二十歳になったら 4

――十二月二十日。
男二人のアパートに「こんばんは」と女性の声が舞い込んだのは、木暮が夕食の準備を始めた頃だった。玄関で出迎えた木暮の前には、マフラーを巻いた女性が二人並んで立っていた。
「木暮くんね。私紳一の姉。紳一はまだ帰ってないかしら?」
それは決して色黒ではない、弟に似て老け顔でもない、スーツを着こなした快活な女性の姿だった。
「あと三十分くらいで戻りますけど、どうぞ中で」
木暮がいつもの愛想で中へ招き入れると、ありがとう、と野菜の入ったビニール袋が手渡され、そして後ろに立つ連れの女性を紹介された。
「こっちは私の友達。この近くに住んでるから、ついでに連れてきちゃった」
女性物二人分のコートが壁のハンガーに掛けられ、通した奥のリビングは早速和やかな談笑に包まれた。
「紳一、木暮くんに迷惑ばかり掛けてないかしら」
「いえ、むしろ助かってます」
「そう? ならいいんだけど。うちの紳一ったら昔からバスケばっかりだから」
いつもは二人きりの窮屈なコタツで、三つのコーヒーカップを囲った三人は朗らかな夕時を過ごしていた。といっても、主に二人の対面に腰を下ろした木暮が質問責めにあう形だ。
「生活は大丈夫?」
「ええ。バイトもしてるんで」
「何のバイト?」
「家庭教師です」
すると姉がはっとして、隣の連れの肩を叩いた。
「実は彼女も家庭教師やってたのよ。もうベテランなんだから」
するとその連れが、淡いワンピースを着た女性が漸く口を開いた。
「木暮くんは、始めてどのくらいになるの?」
「大学入ってからなんで、半年以上かな?」
「じゃあもう慣れてきた頃ね」
「いえ、クレーム貰ったりもしたんで、あまり自信は……」
そう、人差し指で片頬を掻く木暮に先輩からアドバイスが送られた。
「クレームって、保護者から?」
「はい。成績が下がったって」
「木暮くんは、保護者とどう接してる?」
「どうって……」
「フフ、ちゃんと付き合い方があるのよ」
そこにただいま、と玄関を開けたのは牧だった。直後は姉の機転で外食に出向くこととなり、四人の男女は部屋を後に、薄暗い冬空の下へ繰り出していった。

黄昏に明る窓は黄色味を帯びた暖かい照明から、賑やかな店内の窓際のボックス席で、すでに空の食器を囲った四人はそれぞれ会話を弾ませていた。牧と姉は家庭の話を、連れと木暮は家庭教師の話が進んでいた。
バイトを始めてそれなりに経つ木暮だが、生徒によって苦手分野も違えば教え方も異なり、悩みは尽きることがなかった。そこにこうして先輩が現れたことは好都合、ベテランとされたことはあり、生徒に合った様々な教え方、問題の解き方が若い新米教師に説かれた。真顔で頷く木暮は途中でメモを取り出し、熱心に聞き入ってはペンを走らせるほどだ。
「口じゃなくて図解。暗記はリズム、手拍子付きね」
目で頷くレンズの奥に、凛と佇む真っ直ぐな視線。他愛もない会話で盛り上がる周囲の同年代をよそに、彼は黙々と知恵を積んだ。
「それで、木暮くんはどこの大学通ってるの?」
「H大です」
「あら本当に? 私の妹も今そこに通ってて、今一緒に住んでるの」
余談も挟みつつ続く会話はとても健全で、それは周囲の同年代も同様のことだ。
「木暮くんはそこでバスケして、バイトもしてるのね」
「ええ、まあ」
「恋人は?」
「いえ、いないです」
……と、木暮は隣の彼を覗いてから。すると連れは鞄から取り出した紙を気安く木暮に差し出した。快く受け取った木暮もまた、いつもの気さくな笑みを浮かべていた。
「コレ、うちの電話番号。他にバイトでわからないことがあったらいつでもかけてね」
「あ、なんだかすみません」
やがてレストランを出た四人は外へ、暗闇に染まる二つの背中を二人の女性が見送っていた。
「ちょっと、弟の友達には手ー出さないであげてよ?」
如何にも知った風な口振りは、まるで友達の女に感づいた姉の台詞だった。
「あはは、わかった?」
「あははじゃないよ。あんたって本当メガネ好きねぇ」
「メガネで年下ね」
「それはいいけど、前に聞いたようなことはしないであげてよね。弟の友達なんだから」
「ああ、あの大きい子ね。そういえばあの子もバスケやってたっけ。固まっちゃって可愛かったけど、少し怖がらせちゃったのよね」
街灯の下、純白のコートを着た女性は何やら顧みるように呟いていた。





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