乙女座のA型 6 |
その晩、牧はついに木暮を抱いた。薄闇に潜むくぐもった声は封じられた唇から、布団に寝そべるその上から全身をも封じられた木暮は、今身動きできない。下の方で藻掻いていた足もやがてぐったりとシーツに放られ、続く啄む口付けに再び手足を強張らせる。 「牧、俺……」 今、木暮のティーシャツが下から捲られようとしていた。恍惚とも不安とも取れる眼差しを横に投げ、枕元に置かれた眼鏡を遠く見つめる木暮。就寝時刻を回っても真っ暗にはならないここで、それは少し悲しくも見える。 牧はふと、手を止めた。 ――木暮くんを泣かせたら私、承知しないから―― 今日の最後の言葉が牧の頭を掠め、「やっぱりダメだ……」木暮の胸に頭を落とすと、その場でとうとう白状した。 「あの女に嗾けられて今日こそはと思ったが、やはり無理だ。木暮を抱けない」 「俺を、抱く……?」 「ああ。あの女の所為でつい気が逸ってしまったが、焦ってすることじゃない。木暮が理解してくれるその時まで、もう少し時間を置きたい」 ずっとその時を待ち侘びて今日までやってきた牧だが、体を結ぶことが全てではないことをこうしている間にも実感している。情けないといえばそれまでだが、木暮に逢って芽生えた純情が再び呼び起こされていた。 「あの女の所為って、どういうこと?」 木暮の問いかけに、上体を起こした牧は単刀直入に答えた。 「言われたんだ。俺が木暮と付き合っているというのは木暮を抱いてから言えとな」 それはまだ木暮の知らない彼女の姿で、突如優しい女性像を砕かれた木暮はただただ驚いていた。 「そんな……まさか、今日そんなこと話してきたのか?」 「ああ話した。文句あるか?」 「いや……あの人にはいずれ話そうとは思ってたから」 「俺たちの関係を姉にばらすとも言われた」 「ほ、ホントか……?」 木暮は怪訝に眉を顰ませ、牧の話に聞き入る。 「木暮は気付いてないようだが、あの女はお前が好きなんだ。だから何かと木暮にくっ付いてまわる」 「まさか、嘘だろ……?」 「少し大人になれ。あれだけ下心全開で甲斐甲斐しくされれば普通気付くだろ」 「ああ、そっか……いや、うん、そうだったのか……。なんか、残念だな……」 噛み締めるように納得しつつも落胆を隠せない木暮だが、今日明かされた真相はまだある。 「木暮にはそれがないからな。しかしそこがあの女に気に入られた理由でもある」 「……どういうこと?」 「下心だ。人間なんの下心もなく他人に近付いたりしない。俺も今、下心全開で木暮に迫ったつもりだ。あわよくば抱きたいと願った」 本音の下に明かした劣情は所詮、あの女性と変わらないもの。……いや、人間誰もが持っていると大きく出ればそれは木暮にもあるわけで、下心か……と呟く木暮はその意味を知ってか知らずか、軽々しく共感を口にした。 「それなら今、俺も持ってる」 すっかり豆鉄砲を食らった鳩を木暮が笑顔で誘っていた。 「よくわかんないけど、俺が牧とすればいいんだろ? そうすれば、あの人も俺たちのことをわかってくれるんだろ?」 「ああ…………いやしかし、どういうことかわかってるのか?」 「えっと……あんまり」 「つまりその……痛い思いをするかもしれない」 「どこが?」 「それはその……」 散々恥じらう素振りを見せていた木暮だが、「ちょっと泣くくらいなら構わない」と余裕を含んだ笑みを見せる彼は寧ろ乗り気なのだろうか……。 「おい、俺の気持ちを無下にする気か?」 そう言って、下からキスを仕掛けた木暮は大胆にも両腕を回し、牧を引き寄せていた。 ……いつもそうだった、と牧は思う。木暮を見くびって偉い目に遭った人間がどれだけいるだろうか。まるで母性を纏った木暮の優しさにこれまで何人が騙されただろう。