乙女座のA型 5

占いとは所詮占い。占う人の数ほど占いは存在し、そこに当たりも外れもないのかもしれない。占いを信じた人の行動で稀に人生が変わり、結果吉と出るか凶と出るかの結果論でしかない。仮に当たりが出たとしても、どこまでが占いのおかげだと言えるのだろう。棚から牡丹餅が降ってきたならそれは嬉しい偶然だが、すでにそこへ繋がる行動を本人が起こしていたのなら、それは必然でもあるはずだ。
行動なくして運命が開くことはまずないだろう。それこそ偶然、強運といえるが、見えない偶然を待つより、先に行動を起こすことで確かな必然を掴む方が人はそれだけ幸せになれる。その見えない一歩を指し示すことこそ占いの真義であり、そこに占いの真価が問われるのではないか。
昨日、乙女座A型の占いに間違いはなかった。が、春分点の移動による黄経のズレが見られるように、運命にも多少のズレが生じるようだ。
今日、部活を終えた牧が真っ直ぐに向かった先は昨日の女性のアパートだった。
「紳一くん、何いきなり……?」
ドアから顔を出すなり、友人の弟である牧一人の訪問に女性は暫し驚きを見せる。日没を焦らされた空が互いの表情をしっかりと照らせば、決意の据わった眼差しを前に彼女も目を窄ませた。いつもの落ち着いた姿勢で、静かな声音で問いかけた。
「用件は何?」
着替えのティーシャツに早くも汗染みを作る牧は、日射と部活で鎮まぬ熱気を全身に纏いつつ、毅然と伝えた。
「木暮から手を引いてくれ」
「ど、どういうこと……?」
「そのままだ」
冗談を交える隙もない態度に女性はやや狼狽えるが、「ああ、きっと若子ね」背後に姉の存在を顧みて納得する。柔らかな笑みを零すものの、その目に浮かぶ冷笑はまだ木暮の知らないものだった。
「紳一くんごめんなさい。頷くことはできないわ」
交渉不成立。早々のゴメンナサイに牧は鼻筋に皺を刻み、グッと眼を力ませて食い下がる。
「男なら他にもいるだろう」
つまり、なぜ木暮なのか。女性はその理由について時折影を落としつつ語った。
「そうね、確かに。もっとも年下なら誰もが優しいし、みんながみんな欲しい言葉をくれる。……でも結局、下心があるの。ちょっと誘えばあっさり乗って、急に彼氏面なんてされたら可愛げも何もあったもんじゃない。あの子もそう……黒縁なんかかけてたって結局、怯えてただけ、抵抗も何もないんだから……」
そう、一通り思い出を辿ってからきっぱりと言い切った。
「でも木暮くんは違う」
なに……? と睨めつけた牧は密かに拳を震わせるが、苛立ちを孕んだその態度からあまりに滲み出た嫉妬は、愛情は、憤懣は、とうとう彼女の瞳にも映ってしまったようだ。
「なにって、まさかとは思うけど、紳一くん………………」
「そうだ。付き合ってる」
あっさり開き直った牧はいっそ冷めていて、寧ろ大きくなったその態度に女性は言葉を失くした。愕然と、木暮との時間を一人手繰っては「だって……だって……」と否定を呟き、両手で顔を覆い、塞ぎ込む。
やがて、苦笑を噛み殺し両手を下ろす。頭の中で弾き出した答えへと導くよう、ほくそ笑む唇で牧への尋問を始めた。
「それって、木暮くんにも紳一くんに対する気持ちがちゃんとあってのこと?」
「勿論だ」
「それは木暮くんが優しいから……じゃなくて? 紳一くんの気持ちに優しさで応えてるんじゃなくて?」
牧は少しの間を置き、ああ、とだけ答えた。
「でもそんなこと、私がどんなにかまをかけようと木暮くんは何も言わなかった。きっと、本人は認めてないんじゃないの?」
「それは……照れがあるだけだ」
「へえ、随分な自信ね」
薄笑いを全面に浮かべながら女性はもう一つ、大事なことを問いかけた。
「……けどそれ、若子に言っていいの?」
