大人になれよ 4

日曜の今日、今電車に揺られる木暮の手に教材はない。以前から休みを貰っていた今日は、若干の混雑にある休日の車内に牧と二人で座っていた。二本の乗り換えで県を跨ぎ、一駅を越す度に胸のざわつきを感じていた。
雨の続かない梅雨も明け、すでに六月を過ぎようとしていた今日…………決勝リーグ、最終日だった。
初夏に染まる快晴の下、彼等は残る一つの椅子を賭け、そして全国制覇を果たすべく闘うのだ。高校バスケット界は大いに盛り上がっていた。
そうして着いた体育館は、去年は敵として、キャプテンと副キャプテンとして闘った懐かしい場所だ。今年もここまで勝ち上がった海南と湘北――――どちらかが負けるという意味では複雑だが、後輩の熱意を応援する気持ちは同じだ。漸く確保した席に並び、コートに現れる去年の仲間達を待っていた。
やがて、先に登場したのは白の海南だった。今年は十八年連続の常勝を掲げる、長き伝統を死守する彼らにはやはり王者の風格が漂う。
去年見事それを繋いだ、隣の彼の見つめる目は、コートにいる後輩達とまるで変わらなかった。特に4番を継いだ神を見つめる目には徒ならぬ意思を感じた。
そして次ぐのは赤の湘北だ。客席には早くも黄色い歓声が湧き、それはメンバーに負けない程の本気を宿していた。一体どれほど増えたのか……RUKAWAな彼女たちはすでに観客席の一角を占めている。当の本人は相変わらずの無関心だが、今日もきっとやってくれると木暮は強く信じている。もちろん、湘北の皆が全力を尽くし、今年もその名を全国に轟かすことを今声にして伝える。
「いいか、絶対に気を抜くなよ」
ここは湘北ベンチではない。人に埋もる二階観客席だが、こればかりは条件反射に近いものがあった。しかし唯一気付いた安田がこちらを見上げ、あ……と口を開けてから、その表情を凛と引き締める。副キャプテンを継いだ彼は、今赤の5番を背中に見せた。
そうして出揃った二校スタメンが対面に整列。その中央で笛が鳴り、浮いたボールは何百人もの視線に燃やされた。隣の彼とは特に口を交わすこともなく、今だけは敵として応援に励んだ。

 

……牧は先に帰った。とても表彰式など見る気になれないと、沈む背中は確かにそう言っていた。一人静かに影を落とし、一年ぶりのここを去って行った。
木暮は何も言わずにその背中を見送った。湘北を応援していた自分とも、今は距離を置くべきだとして。そのショックはとても計り知れないが、今はただ、彼のするようにさせてやりたい。別々に帰るわけだが、寧ろそれがいいと思った。
表彰式が終わると、少しずつ人混みが解消されたのを見計らい、木暮は漸く席を立つ。祝福と少しの安心を胸に足を進めるが、ふと目をやった席の一つに、ひっそりと影を落とす暗い背中を見つけた。
皆が客席を降りる中、彼は完全に顔を伏せているが、セットされたその髪型には見覚えがある。
確か……水戸くん……?
桜木が洋平洋平言っていた彼のことは覚えていた。何より三井の件では自ら罪を買って出てくれたバスケ部の恩人だ。しかしその彼がなぜ……?
桜木を弟のように構っていた彼が湘北の勝利に影を落とす理由こそ知らないが、まるで一人を恋う背中には今日の牧が重なる。きっと自分には知らない何かがあるのだろうと、木暮は母校の祝福へ向かった。
そして、少し時間を潰してから帰ることにした。

その夜、夕飯は買っておいた、とテーブルの上の弁当を指した牧は、それだけ言って寝室にいってしまった。ショックは予想以上に大きかったらしく、木暮はその失意を察し、今は戸一枚を隔てた居間にいる。
きっと一緒に食事を囲ったところで不味いだけだろうと、彼なりに気を遣ってくれたのだろう。今日この日ばかりは、1DKのこの間取りに感謝していた。

それから、牧とは暫くの距離を置いた。決して気まずいわけではなく、あまり余計な話をしないだけ。……といっても、忙しい生活の中では余計な話も何もないのだ。
牧ももう、砕けた常勝は済し崩しに消化したのだろう。今は自らに課した練習に明け暮れ、一先ずのベンチ入り獲得に余念がない。入部して間もない彼は当然スタメンにないわけだが、それもすぐだろう。彼はバスケにおいての修験者だから。
天才はいないと謳われた海南は実に疑わしかったが、今同居する彼がそれを証明してくれる。いつか部屋で見かけたサーフボードは、今は時間がないからと封印しているらしい。ここから海が遠いのもあるが、彼はそれ以上にバスケを優先していた。肉体も然ることながら精神面もコントロールしている。彼はやはりベストだ。
きっとそんな彼だから、バスケも彼を手放さないのだろう。そこに入り込む余地もないのだと、木暮は今日も彼を思った。その帰りを一人待っていた。





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