ふと垣間見せる勇敢な男の部分に触れる度、牧は更に木暮に惹かれ、嘆きの霧を零す。 「俺は今、牧より大人なんだぞ」 牧はどこかくすぐったそうに、顔を覆った掌の内で小さくはにかんだ。 「知らんぞ……」 ニヤリと笑う牧は直ちに唇を奪い、再びその身を押し倒す。馬乗りになりティーシャツを脱がすと、あっという間に男の全てを露わにしてしまった。 「本当に構わないんだな?」 「ああ……」 木暮の返事にはまだ不安を含むものの、誘った本人は今裸で牧の下に寝そべっている。薄暗い中に白く浮かび上がる肌は触れると汗でしっとりと。牧が意思を窺うよう、首筋に唇を這わせればそれは瞬時に身を竦め、表情を歪ませ、軽く舌先で耳まで辿れば今度は明らかな声を漏らす。顔を染め身悶えしながら横を向いてしまう。 「木暮…………」 牧の中に湧き上がった愛しさが僅かな声も震わせていた。 きつくシーツに縋る肢体を抱き締めた腕に封じ、声にならない声に藻掻く唇を吸う。閉じることすらままならない口の中で、尖らせた舌先が天を仰ぎ、何やら助けを待っていたそこにも救いのキスを差し伸べる。 「ンッ、ングンゥゥ……」 掬われた舌先は牧に全てを委ねていた。しかし太い腕の中で程なくふためく手足は何かを訴えているらしく、「どうした?」ぱっと身を離してみればそれは鼻で息をすることを忘れたか、部屋中の酸素を欲し、ハァハァと呼吸を整えていた。 「このくらい、週に一度はしてただろ?」 「いや……まあ、そうなんだが…………今日はいつもと違うから、なんかさ……」 顔を真っ赤に染めながら吐息混じりに漏らす言い訳は、つまり牧の所為だと言っていた。 「なんていうか、お前の興奮が伝わってきて、俺まで変になりそうだ」 そう言って、木暮が目を落とした下半身へ牧も目を転じてみれば、威きり勃った牧のモノがすでに下の肉体へと迫っていた。 そこで牧の脳裏を過ったのは、まだこの部屋に越して間もなくのこと。秘密の口付けがバレてからの一悶着があったその翌日。眠れない、と言う木暮がどこまで許してくれるのかと計ったが、木暮の性器に触れた手は払い退けられてしまった。 「もう、覚悟はいいのか?」 まっすぐその目を見下ろしながら、牧はあの時と同様木暮の性器に触れる。今日は直にその熱に触れ、徐々に膨れ上がる経過をその掌に握った。木暮は何も言えない様子でひたすら固まっていた。 牧も一思いに全てを脱ぎ捨てると、汗で湿った下着がドサッと畳に放られる。無言で木暮の手を取ると、それを自らの下半身へ運び、そっと握らせた。 「木暮……?」 「うん……」 もう怖くないかという視線に、すっかり上気した木暮の声は遅れて返ってくる。先端を滑る震えた手は続くキスでするりと離れ、激しく絡み合うにつられ再び身体が密着。同時に重なり合った互いの性器を執拗に擦り合わせていた。 腰を揺らすことで幾度と押し当て突き摩り、木暮から漏れていた吐息が次第に声に変わっていった。 「フンゥ……ンンッ、ンッ…………」 激しさが増すほど汗と何かが入り混じり、別の水分を含む音が静かな室内に響き渡り、二人の興奮を高めていった。 「ハッ、ハァ……ァ……ァッ」 キスが苦しくなったのか、避けるように横を向いた木暮は硬く目を閉じ、善がり声を上げ激しく身を捩る。 「ぁ……ダメだ…………」 力なく屈した声を最後にビクビクと身体を震わせ、木暮は達してしまった。密着した二人の間に熱い精液が迸り、それは刺激を送り合った牧の自身をも濡らし、更なる熱を促していた。 「動くなよ」 いやそれどころではない、といった具合に放心する木暮の腹に、牧は手に取ったティッシュの束を滑らせる。続いて自らの腹も拭う牧の姿に「あ……ゴメン」と正気に戻った木暮の声。すっかり闇に慣れた目がその様子を窺えば、木暮はいつもの頬を掻く仕草で照れを見せていた。 