二十歳になったら 6

――十二月二十四日。
アパートに着いた牧が手ぶらでただいまを言うと、玄関に駆け寄ってきた同居人は今日も素手を濡らしていた。
「おかえり。寒かっただろ」
「ああ」
「風呂沸いてるぞ」
「ああ」
風呂を出ればテーブルにはすでに夕食が並び、戸の向こうには布団も敷かれていて、牧は特に何をするでもなく床に就くことが出来る。……それがいつもと同じ、日常のことだった。
「木暮、少し出ないか?」
「どこに? 湯冷めするぞ」
「平気だ」
丁度洗い物を終えた木暮がキュッと蛇口を締めると、拭ったばかりの荒れた手を牧が強引に掴み取る。そして木枯らし鳴る玄関のドアを開けたその途端…………
「お……!」
「いつの間に?」
爪先に靴を引っ掛けてすぐ、まるで吸い込まれるように二人は外に踊り出た。顔を上げ、同時に見上げた夜空には真っ白な雪がはらはらと舞い、見事な新月の下には遠くオリオン座が煌めいていた。
「そういや、初雪か?」
「だな」
一人でに閉まるドアを背後にぼんやり見入っていたところ、一片の六花が木暮の鼻先に舞い降りて、クシュっとくしゃみをする。
「だ、大丈夫か?」
「平気。上着着るの忘れたよ」
「だめだ戻ろう」
部屋に戻ると、風呂に入るよう促した牧は上着のない背中へもう一つ。
「また夏のように倒れられても困るからな」
笑顔で受け流しながら浴室へ消える木暮を見送け、牧は奥の寝室へ、隅の鞄から取り出したのは神から預かったあのノートだった。勿論その中身を知らない彼は、黙って中を開いてしまった。

”12月14日――
やっぱり牧はモテるんだな。老け顔を気にしてるけど、それは彫りが深いからだし、体は逞しいし、何より優しいし、俺から見たっていい男なんだからやっぱりそうなんだ。
それに比べて俺は、弁当なんか小さいこと気にして、なんだかモヤモヤして……これってヤキモチなのかな? 全部食べてくれたんだから気にすることないはずなのに、なんだかすごく情けない。全く大人になれてない気がする。
人知れず焦がれて一人で悩んで、本当にこのまま、なんだか女々しくなっていくようですごく不安だ。そしていつか、あっさり離れちゃったりするのかな……。このまま四年間共に過ごしたとして、その後どうなるんだろ……”

シャワーの音を壁の向こうに、最後の行を見つめた牧は、そこに痛々しい吐息を落とした。更に別のページを捲れば益々眉根を寄せ、考え込んでしまう。
牧に対しただならぬ憧れを抱いていたこと、バイトで悩んでいたこと、いつか花形と会っていた日のこと、姉の色白に驚いていたこと。手本のようなあの優しい字で書かれた思いは口より物を言っていた。先日の試合の日記もまた、決して顔には表れない健気な胸中が綴られていた。
「なあ木暮」
「ん?」
就寝前、並べて敷いた布団に胡座をかく牧の前に、歯磨きを終えた木暮も腰を下ろす。スウェットに身を包んだ二人を見下ろす蛍光灯と、その光をしっかりと閉ざすカーテン、隅のラックに押入れ、壁際のダンベルが物語るは真面目な男二人の生活で、常に整頓の行き届いた六畳の寝室にある。そこに今流れる改まった空気は低めの視線から、漸く開いた静かな口許は覇気がなく、少しだけ、落ち込んでいた。
「実は今日、木暮にその……何か、礼をしたいと考えてた」
「礼?」
「ああ。いつも色々とやってくれるからだ。だが木暮の気に入る物がさっぱりわからん。さっき外に出て考えようとしたが、それでまた風邪をひかれても困る」
「ははは、よせよ。牧にそんな律儀な真似されてもな」
そう何でもなく笑う木暮を見ても牧は表情を崩さず、ただただ思い詰める眼差しには木暮も違和感を察したか、上目遣いで顔色を窺った。続く急な告白にはそのまま固まっていた。
