閉ざす視界は徐々に眩しく、ざわつき始めた窓の外に、牧は一人目を覚ます。
隣の空の布団を確認し、今日は入学式だな、と起きてカーテンを開けると、そこにはすでに洗濯物が干してあった。寝室を出れば、居間のテーブルにラップのかかった焼鮭とサラダが乗っていた。
学校が始まったら朝食は各自としたはずだが、何より昨日あんなことがあったというのに……静かに胸を痛めた。
溜め息を吐いてから、牧は今ある状況を粗方整理する。まず彼の望むベストな環境とは、何より部活を優先できる生活だ。そのために他を怠りたいわけではなく、いや、あまり家事は向いていないと正直実感しているが、それでも最低限の気遣いと思いやりで無難に平穏に、無駄なく過ごしたい。そんな金銭面対人面生活面を引っ括めた答えが木暮とのルームシェアだったはず。その判断に問題はなかった。突き詰めて行き着くのは、今目の前にある朝食だったりするからだ。昨晩余った野菜サラダにグリルで焼いただけの鮭、昨日しかけておいたご飯と粉末のスープはセルフサービス。あまり手の込まない、気を遣わせない最低限の朝食として正にベストだった。
だとするなら当然今の環境を壊したくない。せめてアパートを契約した二年は楽しく平和に過ごしたい。だから、もう二度と昨日のような真似をするべきではないのだ。昨夜怯えてしまった彼を顧みては、改めて胸に誓う。
しかしまた眠れないなどと甘えられたら、とても自信がない。欲しがる分には存分に与えてやりたいが、その結果が昨晩だ。その気になった顔を間近に、唐突にブレーキを踏めるだろうか。……ただ、こうも思う。こうして不安ばかりを抱くから却って意識しているのではないか。意外と何も考えずにいた方が上手くやれるかもしれない。考え過ぎは寧ろ毒だと、思い至った牧は、今日はシャワーの前に朝食を取った。
その日の夜だった。
「やった、着いたぞ牧!」
今日も牧の下に組み敷かれた木暮が嬉しそうに笑っていた。
「当たり前だ。もう何日やってると思ってる」
日頃の柔軟の成果が実り、今木暮の膝は体の脇のシーツに軽く着いている。
「はは、いや本当に牧のおかげだよ」
明るく無邪気にはしゃぐ木暮が……可愛かった。そんなことで喜ぶ彼が何より可愛かった。今日は木暮から強請られたわけではないのに、牧は自らその唇に触れてしまった。彼の前で感情をコントロールすることなど不可能なのかもしれない。自身を描いた通りに操るなどとても出来そうにない。現に今、甘いキスが唇を離してくれない。
しかし離れてみると、先程まで嬉々としていた木暮はそっと視線を落としている。
「あ……牧。昨日は本当ゴメン。その……すごく、ビックリしちゃって」
指先で頬を掻きながら、昨夜のことをいじらしい程に気にしていたらしい。
「いや、それは俺が悪い。木暮が気にすることじゃない」
しかしそれでも表情を上げない、思い詰めたように陰りを映す彼には再度口付けで機嫌を取る。……それだけだ。こうも大切に想う気持ちが上回ると、欲を抑えることは決して不可能ではないらしい。そう自らに首肯を促し、今日はここまでとした。
牧はそっと身体を離した。
「木暮は朝何時だ?」
「んー、九時半には出るよ。牧も明日からだったな?」
「ああ。明日は九時だ。もう部の顔合わせがあって、明後日には朝練が始まる」
互いに時間を確認し合ってから、牧は今朝を振り返り念を押した。
「ああ、だから朝食はいいぞ」
「いやぁ、俺がやるよそのくらいは。牧は忙しくなるんだから、そのくらいはやらせてくれ」
「しかしだな、それじゃ木暮の負担が大きくなる。木暮もバイトがあればじきにサークルも始まるんだ」
「そうだけど、でも、ダメ……かな?」
……何かこだわりがあるのだろうか。若干渋りを見せた牧だが、それでも木暮は引かなかった。
「そこまで言うなら……だが決して無理はするな」
「ああ」
満足気に微笑む木暮を漸く解放し、あとはこれからの生活について語り合い、おやすみを言った。
|