牧はそこに唇を落とすと優しく髪を撫で、木暮の耳許に囁く。 「まだ終わりじゃないぞ」 え……? と素っ頓狂な反応をよそに、今一度身を起こした牧は、布団の端のティッシュ箱の隣にあったプラスチックの容器を取る。 キャップを外す音、そしてペチャペチャと水分を潰す音を不安気に覗き込もうとした木暮だが、裸眼の夜目には見えないらしく、眼鏡を取ろうとする。牧がその手を阻止しようとうっかり木暮の手に触れた途端、「な、なんなんだこれ……」木暮の手にも付着してしまったようだ。 「一応、俺だってそれなりに学んだつもりだ」 「学ぶって、何を?」 「決まってるだろ、お前を傷つけない方法だ」 どことなく気まずい話題を牧は咳払いで誤魔化す。書店で本を二重にすることで立ち読みに成功、瞬時に詰めたあらぬ知識を試す時を迎えた。木暮の腰の下にバスタオルを敷き、有無を言わせず木暮の下肢を持ち上げると、天井を仰ぐ窄まった入り口にローションを塗りつける。 「牧……その……つまり、そこに挿れる……んだよな?」 「ああ」 「そ……そっか」 膝裏を抱えた左手にも緊張が伝わったか、入り口の周辺を解すだけで指はその奥に進むことを躊躇う。 ――家族にも言えない関係が許されると思う?―― またしてもあの女の声が牧の頭を過った。電話でしか話したことのない木暮の両親に罪悪感を覚えた牧は、今更決意に揺らぐ自身を嘆くよう呟く。 「こんなことして、お前の親も悲しむだろうな」 しかし木暮にその意識はないのか、「親は別に……」急にそっぽを向き冷静な声音で返す。 血の繋がりがないからか。牧はそう思ったが、違ったようだ。 「俺たちのことなんだ、関係ないよ」 抱え込まれた脚の向こうで木暮が力強く言い放った。 それはいざという時こそ果敢に立ち向かう、普段は見えない芯の強さ、精神の太さを持った男の姿。牧は暫し見惚れていた。木暮の言うとおり、これは二人の問題で、例え家族であろうと他人が干渉すべきではないのだ。それでも背徳感を拭え切れない牧だが、今の木暮に迷う姿を見せるわけにはいかなかった。 木暮の日記が言っていたのだ。あの牧が、神奈川王者に君臨したあの牧が……と、溢れんばかりの羨望を全て牧に向けていたこと。 「木暮、俺が好きか?」 「ああ、好き……」 フッ、と口角を持ち上げた牧は、長らくあてがっていた指先をついにねじ込んだ。 「あッ、な、そんな……!」 不測の事態に慌てる木暮の、その入り口へ薬指も挿し込むと、熱く閉まった中を潤すよう幾度と抜き挿しが繰り返される。 木暮は強くシーツを握り歯噛みしたりと、最初はただただ戸惑っていたが、火照った呼吸を繰り返すことでどうにか堪えることを覚えたらしい。しかしシーツの上で狼狽える指先はまだ不安がっていたようで、牧は巧く身を乗せることで左手を空け、木暮の右手を握り締めた。 「牧…………」 木暮が鼻にかかった声で、朧げに恋人を見つめていた。 牧はそこにキスを一つ、二つ目のキスで指を引き抜き、熱く湿った入り口に自身の先端を当てがう。態勢を整え木暮の下肢を抱え込み、そして何も言わず、中への侵入を試みた。 「……ングッ、ンンーッ………!」 全身を強く力ませ、表情いっぱいに苦悶する姿を前に牧はグイグイと中を侵し、数秒で行き着くところまで行き着くとそこで自身の力も解く。 「木暮、痛くないか?」 そう尋ねるまで牧も精一杯だったらしい。その苦しみから早く解放させようと一思いに貫いたが、今、木暮の鼻の下を走る一筋の生々しい色に気付く。頬を伝い、程なく首筋に垂れ落ちたそれが鼻血だと知るのに数瞬を要した。 「おい、大丈夫か?」 牧が慌ててティッシュを押し当てる。一通り顔を拭い、次の一枚を引き抜く間も、自然と動いた身体が木暮に刺激を与えていた。 