「あと数日で今年も終わるが、あれから今まで、俺は感謝の気持ちだけは忘れたことはない。もし木暮がいなかったら、一人で生活をしていたら、きっとスタメンに加わることも出来なかったはずだ」
「それは関係ないだろう」
「関係あるんだ。俺の体は誰の作る飯で出来てるか、つまり、そういうことだろ? だが、俺は木暮に何もしてない。駄目だとわかっていながら気付くと甘えてる。それがどうにも居た堪れない」
あれから一人溜め続けた、紳士な男の素直な気持ちだった。全てを吐き出した牧は気難しい顔を上げ、じっと相方を見つめていた。
当然、木暮には木暮の言い分がある。
「牧、俺は別に何かしてほしくてやってるわけじゃない。俺が好きでやってるんだ」
「しかしだな、それで妙な勘違いをされても俺が困る」
「勘違いって、なんだよ?」
木暮が尋ねても、堀の深いその顔は顰められたまま、そのままカーテンから漏れる月明かりにぼんやり目線を逸らしてしまう。そして、意味深長に呟く牧の言葉に今度は木暮が目を瞠った。
「このまま四年間共に過ごしたとして、その後どうなるか……」
「牧、それって……」
丸い眼鏡の奥から嘆きと焦燥が飛び出ていた。やっとのことで持ち主に返されたそれを、探していたあの日記帳を、受け取った木暮はすっと青褪めていった。
「先日、神から預かった」
「神から……? ああ、じゃああの時落としたのか。 ……それで、まさかこれ読んだのか?」
「あの日は、花形と会ってたんだな」
「……」
「今も会ってるのか?」
「……いや。あの日はつい話が弾んで、花形は恋人がいるって言うから、少し色気付いた話もしてみたくて、恋人ってどんな感じか知りたくて、それでつい……」
一切顔を上げず、力なく弁明する木暮に対し、日記に木暮の本音を知った牧は少し意地悪だった。
「そうか。木暮は恋人がいなかったのか」
厭味たっぷりに突き放し、「俺はただ……」と狼狽える木暮を冷ややかな目で見据える。むすっと腕組みニヤリと笑う。
「いつか俺に好きだと告白したのは誰だったか。当時の日記によれば木暮じゃないのか?」
「自惚れるなよ。だいたい、黙って人の日記見るなよ」
「悪かったな。じゃあその償いだ」
……と、不機嫌にそっぽを向く木暮の頬を摘み、強引に引き寄せ口付けた。急なキスに驚く木暮を抱き寄せ、その場に押し倒し頭を抱え更なる口付けで押さえ込んだ。
「わからないか木暮……?」
「何がだよ、これのどこが償いだ?」
激しいキスの合間を縫ってのやり取りは苦しげに、荒い呼吸と忙しい衣擦れに掻き消される。未だ日記の件で怒っているのか、上に伸し掛かる体重に今日はばたばたと足掻く木暮だが、償いは程なくそれを黙らせる。一旦離れた唇がゆっくりと首筋を這い、密着すべく近付いたその耳奥へ、力なく吹き込んだ。
「なあ、木暮は俺の恋人じゃないのか……?」
柄にもなく淋しそうな、心細い声音。その腕の中でぼんやりと目を細めた木暮は、何か言いたげに濡れた口を開けていた。
「俺は木暮が好きだ。愛おしい」
そう続けられても尚、赤くのぼせた顔で口をぱくぱくさせるだけの木暮だが、「俺でいいのか?」の声に漸く応じる。 目の前の男をじっと直視、「まあな」と苦く低い声で、あからさまに口を尖らせながら。
すると今度は牧が頬を染め、深く息を呑み込んだ。
――聖この夜。青白い月光がぼんやりと照らすは目の前の濡れた唇、潤んだ瞳。最早恋人たちのためにある性夜に牧は躊躇い、逃れるように息を吐いた。
