さすがに唐突過ぎたか、木暮は「ングッ……」と口にしたばかりのハンバーグを喉に詰まらせ、拳で胸を叩いている。やがて息を吹き返し、水を飲み呼吸を整えていた。
つい思い付きで言ってしまった牧だが、勿論なんの企みもなく、端に合理的だから言ったまでだ。
「費用を全て折半すれば金銭的には問題ないだろ。一人暮らしより安くつく。……と言っても、まだあまり互いを知らないからな。俺は問題ないが、木暮は……厳しいか?」
共に暮らすとなれば当然人間性も重視すべきだが、牧はすでにその人柄を受け入れていた。木暮の何を知るわけではないが、和やかな笑顔とあの筆跡を見ればそこに何の不安もなかったのだ。
「俺は……」
小さく呟いたきり、木暮は視線を下げ口を噤んでしまった。 ……当然の反応だ。差しで話したのが先日の人間と突然ルームシェアなど、考えたこともないだろう。察した牧は言葉を付け加える。
「無理しなくていいぞ? ただの案に過ぎない。だがあまり時間がないから……そうだな。ダメならダメですぐに言ってくれ」
そう、時間はないのだ。アパートを探す、契約する、必需品を揃える、他住所の届け出等を入学までに済ませなければならない。
木暮はもう暫く悩んでから、小さく眉を顰めたままで答えを発した。
「牧……俺、この後親に電話してみる」
それは当たり前の順序を踏まえた尤もな回答だった。
「そうだな。俺もまずは親か……。ああ、それならうちに来るか? そこで電話使えばいい」
先程に続き、木暮が「え……?」と目を丸くする。
これまた唐突だったが、悩むことに飽きた牧は結果を急いでいた。
「駅からそれほど遠くない。他に用事あるか?」
「いや全然。少し驚いちゃって。じゃあ、悪いがお邪魔するよ」
木暮はすんなり受け入れてくれた。
あとは主に湘北バスケ部の話を聞かせてくれたが、ほぼメンバーの自慢に聞こえたのは確かだ。にこやかに語る尽きない話題に、彼の部員に対する信頼を窺い知ることが出来た。
それから行きと同様の電車に揺られ、日の傾き出した街を更に五分程歩いたところで牧の家に到着する。
それは極一般的なマンションの一室に過ぎないが、ここへ連れられた人間は皆目を点にしていた。木暮もまた同様だった。
「え……? 牧んちここなの?」
三階建ての古い外壁を見上げ、目をパチパチと瞠目させた。
「ああ。可笑しいか?」
「いやだって、なんかもっと凄い家想像してたから……」
微妙に肩を揺らす木暮に、何だそれはと不満を告げ、牧は三階にある自宅へと招き入れた。
奥のリビングからは母親が顔を出し、「あらこんにちは」何時に無い花めく笑顔で挨拶を交わす。
牧は丁寧に首を下げる木暮を自室へと迎え入れ、少し待っててくれとだけ告げると、すぐにそこを出て行った。
そして十分程で部屋に戻ると、中央のローテーブル前で落ち着く木暮は六畳中をぐるぐると見回していた。
湯飲みを差し出した牧が対面に腰を下ろせば、木暮はやっと気付いて顔を合わせる。
「あ、どうだった?」
「俺は大丈夫だった。お袋があとで木暮と話したいと言ってたが、無視してくれ」
「え? お母さんが?」
「ああ。次は木暮だ」
そう言って電話の子機を差し出すが、木暮は「ああ……」と再び後ろを向いたまま動かない。その視線の先は壁に立て掛けたサーフボードしかないわけだが……
「夏の息抜きだ」
教えてやれば、振り向いた木暮は黙って牧の顔を凝視。「ああ、だからか……」と一人納得している。
「何なんだ……」
「いや……。はは、赤木に教えてやらなきゃな」
何が可笑しいか、「しかも結構片付いてるな」と続いた口元は小さくにやけている。そして、手にした子機に漸く番号を打ち込む。
牧は再び退室し、時機を見て部屋に戻った。
「どうだった?」
丁度子機を置いた木暮に訊けば、その表情はまだ定かではない。
「父さんに聞いてみるから、二十分後ぐらいにまたかけてくれって」
「そうか。何だか俺が緊張するな……」
……もしダメだったら。ここまで話を詰めた今、まるで同棲を親に請う恋人同士のような、どこか似た緊張感を抱いていた。
「牧の親父さんは何も言わないの?」
「ああ、うちはお袋主義だから。お袋がいいと言えば大丈夫だ」
「はは、なるほど」
やがて二十分が過ぎた頃、木暮は再度子機を構えた。
「………………あ、本当に?」
持ち上がった顔はにこやかだった。
「牧によろしくだって」
そう言って、手渡された子機を牧は安心の声で受け取った。
「それはよかった」
「帰ってからもっと詳しく話すようだけど、でも……はは、何か笑っちゃうな、今日決めたばかりなのに」
楽しそうに笑う木暮は、今日の急展開を彼なりに受け入れたようだ。
牧はそっと大きな手を差し出し、「よろしく」と正面の相方を見つめる。そこに白い手が重ねられ、「ああ、こっちこそ」
しっかり握った手を厚く握り、笑みを交わし力強く見つめ合った。
眼鏡の奥の頼もしい瞳に、きっとやっていけると、やっていけるだろうと、牧は曖昧な確信を胸に宿す。早速新生活への準備を急ぐことにした。
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