見えない鎖を断つ方法 6

「はーっ、ったく八人ってなんなんだよ、ったく」
もう馬鹿以外に言葉がないと、洋平は混雑する車内で足を組み、珍しくぼやいてみる。仕事帰りの大人たち、遊び終えた若者と共に電車に揺られる中、神を真似、後頭部で手を組んでは嘆息を吐く。押し黙ったままの惺を隣に、各駅停車する度に徐々に込み上げてくる不安をポケットの中に握り潰す。
しかしそれでも落ち着かないのは、隣の不快な歯軋りが、激しい貧乏ゆすりが止まないからだ。目に見える苛々に周囲の乗客が引いていた。
見兼ねた洋平が声をかけようとすると、ぎりりという歯噛みを最後に惺は漸く静かになる。憎しみをひじり出すような目で遠く一点を見据え、そして、洋平の知らない純平との過去をぼそぼそと語り出した。
「――昔さ、純平と知り合ってすぐ、俺まだ他の仲間と連んでて、そいつらともよく遊んでたんだ。カツアゲしたりリンチしたり、毎日毎日ひでぇことして憂さ晴らしすんのがそん時はたまんなかった。でもそれを純平に言ったら、思いっきりぶん殴られてさ。本当の憂さ晴らしを教えてやるって、滅多クソに殴られた。俺が何すんだってキレたら、純平は言ったんだ。そんなに憂さ晴らししてぇなら俺が相手になってやるって。だから早く反撃しろって、挑発されてムカついて殴ったらすぐ殴り返されて、憂さ晴らしどこか痛てぇしムカつくし、純平の気持ちがさっぱりわかんなかった。……でも、ヘロヘロになるまでやり合ったらマジでどうでもよくなったんだ。家のこと、バスケのこと、学校のこと、自分のこと……。ずっと苛々してたのに、たった一回の殴り合いで胸がスカッとしちまった。あんだけ悪いことしてたのが急に馬鹿らしくなって、俺、そいつらと手ぇ切ったんだ」
乗り降りに忙しい通勤客を手前に、二人の出会いを見つめる目が優しくほくそ笑む。
その後も、洋平の記憶の外で生きてきた弟の姿を惺は映し出してくれた。
「憂さ晴らしだなんだって、そん時はなんとなく納得した気でいたけど、純平はあとでちゃんと教えてくれた。真相はゲーセンにあるとか言っていつもゲーセン入り浸りながら、勝てる相手に勝ったって何も変わんねーだろって。相手にぶつけた苛々が自分に返ってきた時、そのデカさを身を以て知って初めて自己満足する。俺はこんなにムカついてたんだって、気持ちの痛みを身体で知ってやっと消化できるんだ。自分の気持ちを人にぶつけるだけじゃいつまでも燻ったまま。惺はもっと、ちゃんと自分と向き合うべきだ。親の言うことなんか聞かなくていい、まだ甘えが許されんだから、今はもっと我儘になれ…………って、心強いこと言ってくれながら春麗ごときに敗れやがって。いつも制服だった所為でゲーセン出入り禁止になるし、天才だとか抜かしてるだけでホント馬鹿でしかねーけどさ。俺、こいつと一生友達でいたいって心の底から思えたんだ。……でもそんな矢先藤真さんに会って、バスケ部戻ったら俺がリンチにあって、純平が復讐して、その更に復讐で洋平が怪我して…………ハァ、元凶は全部俺だ」
去年のことに触れた途端、深く頭を抱え込んで嘆く、親友思いの弟の親友に兄として感謝したい。
しかし今はその弟が憂惧の種であり、あと二駅で通い慣れた駅に着く。
「それはもう済んだことだ。俺も純平も忘れたことよ。それより、奴らの制服は学ランだったか?」
「ああそうだ。でもあとは俺、顔と向かった方角くらいしかわかんねぇ。名前もなんも知んなくちゃ話になんねぇよな……」
惺はまた俯いていた。純平を追うこともしなかった自分をまだ恨んでいるわけだが、事実これから地元に帰ったとして何がわかるだろう。情報が足りなさすぎる。事情を詳しく聞き出そうと惺を連れ出したわけだが、あまり意味はなかったようだ。
相手が誰かわからなければ純平が連れ出された先も検討がつかない。きっと純平なりにバスケ部を思い、捨て身覚悟で向かったのだろう。やはり同じ血が流れているのか、そんな弟が今どこでどうなっているのか、八対一の現場は遠い。
弟は今一体どこで…………。弟は………………………
「そういやぁ――――」

