の上体から衣服が脱ぎ去られ、先程の冷たさもじわじわと二人の体温に馴染む。牧が背中から布団を羽織ることで二人の間に暖を作り、そこから甘い熱が育まれた。
「ハッ……んぁっ、ハッ……」
蠢く布団の中からはニチャニチャと液体を弄ぶ音が絶えず響き、激しさを増すほどに木暮も悩ましく身悶える。カーテンを閉めても真っ暗にはならなかった夜が、そのカーテンすらない今夜は布団の僅かな隙間すら照らし出し、下から二人の表情も、その小刻みな呼吸までも白く淡く映し出す。
そしてとうとう、山になった布団が今大きく形を変えた。同時に喉が締まったような、「んグッ……」という窮屈な声。二人が重なったまま布団の動きが止んだ。
「木暮、痛くはないか?」
「ぁ、ああ……」
牧は木暮の眼鏡を外し、傍らに置いた。そして再び動き出せば、今度は今にも泣き出しそうな声が漏れる。牧が腰を沈める度に歯を食い縛り、時に首を左右に振りながらも更に足を押し広げられては、すでに木暮の目は虚ろだった。
牧が上体を重ね、木暮の耳元に囁く。
「どんな感じだ?」
「んっ……ぁ、と……」
呼吸も整わない中でとても返事をする余裕などない木暮だが、それで今日の牧は納得しない。
「ちゃんと言ってみろ。いいのか悪いのか」
「……と、ぁ、い……ぃい」
「どういう風にいいんだ?」
「はっ、ぁ……、え、ッと……ン……」
答えようとする合間も度々奥を突かれ、それでも答えようとして覚束ない声を上げる木暮は益々困苦。もう……と今にも不貞腐れそうだが、その腰を牧が突然抱え上げるようにして、一気にせり上げた。
「あぁっ!!」
急な体位の変換で丁度前立腺の裏側を刺激され、飛び出した声は酷く枯れる。同じ場所をゆっくりと攻めればすっかり全身が上気し、寒さも忘れたのか、布団の外へ大きく腕を放り出すほどだ。
牧が今一度、木暮の顔を覗き込んだ。
「で、どうなんだ?」
身動きが止み、衣擦れの音すら消えた静寂の中。木暮は呼吸も視線も覚束ないながら確かにこう答えた。
「き……もい……」
「キモイ?」
「ぁ……いや……」
木暮は目を固く瞑り、今にも消え入りそうな極々小さな声で言った。
「気持ちぃ……」
牧の口許が緩むと同時に、布団の中はまた激しく乱れた。




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