二十歳になったら 5 |
――それから二日後のこと。今、木暮の3Pシュートを体育館出入り口から眺めるのはそれを得意とする海南の神だ。見事リングをくぐったのを確認すると彼は笑顔で拍手を贈り、そこへ気付いた木暮が駆け寄ってきた。 「神、いたのか」 「見事でしたね」 「いやあ、神には敵わないよ」 言ってすぐ、木暮は先日の伝言を。 「それで……実は今日、牧が神を呼んでほしいって言ってるんだけど、時間あるかな?」 「牧……って、あの牧さんが?」 人影も薄れ始めた黄昏時。練習を早めに切り上げた木暮は、依然として腑に落ちない神を大学から連れ出した。 「じゃあ、行こうか」 「……と、どちらへ?」 「ああ実は俺、今牧とルームシェアしてるんだ」 やや俯きつつ恥じらいを忍ばせる木暮の隣に、ますます眉を顰めてはすっかり考え込む神がいる。 「牧さんが……ルームシェア……ですか……」 そのまま大学を出ては最寄り駅へ、お金はいいから、と木暮が手渡した切符と共に二人電車へ乗り込む。若干の混雑にある車両で、お互い吊り革を手に爽やかな談笑を交わす。 そんな二人は一度試合で顔を合わせただけだが、特に詰まることのない会話は互いに大人で、それでいて飾ることのない柔らかな人柄が織り成すものだろう。 「失礼ですけど、名前伺ってもいいですか?」 「ああ、言ってなかったな。木暮」 「すみません。先日湘北の知り合いに聞いたんですが、あだ名しか知らないって言われて」 「あだ名?」 「ええ、メガネくんって」 それを言うのはごく限られた人間しかおらず、木暮はつい笑みを零した。 「はは、それ誰に聞いたの?」 「洋平です。桜木の友達の」 水戸洋平……木暮が最後に見たのは夏、今年の決勝リーグだ。湘北が連続インターハイ出場を決めた後、水戸は客席で一人牧と同様、重い影を落としていた。勿論、当時はその意味を察せずにいた木暮だが…… 「知り合いか。なら、そういうことかな……」 改めて、あの外見にそぐわない優しさを知る木暮もまた、車窓を流れる淡い夕陽の優しい色に染まってゆく。 「洋平、夏休み怪我したんですよ」 「え? なんで?」 「弟の身代わりに遭っちゃったみたいで」 「弟? いたんだ」 それからアパートの二階へ上がり、ドアの前に立った頃にはすっかり日が落ちていた。木暮は神を中へ通すと、素早く明かりを点け洗濯物を仕舞い、カーテンを閉め時計を見やる。 「牧はあと一時間は帰らないから、今夕飯作っちゃうから、ゆっくりしててよ」 それから一時間後、待ち人は玄関の革靴で察したか、すぐにただいまとは言わなかった。が、ドアの音で気付いた木暮がすぐに立ち上がり、コートを手にそこへ駆け付けた。 「お疲れ。ご飯出来てるから。俺ちょっと買い物してくる」 「ああ。あまり遅くなるなよ」 どこか示し合わせたような二人のやり取りの向こうで、手付かずのシチューを前に俯く後輩が居た。徐々に近づく足音の中、彼はやおら立ち上がり、今は大学生であるその人の部屋で、程なく元先輩と対面する。再び静かに膝を折り、そして、深く深く頭を下げた。 「牧さん、すみませんでした……」 長身を綺麗に折り曲げた至極丁寧な土下座だった。低く畏まった声音は、額を密着させたカーペットから。 「神、やめろ」 対面に膝を着いた牧がその肩に、誰より力強い手を置いても浮かない顔。目線も下へと沈んだままだ。それは常勝海南キャプテンの名の下、あの夏からたった一人重い十字架を背負ってきた。 「神が悪いわけじゃない。俺にも責任がある」 「いえ、全て自分の力不足でした」 言っても聞き入れない、芯の強い可愛い後輩にはぐしゃっと髪を掻き乱してから、先輩は優しく諭した。 「俺もあの試合は見てた。確かに結果はショックだった。が、だからと言って誰に責任があるわけじゃない。俺も去年、波乗りしてる暇があったら少しでも後輩の指導に当たるべきだった。何より神の日々の努力は誰より俺が知ってるつもりだ」 「でも所詮、天才には敵わないのが努力じゃないですか。三ヶ月で急成長した人間が更に一年経てば、もう化け物ですよ……」 『待ちくたびれましたよ……』と一人ぼやいた時ともまた違う、やや卑屈気味な微苦笑を浮かべ、意外にも食い下がる後輩は何やら腹に溜め込みがちらしい。