鳴かぬなら…… 10

「初めて洋平を見た時から、嫌いじゃなかったよ。人は外見じゃないっていうけど、洋平の聡明さは顔に出てたから。ああ、ただの馬鹿じゃないんだって、そう思った」
そしたら案の定話せるヤツで、次第に友達として付き合いたいと思った……という神の話。最初のキスもビールを伴った上で、友達として許せる範囲だった。ものすごく気分が高揚して楽しかった程だと、時折微苦笑を浮かべながら次の思い出を開く。
初めて自室に招いた時のこと。洋平のフェラを受け入れたのは、不良のすることに興味が湧いたから。神の知らない世界に踏み入ることでどこか憂さ晴らしをしていた。予選負けしたり進路に迷ったり受験を控えていたり、高校三年生のキャプテンという環境に疲れた時、洋平といるだけで不良をしている気分になれた。いつもの真面目な私立生から解放されていたのだ。
全ては洋平が馬鹿でないことを信じた上で、優等生の域を壊さない程度に遊んでくれることをわかっていたから。そういう意味で貴重な友達だから、洋平が怪我をした時も病院まで駆け付けた。病に伏せった友人を思い強請られるままキスもした。
「病人のくせにキスしろなんて、ふざけんなって思ったけど、俺も楽しんでたんだ。洋平をただからかってるつもりが、少し度を超えてた気がするけど、ドキドキしたしワクワクしたし、純粋に面白かった」
……つまり、入院中のキスまではエッチでタブーな遊びとして洋平のすることを受け入れていたわけだ。決して強要はせず本心を綯い交ぜに包み隠すことで、済し崩しに神を誑かしてきた。
しかし、それもそこまで。神の優秀な頭をもってすれば、洋平の心は尤もな推測により早くも見破られていた。
「でも、ふと思ったんだ。洋平が俺のこと好きだったら……って」
例え洋平に男色の気があったとして、いくら男が欲しくともそれだけで甲斐甲斐しくなれる柄ではない。妹のためにわざわざ外見を崩してきたり、親身に進路相談を受けるなどしないという神の確信は、洋平の中に染み付いた損得感情まで図っていた。僅かな数回の接触でその人徳まで見破っていた。だから再び洋平を自宅に招いた引っ越し前、神は近々告白されることを身構えた上で、見えない罠を張っていたのだ。
「あの日もさ、俺のこと好きかって聞いただろ? 風呂場でエッチしてる時。うっかり好きって零すかと思えば、うまくはぐらかされるんだもん」
「ってことは、あれは俺に吐かせる魂胆だったわけか」
「当たり。洋平を鳴かす男なんて、世界に俺一人だろ?」
「まあね……」
「それでもし告白されたら、自分の心がどう動くか期待してたけど、まずあり得ないよなぁ」
「まあね……」
あり得ない、という言葉はさておき、洋平は一先ず安心していた。あの時うっかり鳴いていたらその時点で、きっとすごく軽い調子でフラれていたわけだ。好き、という大きな気持ちを意地でも口にしないこと。たったそれだけのことで今まで関係を繋ぎ止めてきた。勿論、確信を抱いた彼にとっては不服だったようだ。
「いいタイミングで訊いたつもりだったんだけどなぁ。頑なに鳴かなかった洋平はもう世界一可愛くなかったよ。好きも言えないくせに、自らケツを差し出す根っからの変態。はっきり言って最低だね」
すでに光を失った一本を神は地面に置きながら、俄然として、馬鹿には見えない洋平の欠点を痛いくらいに突ついてきた。
「桜木とか、同級生や年下には慕われるかもしれないけど、年上からすると正直鼻に付く存在だよ。年上を敬う気ないのが目に見えてるし。本当は生意気なくせして愛想だけはいいんだ。どんなに気さくに振る舞ったって、腹の内も明かさないヤツにとても信頼なんか置けないのに」
「そりゃ神さんだって」
「……でも、そう考えてたらさ、あの日意地でも吐かせてやりたくなったんだ。気付いたら、湘北まで出向いてたんだ」
俺も馬鹿だよな……と溜息を吐く彼は、洋平に散々吐きつけた欠点を自らにも置き換え、その気まぐれな行動を後悔していた。というのも、結局のところこの関係を断つ機会を逃していたのは神なのだ。
「関係を断つなんてすごく簡単なことなのに、何故かそれが出来なかった」
簡単、とされるその方法は神が絶交を告げること。態々口に出さずとも、一方的に接触を断つだけでそれは自然と消滅する。神が洋平を必要としない限り、手の届く範囲にいない限り、洋平は絶対に神を追いかけないのだから。神の人生を邪魔してまで洋平は我儘を言わない、言えないことまで見抜いている。
「ずるいよなぁ。そうやって、知らない内にこの関係を丸投げされてた。終わるも継続も進展するも全て俺次第ってわけ。気付いた時はムッとして、このまま終わらせてやろうと思ったよ。それで洋平が泣いて懇願してきたら話くらい聞いてやろうと思ったけど、そんなことするわけないもんなぁ。このすかした顔が泣くわけないんだ」
……と、ここに来てやっと本来の笑顔を見せてくれた。疾うに花火の消えた今、それは夜目にもはにかんでいるように見え、洋平もうっすら笑みを浮かべた。目を閉じれば瞼に残る残像が堪らなく愛おしかった。
……いや、やはり幻だった。
「可愛くない馬鹿なんて、俺の一番嫌いなタイプ。この間もそう、怪我を覚悟で反撃に出るなんてもう、相手は刃物持ってるのに。弟まで似たようなことしてさ、馬鹿にせずにいられないよ」
