1DKの忘れ物 3


夜の木暮は基本的に受け身。無知と感度が良すぎる故の所謂マグロで、与えられる言葉と愛撫にただ恍惚としている。常に半開きの口は身近な酸素を求めるあまり言葉を発せず、覚束ない眼差しが代わりに何かを訴えるが、肉欲に溺れる牧にそれはなかなか通じない。
「……き………………ンァッ」
苦悶をいっぱいに封じた顔で僅かな声を発し、持ち上げた片手を宙に留めるが慌ててシーツを固く握る。淡い月明かりが照らす盛り上がった布団の中で、今武骨な指が奥の入り口に触れ、同時にモノが口に含まれたのだ。
木暮は乱れた。衣服を上下に捲られたまま悶え狂うその身体は伸し掛かる四肢に押さえられ、大きく開かれた下半身の内で続く愛撫に涙を浮かべる。徐々に入り口を貫く指先、脚の間で上下する頭、時に淫らな音を漏らしつつ、吸い上げられる度に木暮の背中が仰け反る。
「ハァッ……ゃ、も………」
近い絶頂を催す声で牧はその身を離れた。そして自らのモノを取り出すと、まずは深く身を重ね、口付けを交わした。
「スマンが、今日は少し待ってくれ。一緒にイキたい」
そう言って、いざ貫こうと木暮の両脚を押し広げたその時だ。牧の肩に木暮の右手が掛かったことで事は一時中断。布団を背にした牧が見下ろした視線の先に、至る所を愛撫に濡らし、呼吸を整えながら切に訴える恋人の姿があった。
「牧、一つだけ……」
「……? どうした」
「一つだけ、訊いていいか?」
ああ……と頷く牧に支えられながら木暮はゆっくりと身を起こす。一呼吸を置いてから捲れ上がった衣服を整え、傍に置いた眼鏡をかけると、徐々に萎えるモノをしまう牧を前に急に照れ臭くなったのだろう。木暮ははにかんで視線を落とした。
「悪い……。いやぁ、今訊くことじゃないかもしれない……」
「なんだ、言ってみろ」
覗き込む顔が淡く浮かぶだけの視界の中、乱れたままの布団の上で程なく木暮が口を開いた。
「前に一度、俺が牧に恋人がいたか訊いて、濁されただろ? 別に引きずってるわけじゃないんだが……いや、少し気になってた。今更っちゃ今更だけど、急に思い出して……」
「ああ。それは……」
――それは二人がルームシェアを始めてすぐのこと。二人で出かけた公園で、陵南の池上が女性と二人で歩く姿を奇しくも見つけた時、木暮が何気なく牧に尋ねたのだ。牧は彼女がいたのか……日中の公園での大学生の会話は爽やかなまま流れたが、それが二年経とうとした今、木暮は特に嫉妬を見せるでもなく、再度問い質した。
「別に答えを知ったところで何がしたいわけじゃなくて、寧ろいないわけがないと思ってたし、それが面白くないわけでもなくて、なんだろな…………きっと、受け流されたことが少し引っかかってたんだ。だから、別に言い難いならそれで構わないよ」
牧は溜息と同時に項垂れた。僅かな沈黙の後で「少し長くなる……」とした前置きの後、木暮の背中に布団をかけた。そして、初めてその過去を明かしたのだ。

――それは牧が三年生に上がる前、当時の三年生が引退し、牧がキャプテンを継ぐ一月前に遡る。
牧の一つ下の学年には有望視される選手が二人いた。一人は言わずもがな、長身というだけで存在感すらなかった男がめきめきと上達する様は、正に海南の象徴として牧もその努力を称えた。後に海南キャプテンを継ぐスリーポイントシューターの実力は皆が知る通りだ。
問題はもう一人だった。一年の時から体格の良さを買われ、強豪海南の練習に揉まれると天性の攻撃力に磨きが掛かり、彼がフォワードの要として七番のユニフォームを継ぐことはほぼ決まりだった。牧もその実力を認めていたことから指導もより密になり、欠点である基礎を叩き込む。真面目な性分なのか、言われたことをいつまでもきっちり取り込む姿は牧にとっても嬉しい限りだった。
しかし問題が生じたのはある日の練習の最中。隅に放っておいたはずの牧のタオルが消えたことに始まる。
「おい神、俺のタオル知らないか?」
「タオル……ですか? 何色でしたっけ」
「グレーのリーボックだ。ここに置いたはずなんだが……まあいい。どこかに落としたんだろう」
