見えない鎖を断つ方法 9


「おう、洋平」
「遅かったな」
別に約束をしたわけではない。それでもこの体育館入り口には、まだ別れて間もない傷だらけの仲間たちがいる。
そして急速に射し込んだ夕陽の前に前キャプテン、前々キャプテンと副キャプテンの姿もあるから忽ち胸がいっぱいになった。
「宮城さん、ゴリにメガネくん! お、ミッチーも!」
勢揃いした顔ぶれに混ざり、懐かしさに話が弾んだ。花道もすでに練習に戻っていると聞き、煌々と明る館内を覗き込んだ、その途端だった――――――。
「な……んで――――?」
一体なぜ、どうしてここで、二度目のデジャブに遭ってしまうか。
覗き込む皆の笑顔が眩いオレンジに輝く中、洋平だけがまるで別の世界にいた。視界に理解が追い付かず頭が混乱、震え出した身を抑えようと自らの肘をギュッと掴む。
それは今日も目の前に広がっていた。コート上に花道とあの人がいて、白熱のマンツーマンに挑んでいる。それは花道のフェイスガードを如何にして切り抜けようと、その大きな瞳であちこちに視線を散らし、ピクッと動くだけの筋肉ですらフェイクに努めていた。
案の定騙された花道の傍を透かさず抜き去る様は見ていて爽快。鮮やかでしなやかで、極め付けのスリーポイントが決まればもう様式美と言っていい。叩き付けられた鼓動が鳴り止まず、この場で目を奪われている皆が恋しても不思議じゃないほど、指先から足の先まで優美精巧。実は人間でないのではとすら思えてくる。いつか見た夢が蘇る。
…………確かあの日もそうだった。もうダメだと逃げ出そうとして何故かここで出遭ってしまった。……いや、いつもじゃないか。洋平がもういいやと逃げ出した時、そこに必ずその人が迎えに来る。
今、ジワジワと込み上げてくるものはなんだろう。潤み出した視界に気付かず悔しさから歯噛みしていた。帰ったはずじゃなかったのか、なぜ逃してくれないのか、甘ったれの被害意識がこの場で噴出しそうだ。
しかしそれにしても何故……と一度冷静に、近況を顧みて後ろの彼に声をかけた。
「メガネくん、今日も神さんと一緒に来たの?」
「いや、俺たちが来る前にはもう練習に混ざってたよ」
……ということは一人でここに来たのか。復讐の日取りを今日と答えた以上、洋平がここに来る保証がないなら、彼は果たして何のためにここに来たというのだろう。
フェアな一対一に勝したその人が花道にこう指摘する。
「今日の桜木にいつものスタミナ感じないけど、疲れてる?」
「ちっと野暮用があったんだよ、ケッ、クソッ」
二階には来年の新一年生だろうか、今や県を代表するバスケ部に名を連ねるここ湘北へ見学に来ていた。
様々な中学の制服を着た彼らは、続く練習試合を眺めながら話していた。
「あれって元海南の神だろ? やっぱスゲぇじゃん、湘北の上級生蹴散らしてバンバンスリー決めてるよ」
「あの流川先輩が転校しなきゃまだ競ってたのにな」
「いやもっとスゲェのはさ、神のいる一年生チームがすでに纏まってることだよ。神中心にいいチームワークができてる。理想的だよああいうの……」
「王者海南、まだ健在かな……俺、やっぱり海南にすりゃあよかったなぁ」
そう進路に悩む声は今、階下でプレイする選手にも届いてしまったようだ。
「なんだと? テメェどこ中だオラァ! もういっぺん言ってみろ!」
二階に向かって怒号を上げた花道がついに本気を出す。おかげで湘北スタメン対神率いる湘北一年生チームの試合は競りに競り、一ポイント差で終了。やがてお疲れ、お疲れっしたの挨拶で部活は終わった。
辺りはすでに薄暗く、少し寒気も増したところで部員らは部室へ退いていった。おそらく飛び入り参加だろうその人はギャラリーの群がるこちらへ、入り口へ歩み寄ってきたので、洋平は透かさず声を掛けた。
「あ、神さ…………」
「木暮さん、暫くです」
それは洋平を視界に入れることすらせず、後ろの先輩に声をかける。
「やあ神、今日はまたどうしたんだ?」
「翔陽の練習も済んだし、バイトもまだ休みなんで、ちょっと敵情視察です。牧さんにも、今度海南行きましょうって伝えておいてくださいよ」
「わかった。言っておく」
牧、というよく知れた名を聞くなり後ろの湘北OBはざわめき立った。
「おい木暮、なんで牧なんだ?」
「牧ってあの牧っすか?」
「そういや木暮、テメェあん時も牧出て来たよな? 一体どういうことなのか説明しろよ」
問い詰められる木暮を後ろに、その人はやっと洋平に目を向けてくれた。いたんだ、という白々しい笑顔の後、無言で引き返す彼の後ろを洋平は付いていった。
「神さん、どういうこと? あっち帰ったんじゃなかったの?」
荷を置いた館内の隅で着替えを始めるその背中に、汗で貼りついたティーシャツに問いかけるが、その答えは却って疑問を煽る。
「どういうことって、いつものことだろ? 俺は洋平のなんだと思ってんの?」
「俺の、何って……?」
遠のく背後の騒ぎ声、ギャラリーもまたここから去って行ったようだ。残るは一年生部員と二人だけ。神に倣い、壁を背に腰を下ろし、掃除に片付けに励む部員を並んでぼんやり見つめていた。
これから夜も更けるまでここで語り明かすことになるとは、そして全てが収束を迎えるとは、この時はまだ思ってなかった。





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