住 ま な い か 12

それからだった。生活がまるで一変したと同時に、牧の心情も変わっていった。
部活も始まれば、それは朝から晩まで互いの顔を見ない生活の始まりだった。急な環境の変化に対応するので精一杯、息吐く間もないとは正にこのことで、朝練、講義、ゼミ、更に午後の練習の後、すぐにでも大学レベルに達したい牧は居残り練習も欠かさない。それでも朝起きると朝食があり、帰宅すると夕食も風呂も準備されていることには本当に助かっている。彼への感謝の心を欠いたことなど一度もなかった。
そして今夜も、霞む月明かりにうっすら浮かぶ隣の寝顔には一日の疲労を癒やされる。心身の安らぎを与えてくれる。
唯一日曜だけが休みとなるが、そこに意中の彼は居なかった。木暮が家庭教師のバイトに出ている間、牧は普段行き届かない掃除をしたり簡単ながら二人分の夕食を作って過ごしていた。
木暮もまた、サークルにバイトをこなしながら家のこともしっかりやってくれるわけだ。朝は先に起きて朝食を作ることに始まり、見送ってからは洗濯、後片付けをしてくれる。学校が終わるとサークルで少しの汗を流し、帰ると夕食に風呂の準備まで、家事の全てを担ってくれた。
だからお互い、少し疲れていたのかもしれない。二人の時間が極端に減ったためか、あれだけ日課のように交わした口付けも徐々に減り、次第になかったこととなった。二人のアパートに以前の安らぎはなかった。
しかしこれでよかったと、牧はこの忙しさを却って好都合とした。ボールを介しての疲労は見事に性欲を奪ってくれた。だから、あれだけ困難を要したリセットが可能であることに気付いたのだ。全てが杞憂に終わった。
そもそも同性であるという原点に思考を取り留め、冷静に、本来の正しい交友を取り戻そうとした。そして二年後、アパートの契約更新を機に全てを解消すればいい。そうすれば木暮も本来の清い好青年でいられるわけで、彼の人生に汚点を与えなくて済む。というより、彼の優しさにつけ込んで自分の欲を押し付けるなど、下衆のする真似はしたくなかった。まだその本心も掴めない、見せてくれない彼には尚更、一方的な恋も性に合わないから。

ある夜のことだった。その日も大して口を交わさず、二人布団に入ったところで隣から声がかかった。
「牧、眠い?」
「ああ、少し疲れた」
素っ気なく返せば、向けた背中に小さな溜め息を聞く。
「そっか……おやすみ」
その力無い呟きも、目に入らないうちは無感情でいられた。容易く疲労に呑み込まれ、やがて夢の中に消化される。
そんな牧の夢に現れたのはボールとコートで、本来のバスケ一辺倒な自身を確実に取り戻していた。
木暮は元湘北ベンチとして同居人を全うしてくれるだけ。牧は元海南キャプテンとして見事自身の感情を制したのだ。時はそのまま、波風なく順調に流れていった。

 

それから大学生活に慣れたような慣れないような、変わらず多忙な日々を過ごし、そろそろ期待と不安の四月を終えようとする頃だった。牧は、木暮を外食に誘った。深い意味はなく、同居人との交友維持を目論んだ。
しかし初めて鳴らしたアパートの電話は、牧の急な先輩との都合によるキャンセルだった。
そしてゴールデンウィークが近付いた頃、今年は火曜から始まる六連休だ。牧は午後のみ部活、木暮はバイトがあるが、学校が休みなら四日間は二人の時間が出来る。牧はその機会にぜひ先日の穴埋めをと考え、連休までの部活にはきっちり精を出していた。
……が、そう都合良くはいかなかった。連休に入る前日、今日も遅く帰った牧を待っていたのは木暮ではなかった。
テーブルに置かれた一枚のメモには「少し帰ります」と書かれ、すでに彼の姿はない。木暮のいない1DKはどこか広く、早速温めた夕食も何故か味気ない。いや、人参も硬くなければ具も増えている。確実に腕が上がったわけだが、今更気付くには少し遅い気がした。
笑顔のないリビングは静かで、再び目をやったメモ書きを手に、蘇ったのは数カ月前だ。あの日初めて知った彼の名が、その字が無性に懐かしかった。




― to be continued. ―



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