「ひィッ……っグ……」 覚束ない声で感覚を訴える木暮だが、それが良いか悪いかまでは牧に伝わらない。 「木暮、やはり痛むか?」 額から前髪を撫で上げながら問いかけると、木暮は泣きそうに顔を歪めつつ、ティッシュで鼻を押さえつつ、「やっぱり、こわい……」振り絞った静かな弱音を不安いっぱいにぶつけてきた。しかし「痛いか?」の問いには首を横に振る。……やせ我慢だ。未知の感覚に、初めての行為に、性欲を受け入れること全てに怯えている。 「こわがっていい。泣いて構わない。なんなら俺を殴ってくれ。……もう、後には引けないからな。優しくできない。スマンな」 無上の愛しさという傲慢さを返したあと、牧は夢中で木暮を抱いた。 大丈夫だと、左手に抱き締めた木暮の頭に呟きつつ幾度と腰を振る。欲望を受け入れるその中はぎゅうときつく締め付けながら、確かな熱で優しく包み律動を吸収する。 本による前戯より時間をかけた所為か、おかげで怪我をさせることはなかったようだ。そう考えたことで僅かながら余裕の芽生えた牧は、腰を打ち付けながら一人愛を噛み締めていた。犯したことの責任の重みをひしと胸の奥に抱き、昂ぶる欲情との間で今日、ここに愛を誓った。 「木暮…………」 きっと誰も聞いたことのない、牧の優しく無力な声。同時に達すると、引き抜いて吐き出した腹筋に僅かの反応もないと気付く。いや、声も視線も消えたことに漸く顔を見上げてみれば、木暮は失神していたのだ。 「おい、木暮……!」 きっと精神的にも肉体的にも許容の範囲を超えたのだろう。己の愛と欲に酔い痴れた結果、ぐったり押し黙る木暮に気付くことなく腰を振っていたなど、なんと自己中心的な行いか。我ながら辟易する牧だが、気を失ってまで受け入れてくれた木暮がまだまだ愛おしかった。 呼びかけても当然返事はなく、無防備に裸体を晒しては精液まで塗られているわけだが、見下ろしたその光景は牧の独占欲を存分に満たす。 立ち上がって思わず電気を点けた牧は、改めて見下ろした白肌に指を滑らせ、それを大きく抱き竦めると、全身に口付けを落とした。目を閉じたまま何も言わない木暮の、それでも確かに息づく胸を、汗に湿った素肌を唇で愛した。 ……いや、この特別な思いをただ刻みつけたかったのかもしれない。初めて抱いたこの特別な時間をどこかに残したかった。無数の赤い斑点をそこら中に刻むことで、自分のものにしたかった。 ……やはり、今日あの女性に焚き付けられた事実は否定できなかった牧だ。 ふと木暮の顔に目を転じると、それはしっかり意思を持った瞳でぼんやり天井を見つめていた。 「気づいたか……?」 ん……と牧を見下ろした木暮はまだ上の空といった様子だが、手探りで牧の片腕に触れると、徐々に正気を取り戻す。 「すまん。平気か? 気分はどうだ? 悪くないか?」 牧の精一杯の優しさが木暮の意識を迎えると、それは小さく笑った。 「いや……なんだか胸があったかいんだ」 はにかむ様子もなく、まるで心も裸にしたような清々しさを顔に浮かべた木暮が、腹への口付けを最後にした牧を見下ろしている。そして、それは子供のように強請ってきた。 「なぁ、口にも欲しいよ」 牧は透かさず唇を押し当てた。嫌というまで寝かすつもりもない、というほどの執拗な口付けを夜遅くまで。途中で喉が渇いたと言うなら、グラスに注いだ冷たい緑茶を二人で飲み干し、冷えた唇を再び吸い付き合った。 「なあ、もっと……」 着替えることも汗を拭うことも忘れたまま、どちらかが眠りに落ちるまで、まるで馬鹿の一つ覚えのように夢中でキスに溺れ落ちた、二人の初めての夜だった。 |
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