彼は今日、愛しい恋人の体を貪る真似はしなかった。弱みがあればそこを攻めるという、勝ちに拘れば何の非もない真っ当な手段も、相手が木暮となれば反則が取られるようだ。とうとう身体を離れた牧は最後のキスもなく、黙って自らの布団に潜り込んだ。そこでもう一度、先の問答を繰り返した。
「本当に、いいのか?」
もう戻れないぞ、俺はお前が思ってるような男じゃない、それでもいいのかと、実に情けない台詞が横たわる帝王の口に続く。そして、間を置いた「ああ……」という力ない声にそっと目を閉じ、牧はそのまま眠りに落ちていった。
時間は十二時手前だった。いつもはとっくに熟睡にある時間だ。起き上がり眼鏡を外した木暮も電気を消し、お疲れ様、と隣の背中に、穏やかな微笑を目元に浮かべた。
「四年後も、きっと…………」
電気を消しても暗闇にはならない、この部屋に響く疲労の寝息と、夜目に見る横たわった背筋。きっと変わらぬ卒業後を見つめる瞳に、次に映り込んだのは寝返りを打った牧の顔だった。
「あ、悪い。起こしちゃったか?」
そう謝る木暮の腰に腕が回り、有無も言わさず引き寄せられた。寝るぞ、と隣の牧の布団へ、狭く温かいその中へと連れ込まれた。
「今日だけだ」
「ああ、狭いもんな」
「いや、違う」
「……?」
……違う。牧は今日も苦しんでいる。寒い室内で、同じ布団の中でこんなにも体温と体温が密着しては、今すぐにも湧き上がるのを牧はぐっと抑えこんでいる。今日は聖なる日だと念仏のように頭で唱えるが、そこに額を擦り付けてくる甘えん坊がいては、腕に絡みつく男がいてはもう、堪らなかった。
「少し寒かったんだよ。牧の身体あったかいからさ、いやあ助かるな」
無邪気な木暮の言葉にただ溜息。返す言葉もなく、牧の葛藤は深更に及ぶのだった。そして、これからもきっと続くのだろう。


――十二月二十四日。
アパートに着いた牧が手ぶらでただいまを言うと、玄関に駆け寄ってきた同居人は今日も素手を濡らしていた。
「おかえり。寒かっただろ」
「ああ」
「風呂沸いてるぞ」
「ああ」
風呂を出ればテーブルにはすでに夕食が並び、戸の向こうには布団も敷かれていて、牧は特に何をするでもなく床に就くことが出来る。……それがいつもと同じ、日常のことだった。
「木暮、少し出ないか?」
「どこに? 湯冷めするぞ」
「平気だ」
丁度洗い物を終えた木暮がキュッと蛇口を締めると、拭ったばかりの荒れた手を牧が強引に掴み取る。そして木枯らし鳴る玄関のドアを開けたその途端…………
「お……!」
「いつの間に?」
爪先に靴を引っ掛けてすぐ、まるで吸い込まれるように二人は外に踊り出た。顔を上げ、同時に見上げた夜空には真っ白な雪がはらはらと舞い、見事な新月の下には遠くオリオン座が煌めいていた。
「そういや、初雪か?」
「だな」
一人でに閉まるドアを背後にぼんやり見入っていたところ、一片の六花が木暮の鼻先に舞い降りて、クシュっとくしゃみをする。
「だ、大丈夫か?」
「平気。上着着るの忘れたよ」
「だめだ戻ろう」
部屋に戻ると、風呂に入るよう促した牧は上着のない背中へもう一つ。
「また夏のように倒れられても困るからな」
笑顔で受け流しながら浴室へ消える木暮を見送け、牧は奥の寝室へ、隅の鞄から取り出したのは神から預かったあのノートだった。勿論その中身を知らない彼は、黙って中を開いてしまった。

”12月14日――
やっぱり牧はモテるんだな。老け顔を気にしてるけど、それは彫りが深いからだし、体は逞しいし、何より優しいし、俺から見たっていい男なんだからやっぱりそうなんだ。
