そして約束の昼下がり――。今日も静閑にある館内で、牧は背もたれに拠り掛かり大きく背筋を反らしていた。取った肘を逆の手で引けばいい感じに骨が鳴り、姿勢に飽いた身体が選抜以来のボールを欲していたところだ。しかしすぐ気を取り直し、再び紙面に目を落とせば、雑な字の列ぶ欄外に先週の名前を見つける。折しも、「お疲れ」と正面の自動ドアから彼が歩み寄って来て、手を止めた牧の前に約束の一冊が差し出された。
「なんだか悪いな」
「いいよ」
「すまない。大した礼はできそうにないが……」
有難く受け取った牧に、「いいよそんなの。あと差し入れ」とペットボトルの入ったコンビニの袋まで手渡される。
隣に立った木暮は、埋もる程に巻いたマフラーから笑みを覗かせていた。
「ところで、木暮は受験そろそろじゃないのか?」
今は一月半ば、勉強に励む周りを見渡せば明らかだ。
「うん、もう今週中にも始まるよ」
「そんな時期に態々……」
「いいよ、俺が好きで動いてんだから」
ふと館内を射す光の加減で、今日もお人好しを溢す瞳が眼鏡の奥に覗いていた。
その眼差しを追いつつ、牧は改まって上体を向き合わせた。
「なあ木暮」
「なに?」
「受験終わって、結果出たら教えてくれ」
「え? あ、ああ」
「そしたら祝いと参考書の礼だ。飯でも奢らせてくれ」
「え……? いやいいよ本当に」
咄嗟に目を丸くした木暮は慌てて首を横に振った。
「嫌か?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「結果出たらまずはここに電話をくれ」
牧が電話番号を書いたノートの端を千切って手渡すと、木暮は困ったように眉を下げながらもどうにか受け取ってくれた。
「何か悪いな。これじゃとても落ちられない」
「大丈夫だ」
言い切った根拠はないが、あの文字なら、とでも言いたいところ。
「はは、じゃあ今日はもう帰って勉強するよ。牧も頑張れよ」
そう言って、木暮は今日も朗らかな余韻を残し、ここを去って行った。
その背中を見届けた牧は、今はせっかく知り合えた友人の合格をただ願う。神奈川バスケを知る者同士、近くの大学に通えるのならそれに越したことはない。春からの新生活に更なる希望を抱いていた。
それから卒業を三週間後に控えたその日、うっすらと春めいてきた都会の街角で二人は再会した。
昼食を共にする前に、四月から通う互いの大学へ二人で下見に来ていたのだ。それは先日の電話で、どことなくやっていけそうな間柄を察した牧の提案だった。適度な気遣いを絶やさない、適度な距離を保てることを友人への理想として。
その電話をかけた木暮が見事合格したのだ。今日は午前中から、日光を受ける眩しい笑顔が牧の隣にある。先日より薄地のコートを羽織る彼が、合格通知の届いた瞬間の喜びを顔いっぱいの笑みで語っていた。
「だから大丈夫だって言っただろ?」
確信していた合格を素っ気なく祝う牧だが、内心はほっと胸を撫で下ろしている。もし落ちていたら……とは考えていなかったからだ。
「でも本当にドキドキだったからさ」
まだ深くは知らない彼の絶頂の笑顔が爽やかな春を呼び寄せていた。
先に牧の大学を回り、今は二駅跨いだ木暮の大学に二人で来ていた。見学ついでにバスケサークルの練習も覗いてきたところだ。しかしサークルということもありその実力は大したことはなさそうだった。並んで大学の門を出たところで隣に尋ねる。
「木暮はバスケ続けるのか?」
「ああ、一応な。でも俺、最近は自分がプレイするより仲間を応援するのが楽しいかな。何と言っても周りが凄すぎるし、受験で暫く空けたから尚更」
また情けなく謙る姿を見て、牧は今一度あの決定的な3Pを思い出した。
「木暮だって立派な戦力だろ」
「はは、牧にそう言ってもらえるのは嬉しいな。きっと俺、ベンチが板についてきちゃったんだ」
「まあ、見るのは見るで楽しいからな。なんなら俺を応援してくれ。近いんだし」
冗談混じりに言った牧だが、木暮はそのまま汲んでくれたようだ。
「勿論そのつもりさ。せっかく近くに牧がいるんだ、見なきゃもったいないよ」
そこに突如南風が吹き付け、歩く二人の談笑を暖かく包み込んだ。都会の僅かな木々がそよめき、淡い木漏れ日が隣の笑顔に揺れ注ぐ。新しい春の香りが、今その訪れを伝えてくれた。
間もなく適当な喫茶店に入り、通された対面掛けのテーブルでも二人は語り合った。話題は主に四月からの新生活に限定された。
「で、木暮はどうするんだ? 通いか?」
頬杖に置いた真剣な表情で尋ねれば、木暮は組んだ手に顎を乗せた姿で悩みを零す。
「実はまだ迷ってるんだ。一人暮らしだとやはりバイトが必要だから、バスケするのも難しそうだし、通いも無理じゃないけど、やっぱり少し遠いかなって。牧は?」
「俺は出来るなら通いも寮も避けたいんだ。それでアパートを考えていたんだが、学費もあるから家賃程度しか出せないだの、お袋が嘘ばっかり吐く」
苦々しく言った牧もまた、本気で悩んでいた。彼にとって、寮で過ごす団体生活はバスケでの精神面を養う環境に適さない。全てはバスケを優先しての答えだった。
「まあ、うちも似たようなもんだよ。土日くらいはバイトしてって考えてるけど、それでもちょっと厳しいかな」
バスケを介さない二人の、近付く新生活を見据えた至極真面目な会話が続いた。
そこに、お待たせしましたとやってきたウェイターからニ人分のハンバーグが差し出される。中央の鉄板からもくもくと上がる煙に会話は遮られ、牧はその鉄板を見つめていた。
すると、その端の方で仲良く並ぶ付け添えの野菜を見て…………牧は今、閃いてしまった。
「…………木暮、一緒に住むか?」
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