大人になれよ 7

遅いから風呂に入ってしまえと、言われた木暮は素直に頷き、オバQを脱いだ。そしてすぐ入浴を済ませば、壁の時計はすでに十二時を指そうとしていた。いつもなら疾うに就寝にある時間だが、閉まる寝室からは小さな明かりが漏れている。その静かな取っ手を引き、木暮は手前にある自らの布団に腰を据えた。煌々と明る電気の下、だるそうに背中を屈め、寡黙に膝組む彼と向き合った。
「牧、ごめん。悪かった」
互いに視線を上げないまま、木暮は今日の愚行を詫びた。
牧は膝に頬杖を着き、俯く額を支えながら静かに口を開けた。
「……まあいい。ただ、何があったかは言ってくれ。これじゃとても寝付けない」
「あ、ああ……」
これでもかと眉根を寄せ、陰りへ背く彼の目は電気の眩しさに少し萎びていた。連絡もなしに遅く帰り、逃げ出しては泣いていて、多忙の彼からすればいい迷惑といった具合だ。
もちろん寝付けないと言う彼に、木暮は何があったかをきちんと明かした。
「何ていうか、よくないことが重なったんだ。少し外ぶらつけば切り替えられるって、そう思ったんだけど……」
「何があった?」
誤魔化しの通じないその声に、今日最初の不幸を打ち明けた。
「今日、バイトを一件断られたんだ。中間テストの成績が悪かったって。今日受けた確認のあと上の人に言われてさ。所謂クレーマーもいるって、そう言ってくれたけど、でもショックだったんだ」
口元は笑ったまま、木暮は視線だけを落としそう言った。
まるで努力が踏みにじられたようで、少し自信もついてきただけにそのショックは大きかった。勉強はもちろんのこと、生徒との信頼こそ信じていたから、それを一方的に断ち切られたことに納得がいかなかった。
「そうか……」
牧は神妙に頷いてから、少し視線を持ち上げる。
「じゃあ、あとはなんだ? 俺が怒ったからか?」
「ああ……」
木暮はそう呟いたあとで、顔を背け、クスッと笑った。
呆れてこちらを睨め付ける目が、夜はまた少し老けて見えるその顔が、すでに愛しかったのかもしれない。
「……いや、違う」
顔を上げ、木暮がにこやかに言うと、牧は益々眉間の皺を深くした。
「牧が優しくするからだ」
そうする牧も悪いよな……と、木暮は今更気付いてしまった。
「……? それが災難なのか?」
「ああ、とんだ災難だ。そりゃ泣きもするさ」
牧は府に落ちない顔で、しょぼむ目を一旦擦ってから再びこちらを凝視。まだ何も知らない目で、それは簡潔な答えを求めていた。
木暮はまず一呼吸し、やがて見つめ上げた先に意を結した。実に冴えない笑みを浮かべ、そして、遂に開き直った。
「……俺、牧が好きなんだ」
ハッ……!? と咄嗟に上がった驚きの顔へ、木暮は朗らかに続ける。
「おかしいのはわかってんだ。でも……ああ、変なんだ俺……」
胸を開けてしまえば、気持ちは簡単に零れ落ちた。
「でも間違いないんだ。残念なことにな」
言い切った木暮は徐々に俯き、とうとう言ってしまったと、無地のティーシャツに落胆の息を落とす。が、不思議と後悔はなかった。
……牧が好きだ。それを今告げたばかりだが、だからなんだと言えばよくわからず、良くも悪くもそこは彼に委ねたい。
ずっとここに居られたとしても、明日にもここを離れたとしても悔やむことはしない。木暮はたった今決めた。
「こ………………」
目を見開いたままの牧はすっかり眠気を削がれたようだ。やるせなく俯く木暮の、その肩にすっと掌が置かれた。
ふと見上げた木暮に静かに詰め寄る牧は、まるで奥の真相を射るような目で質した。
「それは…………本当か……?」
一息を置く語間は重かった。
鼻先も触れそうな間隔で、木暮はコクっと頷く替わりに小さく笑った。
すると、その口許には突然のキスが迫り、今度は木暮が目を剥く。早くも啄むキスに、熱い湿りを感じたところで漸く目を閉じ、あとはされるがままに唇を委ねる。まだ何もわからないのを言い訳に、今はその良さを教えてもらう。しかし良さ以上を知る途中にも頭は片手に押さえられ、巧みに忍び入る舌先には早くも全てを奪われていた。胸が竦むと同時にゾワゾワと鳥肌が立ち、木暮はふっと、顎を引く。キスしたての唇をじっと薄目に睨み、そしてうなじへと腕を回した。ただただ首を傾げる彼に、自ら唇を押し当てた。瞠目する彼の背中へ、そっと降ろした掌に今日の冷たさは感じなかった。
やがて応じる彼の唇に、きつめの抱擁に、木暮は「ンッ……」と鼻濁音が漏らし、あとは受け入れるキスに徹する。顔が熱い、胸が熱い、苦しいけど、不思議とそれを求めていた。これは至って健全な恋だと、木暮はそう錯覚した。
以前感じた恐怖は泡沫に、想いを告げた今は自然と受け入れられる。何も身構えないこの口付けが、先の誠実な彼への返事だった。

それからというもの、別に何が変わったわけではないが、忙しい生活に追われながらも心は穏やかだった。今までと同じように、学校にバイトに勤しみながら、バスケに費やす彼を思う毎日。一人彼を待ち侘びる時間も、疲れた背中を眺める時間も優しい気持ちでいられた。





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