それに比べて俺は、弁当なんか小さいこと気にして、なんだかモヤモヤして……これってヤキモチなのかな? 全部食べてくれたんだから気にすることないはずなのに、なんだかすごく情けない。全く大人になれてない気がする。
人知れず焦がれて一人で悩んで、本当にこのまま、なんだか女々しくなっていくようですごく不安だ。そしていつか、あっさり離れちゃったりするのかな……。このまま四年間共に過ごしたとして、その後どうなるんだろ……”

シャワーの音を壁の向こうに、最後の行を見つめた牧は、そこに痛々しい吐息を落とした。更に別のページを捲れば益々眉根を寄せ、考え込んでしまう。
牧に対しただならぬ憧れを抱いていたこと、バイトで悩んでいたこと、いつか花形と会っていた日のこと、姉の色白に驚いていたこと。手本のようなあの優しい字で書かれた思いは口より物を言っていた。先日の試合の日記もまた、決して顔には表れない健気な胸中が綴られていた。
「なあ木暮」
「ん?」
就寝前、並べて敷いた布団に胡座をかく牧の前に、歯磨きを終えた木暮も腰を下ろす。スウェットに身を包んだ二人を見下ろす蛍光灯と、その光をしっかりと閉ざすカーテン、隅のラックに押入れ、壁際のダンベルが物語るは真面目な男二人の生活で、常に整頓の行き届いた六畳の寝室にある。そこに今流れる改まった空気は低めの視線から、漸く開いた静かな口許は覇気がなく、少しだけ、落ち込んでいた。
「実は今日、木暮にその……何か、礼をしたいと考えてた」
「礼?」
「ああ。いつも色々とやってくれるからだ。だが木暮の気に入る物がさっぱりわからん。さっき外に出て考えようとしたが、それでまた風邪をひかれても困る」
「ははは、よせよ。牧にそんな律儀な真似されてもな」
そう何でもなく笑う木暮を見ても牧は表情を崩さず、ただただ思い詰める眼差しには木暮も違和感を察したか、上目遣いで顔色を窺った。続く急な告白にはそのまま固まっていた。
「あと数日で今年も終わるが、あれから今まで、俺は感謝の気持ちだけは忘れたことはない。もし木暮がいなかったら、一人で生活をしていたら、きっとスタメンに加わることも出来なかったはずだ」
「それは関係ないだろう」
「関係あるんだ。俺の体は誰の作る飯で出来てるか、つまり、そういうことだろ? だが、俺は木暮に何もしてない。駄目だとわかっていながら気付くと甘えてる。それがどうにも居た堪れない」
あれから一人溜め続けた、紳士な男の素直な気持ちだった。全てを吐き出した牧は気難しい顔を上げ、じっと相方を見つめていた。
当然、木暮には木暮の言い分がある。
「牧、俺は別に何かしてほしくてやってるわけじゃない。俺が好きでやってるんだ」
「しかしだな、それで妙な勘違いをされても俺が困る」
「勘違いって、なんだよ?」
木暮が尋ねても、堀の深いその顔は顰められたまま、そのままカーテンから漏れる月明かりにぼんやり目線を逸らしてしまう。そして、意味深長に呟く牧の言葉に今度は木暮が目を瞠った。
「このまま四年間共に過ごしたとして、その後どうなるか……」
「牧、それって……」
丸い眼鏡の奥から嘆きと焦燥が飛び出ていた。やっとのことで持ち主に返されたそれを、探していたあの日記帳を、受け取った木暮はすっと青褪めていった。
「先日、神から預かった」
「神から……? ああ、じゃああの時落としたのか。 ……それで、まさかこれ読んだのか?」
「あの日は、花形と会ってたんだな」
「……」
「今も会ってるのか?」
「……いや。あの日はつい話が弾んで、花形は恋人がいるって言うから、少し色気付いた話もしてみたくて、恋人ってどんな感じか知りたくて、それでつい……」
一切顔を上げず、力なく弁明する木暮に対し、日記に木暮の本音を知った牧は少し意地悪だった。