その日はただの不注意として気にも留めなかった牧だが、翌日はスポーツドリンク、その翌日にはティーシャツが消え、いよいよ不審を抱いていた彼の許に、後日ある目撃情報が寄せられた。提供者は神だった。
「牧さん、実は昨日……」
前日、練習後の自主練を終えた神が一人更衣室のドアを開けたところ。いつもは誰もいないその時間、灯りを点ければロッカーの奥で狼狽える例の男がいた。そして、その手にリーボックのグレーのタオルがあったという。
神はうっかり発しそうになった声を抑え、見過ごしたふり。いつも通りその場をやり過ごし、翌日牧に打ち明けたのだった。
「あいつが、一体なぜ…………」
却って疑問が増えたものの、疑惑の犯人に目処が立ったところでまた翌日、牧と神の二人は休み時間に落ち合った。静かなバスケ部の更衣室で男のロッカーを確認。開けるなり、二人は言葉を失った。
「一体なぜこんなことを……」
小さな窃盗が解せない牧だが、隣の神は「まさか……」とどこか確信を匂わせる。
兎に角証拠を掴んだからにはあとは当の本人に質すまでだと、放課後の練習中、牧は本人を呼び出した。二人きりの更衣室でその事実を問い詰めると、男はすんなり白状した。
「牧さん俺、実は好きなんです。牧さんのこと……」
「な、なんだと……?」
暫しの動揺、瞠目に忙しい牧だが、男が本気だという証拠はその日掴んだばかりだ。
「いやしかし俺は……スマンがそういった趣味はない」
冗談でないと知ったからには鼻で一蹴する気もなく、牧なりの誠心誠意をもって断りの意を告げたつもり。……いや、男として当然の答えを言ったまでだが、その気があると誤解した彼には彼なりの理由があったようだ。
「でも牧さん、彼女いませんよね? チャンスはいくらでもあるのに、いくらここが男子校でも海じゃ皆が振り返るほどなのに、今まで一人もいないってことは……」
女がいないなら実は……という安易な推測は別として、牧に恋人のいない理由は正にそこにあった。いわばチャンスがいくらでもあるが故の無関心で、健全な異性への憧れも、いつでも手に入るとなればどういうわけか興味が薄れる。だったら今すぐじゃなくていい、別に後回しでいいとなる自身の性分を知りながら、当時はより優先すべきことを念頭に置いた。それに……
「例え女がいようがいまいが俺は男に興味はない。スマンが諦めてくれ」
これからもチームとしてやっていく仲間への突き放した返事。それだけ今度の件は牧にも堪えるものがあった。こうして二人きりの空気に閉じ込められた今も、初めて受けた男からの告白に鳥肌が湧き上がる。
しかし男の返事はノーだった。男はぎこちなく後退りながら酷く取り乱していた。
「まだ告白したくなかったのに、牧さん勝手に俺のロッカーを見ちゃうから……。いきなり告白するしかなくなった俺の立場はどうなんだ……こんな殺風景なとこで、なんのムードもない、こんな汗臭いとこでこんなこと言わせるなんて……。牧さんが優しくするから、俺ずっと騙されてたんだ。だから、仕方ないんですよ。諦めろなんて言われても、そう簡単に諦めるなんて出来ないんですよ」
言い捨てると、男は牧を置いて更衣室から走り去って行った。
それから三日間ほど男は練習に顔を出さず、久々に顔を出したかと思えば妙に馴れ馴れしく、何かと牧を慕い、纏わり付く。その仲睦まじさを良しとする監督がいては牧もとうとう頭を抱えてしまった。
やがて牧が四番、男が七番を継いだある日、五番六番を継いだ仲間に牧は事を打ち明けた。
初めて事情を知った高砂はただただ言葉に詰まっていたが、あれから様子を追っていた神は的確な対策を講じてくれた。
「一度断った結果が今の状況じゃ、きっと何を言っても無駄じゃないかな。断られたことを受け入れられないから、都合のいい解釈で自分の正当性を見出してるんです。だから一番いい方法は…………あまり勧められる方法じゃないけど、牧さん、女子と付き合うべきですよ」
「付き合う……?」
「男に興味ないって口で言うより、実際にそうだと見せつければもう言い逃れできないじゃないですか」
説得力のある見解に、正にその方向で話が進んでいたわけだが、高砂が一つ問題点を挙げた。
「牧の現状は災難に思うが、だがそれをやって、気不味くなったヤツの立場からすると部にも影響出るんじゃないか?」