「……………………」
「家族にも言えない関係が許されると思う? 木暮くんの家族だって、きっと悲しむに決まってるわ。でも私なら木暮くんを幸せに出来る。彼となら絶対、素敵な家庭を築けるもの」
微笑を浮かべまくし立てる女性に牧はすっかり口を閉ざす。
自分の家族だけではない、木暮の家族にも後ろめたいことをしている確かな事実を突き付けられ、言葉に詰まってしまった。
「だから、もし本当に二人が付き合っていようと私は諦めない」
「ふざけるな」
「ふざけてるのはどっち? いきなり木暮くんから手を引けなんて、それは木暮くんも望んでること?」
「それは…………」
昨夜、木暮はこの女性のことを姉のようだと言っていた。仮にも家庭教師において先輩である彼女をただ純粋に慕う、先輩後輩の仲までも嫉妬を理由に引き裂くものなら、木暮はどう思うだろうか…………。
「木暮くんを束縛するような真似したら、きっと嫌われるわよ」
「いや、それはない」
牧は透かさず否定した。そして次の質問には堂々と首肯して見せた。
「じゃあ何? それとももう、やっちゃったわけ? だからそんな自信があるの?」
「……ああそうだ。俺はすでに木暮を抱いた」
「ふふ、嘘ね。女にはわかるものよ。木暮くんはまだ童貞」
あっさり嘘を見抜いた彼女は小鼻を蠢かしつつ続ける。
「もし彼が童貞じゃないなら、私の態度にもっと敏感になるはず。これだけ親密に接してるのに彼ったら、何も疑わないんだもの。偶に緊張してくれるくらい……もうすっごく、可愛いの」
ポッと頬を染める彼女を見て、牧のこめかみにはピシッと太い青筋が立った。しかしそれでも何も言えないのは、今日彼女の言った全てがほぼ図星だったからだ。
周囲に言えないこの関係はいずれ家族を悲しませること。健全な二人の仲までは引き裂くことができないこと。そして、まだ肉体関係を持っていないこと。
彼女は言った。
「もし私が木暮くんから手を引くとしたら、それは木暮くんが童貞を捨てた時よ。私純情な男の子にしか興味ないの」
「…………わかった」
牧はそう呟くと不機嫌に踵を返す。
「精々嫌われないようにね」
苛立ちを煽る嫌味を背中に、もう一つ、まるで恋人気取りな恨み言を浴びる。
「木暮くんを泣かせたら私、承知しないから」
その返事とばかりにドアは力任せに閉められた。ガン、と鳴り響いた音がアパート全体を震わせ、それは薄暗い夕間暮れに少しずつ鳴りを潜めてゆく。燻る影を背負う背中を遠く見守り、やがてアパートへ帰宅した人々を平穏に迎え入れるのだ。
すっかり消沈した牧もまた、自らを迎え入れてくれるはずのアパートへと帰っていった。
「ただいま」
「おかえり。遅かったな、どこ行ってたんだ?」
いや……と牧が見上げた先にいつもの笑顔、いつものティーシャツ。
「木暮……!」
そう、履いていた靴を脱ぎ捨るなり、突如木暮の前に飛び込んだ牧は、その身体にしがみついた。わっ、とバランスを崩す木暮の首筋に抱き付いたまま離れない。肩で呼吸を整える。
熱く乱れたその吐息は木暮のうなじに降りかかり、筋骨隆々としたその身体も今は激しく息づいていた。
「どうした? なんかあったか?」
木暮はそっと肩に手を添え、優しく慰撫した。なぁ……と持ち上がった顔を見つめれば、それは酷く切ないもの。
「木暮、今日、体調はどうだ?」
「別に、なんてことないぞ」
「そうか……」
それだけ言って、すんなりと立ち去る牧を木暮は不思議そうに見つめた。木暮はまだ、「痛みを伴う体験を経て一つ大人になるでしょう」という今日の運勢を知らないのだ。





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