「そうか。木暮は恋人がいなかったのか」
厭味たっぷりに突き放し、「俺はただ……」と狼狽える木暮を冷ややかな目で見据える。むすっと腕組みニヤリと笑う。
「いつか俺に好きだと告白したのは誰だったか。当時の日記によれば木暮じゃないのか?」
「自惚れるなよ。だいたい、黙って人の日記見るなよ」
「悪かったな。じゃあその償いだ」
……と、不機嫌にそっぽを向く木暮の頬を摘み、強引に引き寄せ口付けた。急なキスに驚く木暮を抱き寄せ、その場に押し倒し頭を抱え更なる口付けで押さえ込んだ。
「わからないか木暮……?」
「何がだよ、これのどこが償いだ?」
激しいキスの合間を縫ってのやり取りは苦しげに、荒い呼吸と忙しい衣擦れに掻き消される。未だ日記の件で怒っているのか、上に伸し掛かる体重に今日はばたばたと足掻く木暮だが、償いは程なくそれを黙らせる。一旦離れた唇がゆっくりと首筋を這い、密着すべく近付いたその耳奥へ、力なく吹き込んだ。
「なあ、木暮は俺の恋人じゃないのか……?」
柄にもなく淋しそうな、心細い声音。その腕の中でぼんやりと目を細めた木暮は、何か言いたげに濡れた口を開けていた。
「俺は木暮が好きだ。愛おしい」
そう続けられても尚、赤くのぼせた顔で口をぱくぱくさせるだけの木暮だが、「俺でいいのか?」の声に漸く応じる。 目の前の男をじっと直視、「まあな」と苦く低い声で、あからさまに口を尖らせながら。
すると今度は牧が頬を染め、深く息を呑み込んだ。
――聖この夜。青白い月光がぼんやりと照らすは目の前の濡れた唇、潤んだ瞳。最早恋人たちのためにある性夜に牧は躊躇い、逃れるように息を吐いた。
彼は今日、愛しい恋人の体を貪る真似はしなかった。弱みがあればそこを攻めるという、勝ちに拘れば何の非もない真っ当な手段も、相手が木暮となれば反則が取られるようだ。とうとう身体を離れた牧は最後のキスもなく、黙って自らの布団に潜り込んだ。そこでもう一度、先の問答を繰り返した。
「本当に、いいのか?」
もう戻れないぞ、俺はお前が思ってるような男じゃない、それでもいいのかと、実に情けない台詞が横たわる帝王の口に続く。そして、間を置いた「ああ……」という力ない声にそっと目を閉じ、牧はそのまま眠りに落ちていった。
時間は十二時手前だった。いつもはとっくに熟睡にある時間だ。起き上がり眼鏡を外した木暮も電気を消し、お疲れ様、と隣の背中に、穏やかな微笑を目元に浮かべた。
「四年後も、きっと…………」
電気を消しても暗闇にはならない、この部屋に響く疲労の寝息と、夜目に見る横たわった背筋。きっと変わらぬ卒業後を見つめる瞳に、次に映り込んだのは寝返りを打った牧の顔だった。
「あ、悪い。起こしちゃったか?」
そう謝る木暮の腰に腕が回り、有無も言わさず引き寄せられた。寝るぞ、と隣の牧の布団へ、狭く温かいその中へと連れ込まれた。
「今日だけだ」
「ああ、狭いもんな」
「いや、違う」
「……?」
……違う。牧は今日も苦しんでいる。寒い室内で、同じ布団の中でこんなにも体温と体温が密着しては、今すぐにも湧き上がるのを牧はぐっと抑えこんでいる。今日は聖なる日だと念仏のように頭で唱えるが、そこに額を擦り付けてくる甘えん坊がいては、腕に絡みつく男がいてはもう、堪らなかった。
「少し寒かったんだよ。牧の身体あったかいからさ、いやあ助かるな」
無邪気な木暮の言葉にただ溜息。返す言葉もなく、牧の葛藤は深更に及ぶのだった。そして、これからもきっと続くのだろう。





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