すぐに笑みを落とした彼はまたも洋平を貶し、今度のことも執拗に蒸し返してくる。
「挙句には俺にも約束破れって、不貞腐れたりして、家にも帰らないで」
「そりゃあ、馬鹿のすることだから……」
だからもういいっしょ……? と、貶されることにうんざりした洋平はそろそろフラれる覚悟をした。足下の小石を一つ蹴り飛ばす。高く満月に届くその時まで、続く隣の繰り言に「もう終わろう……」を待っていた。
しかし次に右耳が捉えたのは全く無関係な人物だ。なんだか肩透かしを食らってしまった。
「今日、花形さんからも聞いたんだよ。洋平が猫を避けようとして転んで、原付ダメにしたって話」
「花形さん?」
コン、とフェンスにぶつかる音で洋平の記憶は元旦に遡る。花形と最後に顔を合わせた今年の初日の出、原付の話題が出たところで洋平は確かに零していた。二年前、原付で走行していた夜のことを。白く綺麗な野良猫が突如目の前に現れ、慌ててハンドルを切るがそのまま転倒、原付をダメにしたというまた馬鹿な話。
「洋平らしいなって思ったら、花形さんも言うんだ。今度のことも水戸くんらしいね、って」
「花形さんと、結構話すんだ」
優等生同士馬鹿を嗤っていたのかと、洋平はそういう意味で言った。だが今日その花形に至った理由は花形の憂鬱にあったようだ。彼は最近元気がないらしい。現翔陽との試合中、花形と同じく試合に身の入らない神も藤真に尻を叩かれ、それでも不調な男同士、解散後に口を交わした。すると神の首の怪我から自然と洋平の話題に流れ、いつも自らの体を張るその正義感を思うに至ったという。
おかげで、神はとうとう洋平の核心に辿り着いてしまった。
「……そうやってさ、もう誰かのために死ぬ気でいるの?」
グッサリ胸を貫かれては正に図星…………いや、そうでもないと思うのは洋平も人を選ぶからだ。笑って怒って、怒って笑って、今度は切ない物憂いの目でこうして問いかけてくるその人を。次はまた迫真の目で、今度は怒ってまくし立てるその人を。
「そこまですることに何の意味があるの? 俺にケツまで差し出してさ、あの時少し泣いてただろ?」
「まさか、気の所為だ」
「それで、このままずっと帰ってこないつもりだったの?」
「………」
「家出まがいやらかして、結局逃げるなんて、硬派な男が見て呆れるよ。もう本っ当可愛くないね」
深夜の公園に響き渡る一方的な罵声の数々。それは心底辟易として、せせら笑うを通り越して呆れて怒っている。普段は優しい彼を洋平はこんなにも苛立たせ、童貞を奪った挙句スタンドまで迎えに来させ、そして、遂に降参させた。
「でも…………放っとけない」
一変して、ふと声を落としたその音は悲しく、ほんのり優しく、心に落ちる。偶に冷たいようで本当は優しいのがこの人だから、真意はそう……
「情……ですか?」
「それもある、きっと。それもあるけど、なんかさ、洋平がだんだん可愛く思えてきちゃった。洋平が女だったら絶対に湧かない感情。一見達観した男っぷりを見せてくれるけど、俺にはまだまだ可愛いし、からかい甲斐があるし、馬鹿だなって思うし。なんかさ、居なきゃ居ないでつまんないんだよね。放っとけないんだよ」
可愛い……それは時間帯を夜に限り年上の女には許したが、喧嘩慣れした男にとっては終ぞ無縁の言葉。なまじ男に言われたなら屈辱を浴びたも同然だが、一瞬戸惑った洋平には別の感情か突き刺さっていた。
隣のその人が、今確かに微笑んでいるのだ。可愛い笑顔で可愛いと、笑って怒って呆れて呆れて、そうして辿り着いたその想いをしかと洋平に告げてくれた。
「可愛くない洋平がだんだん可愛く思えてきて、どうしても嫌いになれなくて、今日帰っても居なかったから、そしたらすごく腹立たしくなって、急に寂しくなって、いてもたってもいられなくなって、気付いたら……スタンドまで走ってた」
ずっと真っ暗だった洋平の目の前が晴れやかになる。手にしたままの花火も疾うに消え、街灯もぼやけ、住宅街もすっかり静まり返っているのに、満月のみの照らす夜が今こんなに眩しく明るい。まだ幻が消えてくれない。
するとそれを壊すべく、隣で立ち上がった彼が目の前に歩み寄ってきた。満月を遮るよう、腰を曲げ視線を合わせ、そしてまたとんでもない要望を突き出してくるから返事に困ってしまった。
「ねえ、少し泣いて見せてよ」
きっと、花道とは別の意味で洋平を困らせる天才だ。
「泣いたら、神さんはどうしてくれんの?」
「別に」
「じゃあ泣かねー」
利害の不一致、要望をきっぱり拒めばニヤニヤと自信たっぷりの顔で彼はこう言ってくる。
「じゃあ、泣かせてあげる」
鳴かぬなら……と、なかなか頼もしい笑顔でまるで洋平を挑発だ。この自信に満ちた彼の顔が一番好きだったりする。いっそ本当に泣いてやることも難しくない。しかしそれは罠だから、洋平はまだ口にしてはいけないのだ。あの時と同じように、どんな甘い言葉にも優しい顔にもうっかり絆されてはいけない。
暗黙のルールは敷かれていた。終わるか継続か進展か、今後を賭けた心理ゲームはこうして笑みを交わす今も続いていた。




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