「ああ、それもそうだな……」
「でもそれで牧さんが滅入っても影響はあるわけで、当然、今度の被害者は牧さんですから」
神のフォローで話は纏まった。その後、牧は海で出逢った女性に交際を迫り、進級するとすぐその噂は周知のものとなった。結果として、男の失恋に一役買った。そして高砂の懸念は当たり、フォワードとして有望視されたその男は二度とバスケ部に顔を出さなくなった。予選を前にしたそのタイミングは監督を困らせたが、一年に清田という新たな戦力が加わったことでバスケ部は難を逃れた。
……が、これで全てが終わりではなかった。不純な動機で始まった女性との交際がすんなり解消されるわけではなかったのだ。
元々興味があった異性を目の前に、何かと迫られた高三の夏、牧は初めて女性を抱いた。初めは手解きを受けながら、気付けば年上の身体に溺れ、交際を迫った経緯など一度も口にすることなく、備わった誠実さからそのまま添い遂げることすら夢に描いた。
デートはいつも海岸で、その後はホテルへ……相手は姉と同じ歳だった。やがて弾けるような一夏が過ぎれば、相手は遂に結婚の二文字を口にしてきた。彼女より年上の商社マンと近々式を挙げるという、最後の言葉は出逢った海で――――。

「今こうして思い出しても、ずっと夢を見ていた気分だ。現実に起きたこととは思えないほどあっさり終わったことなんだ」
つまり女性との交際はあった。という答えより、木暮は消えた七番のその後を尋ねた。
「神の話によれば、留年して転校したらしい」
そしてその男が以前、牧の大学を訪れていたとは、牧はこの場で明かさなかった。
木暮は言う。
「湘北も何かとゴタゴタあったけど、海南も順調ってわけではなかったんだな。もしそいつの窃盗がバレてなかったら……」
「何が言いたい?」
キッと目の色を変えた牧は、続く木暮の言葉に何を恐れたか。まるで口を塞ぐべく唇を奪い、そのままシーツに押し倒した。
「別に……」
微かに響いた声は激しいキスに揉み消され、その間にも再び木暮の身体は開かれ、その奥の中心を指先が狙う。少しばかり深刻な会話からまだ切り替えの出来ない木暮のソレは大きな掌に覆われ、幾度の往復と同時に少しずつキスは下りてゆく。
「ハッ……ぁ…………ッ」
首筋、胸元、腰……どこまでも下りてゆくキスに木暮のソレも熱を帯びる。ムクムクと膨れ上がる頃にはそこに牧の唇があり、濡れそぼった先端から透かさず咥え込まれていた。
「ンァッ、フぁ……ンッ……!」
落ち着かない両脚はしっかりと押さえ付けられ、間も無く奥の入り口にも舌先が這う。合間に指先も滑り込み、次第に二本に増えた指が内壁をグリグリと攻め、木暮の呼吸はすでに喘ぎ喘ぎで早くもぐったりしていた。
「木暮、これからだ」
そう言って、ゆっくりと上体を起こした牧が改めて木暮の両脚を開いた。片手で顔を覆う木暮を上から見下ろし、そして天井を仰ぐ入り口の前に自身の反り勃ったソレを押し当てた。
「なあ木暮、頼むから顔、見せてくれ……」
そっと伸ばした手で木暮の片腕をその顔から外し、火照った横顔を夜目に見下ろす。そこに切ない視線を落としつつ自身の背中に布団を被り、そのまま深く身を重ねた。
「ああぁッ……かハッ……」
最初の一突きから、木暮の発した声は喉を嗄らしたもの。覚束ない視線は薄暗い闇を彷徨い、その向こうにある堀の深い顔すら見えずにいる。揺れる布団の中から上気した吐息が漏れ、冷えた室内にムンとした熱気が散り始める。
そのまま何度も突き込み、下腹部の裏側をせり上げる度に木暮の渇いた声が漏れた。
「きぁ……ハッ、クッ………」
それは続く律動に遮られながら、木暮のソレも激しく扱かれ、やがて泣き言のようなうわ言に変わる。
「や……も……ダメ、だ、から…………」
「何がダメなんだ?」
「だから……も……無理、死ぬ…………」
今にも嗚咽が零れそうなほどに窮し、限界を超して死まで訴える始末。
わかった、と応じる牧の呼吸にも徐々に乱れが生じ、直後の忙しい律動と共に木暮のソレを握る右手も激しさを増した。二人は間も無く、同時に果てた。





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