少しだけ神の本性が覗いたような……。しかしそれがまた、監督の一言をバネに伸びた男が現キャプテンであることを、元キャプテンはちゃんと知っていた。 「言っとくが、一昨年の十七年常勝、そして全国二位を勝ち取れたのはお前の努力と才能あっての話だ。神なくしてこの成績は成し得なかった。監督も二言目には努力と言ったが、それは努力が出来る人間にしか言わなかった。簡単に努力と言っても誰にも出来ることじゃないからな、それも一種の才能なんだ。その努力で得た才能を維持することもまた才能であり努力だ。それがわからないわけじゃないだろう?」 頼れる先輩の言葉に、神は少し目線を上げた。しかし、それでもまだ沈んだ瞳をしているのは、その胸に不安が残っているから。 「それより、木暮と同じ大学行くのか?」 するとどこか見透かされたように、はっと顔を上げた神とは夏も冬も、二年間共にボールを交わしてきた間柄。 「ええ。うちは親の後を継ぐようですから、語学を伸ばそうと」 「そうだったな。でもバスケはどうする?」 「それは、一応今日サークル見学してきたんですけど……」 「神には物足りないだろう?」 牧は透かさずそう言って、微妙に頷く後輩に救いの手を差し伸べた。 「そう思って聞き回ったんだが、一つ情報がある」 確信めいたその顔で口にしたその名前は…… 「翔陽の藤真を覚えているか?」 「……? ああ、はい」 「高砂が同じ学校なんだ。あいつも一応バスケ部には所属してるようだが、今も翔陽の監督をしているらしく滅多に顔を出さないらしい」 今も? と漸く見開いたその目を見て、牧も膝を崩した。 「あいつはなんとしてでも翔陽をインターハイに行かせたいらしい。去年ですっかり監督が板に付いたせいか、大学の監督のやり方があまり気に入らないと、部の方は疎かなようだ。まあその辺はあくまで高砂の情報だが。……そこで、今個人でチームを結成しようと何やら躍起になっている」 ……というこれらの情報を、牧は久々に神の名を聞いた先週から一人探り回っていた。 「どこまで本気かはわからないが、少なくともサークルよりマシだろう」 「ええ、きっと……」 「今は元翔陽メンバーが主だそうだ。藤真がほぼ強引に誘ったらしいが、最近花形も加わったとそう聞いた」 元翔陽メンバー。そう聞いた神の顔からは少しずつ影が薄れていった。 「週末、翔陽バスケ部の指導と称して好き勝手に練習してるそうだ」 「ということは、翔陽ですか?」 「ああ。だからあとは距離の問題だな。やはり通いは厳しいだろう?」 「そうですね。決まったら一応こっちに引っ越しの予定です。でも週末だけ帰れば……」 「そうだな。まあ毎日でもないなら無理な距離でもないな。……で、どうする?」 右の口角だけで妙に微笑む牧と、去年の確かな輝きを今その目に取り戻した神。 「とりあえず、大学決まってからですが」 「神なら受かるだろ?」 言って、牧は時計を確認。 「遅くなったな。駅まで送る」 空のシチュー皿を二枚残し、その駅まで二人向かう、木暮と来た道を戻る今はあちこちで街灯が明る。ふと立ち止まった神は手前の先輩を呼び止め、そしてある物を手渡した。 「牧さんこれ、たぶん木暮さんのなんで、返しておいてもらえますか?」 「ん? ああ」 そして目敏い後輩の眼差しがまた、去年のように先輩の内側を見透かしていた。 「気の所為かもしれませんが、牧さん去年より丸くなりましたね」 「そうか?」 「食事……の所為ですかね」 「フッ、おかげで湘北の秘密を知った」 「それなら俺も……」 やがて信号に引っかかったところ、神が零したとある男の話。 「それとあくまで噂ですが、例の七番だったあの……」 牧はすっかり頭を抱えてしまった。 それから駅にて、すっかり表情の晴れた後輩との、また暫くの別れを前に言葉を交わす。 「今日は悪かったな」 「いえ、こちらこそ。木暮さんにもお礼言っといてください。では」 仕事帰りの人でごった返す改札前。丁寧に背中を向けた後輩には最後にもう一つ、大事なことを訊いておく。 「そういや神、選抜は?」 |
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