駅を出てすぐ、洋平は惺に別れた場所、向かった方角を細かく聞き出す。それだけ済めば後はもう帰るように促すが、「いや……」いつかの借りを返したいと強い眼差しが告げていた。
きっと純平は不満がるが、こういう眼に洋平は弱い。
「知らねぇぞ」
とりあえず駅からアパートに向かう途中、左右を住宅街の塀に囲まれた細道で、暗がりに自らの腕時計を確認。
「七時……急ぐか」
居並ぶ街灯の明かりを頼りにまずはポケットからライターを取り出す。惺からより具体的に、そこの電信柱と街灯の間からアパートへ引き返す方へ向かって行ったと聞いた洋平は、今大きく身を屈ませ、地面に小さな炎を押し当てるよう虱潰しに照らして歩いた。
「な、何してんだ?」
まるで腰を曲げた老人が徘徊する様子に惺が堪らず尋ねてきた。
「ああ、宝探し」
「………は?」
「昔よくやったんだ」
そう言いながら早くも宝が見つかる。今洋平が拾い上げたのは真新しい煙草と一円玉だ。思わずニヤリ、照らし出す炎を前に笑みが零れ出た。
「まさか、それが宝か?」
「いや、これは『東へ』方向は合ってんだ」
更にぐるりとライターを振るえばまた……
「ははっ!」
「あ……?」
「Go straight。アパートは過ぎるようだな」
二本目の煙草を一本を拾い、立ち上がり、さっぱり解せないといった表情の惺とアパートの方へ向かう。
――昔、小学校に上がって間もない頃のこと。親の帰らない夜は二人勝手に家を出て、大事な物を交互に隠し合い、秘密の暗号で探し合うという無邪気な遊びを繰り返していた。親父の煙草、お袋の小銭の組み合わせで数種の暗号を作り、当然ながら翌日親に叱られる。今思えば、寧ろそれも遊びの延長とした幼い犯行だった。
そして離婚が決まった最後の夜、見つけ出した弟の宝は一枚の写真……初めて海水浴に行った時のもの。よく似た短い眉と馬鹿面がそこに仲良く並んでいた――。
程なくして、アパートの塀が数件奥に覗いた頃。正面から歩み寄る一人の男は、夜目にじっと二人の顔を窺ってきたのはなんと忠だった。
「お、純平……か?」
「いや、俺」
思えばまた神の妹を思い、洋平はここ暫く前髪を下ろしたままだ。
そして、忠が今ここにいる理由。
「さっき花道から電話があったんだ。なんかヤベーってな。っつーわけでとりあえずおめぇさんを探してたわけだが……おい洋平、一体どこで何してたんだ?」
「ヤベーのは俺じゃねぇよ。そんで花道は?」
「ああ大丈夫だ。ちゃんと誤魔化しといた」
花道をもう喧嘩に巻き込ませないことがすでに暗黙のルールとなっていた。それは純平の惺に対する気持ちと重なり、「それで、純平知ってるか?」傍から透かさず友を案ずる友情がここにある。
三人でアパートに向かいつつ、とりあえず純平の身に危険があることを忠に告げた。
「なるほどそういうことか。実はあれから俺らも洋平探してんだ。高宮が洋平んちの前で待ってる」
忠の言った通り、アパートで高宮と合流。そこで洋平は再びライターを手に、地面を這うよう練り歩いた。
「おい……なんだあれ?」
「宝探しだとよ」
「洋平って馬鹿やる時ほど真剣だよな」
三人に奇妙な目で見守られながら、それこそ洋平は真剣に考えていた。
純平は湘北に転校してまだ一年と少し。ゲーセンと学校、コンビニ以外は然程出歩かず、偶に海に繰り出すぐらいでそれほど土地勘はない。だからこそこの回りくどい暗号、具体的な場所は記されておらず、何より煙草も小銭もどこまで持ち合わせていたのか……あまり暗号にも頼れないようだ。
考えを改める。もし洋平が純平の立場なら、大人しく連中に連れられ適当な場所で喧嘩を買うだろう。適当な場所、つまり滅多に人の目につかない、あまり声も響かない空き地や僻地。弟とて喧嘩の場所は選ぶとして、ある程度絞られる。更にこうして暗号を残したからには場当たり的に、受動的に「ここでいい」とはならないはず。純平なりに八人は厳しいと感じたのだろう、せめてもの応援を望みこうして洋平を導いている。即ち、あまり遠くへ及ばない、人気も少なく声も響かないとなればどうにか三箇所に絞れる。
………………ふと、波の音が聴こえた。潮の香りと凪に誘われ、フラフラと歩を進めれば、そこに最後の宝が見つかった。
「そっか……」
アパートの階段と道路の間、コンクリートと雑草の隙間に五円玉が放られていた。




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