メロスの犬 3

風呂を沸かすついでだからと二人で階段を下り、今更脱衣所にて互いに全裸を晒した。引き締まった上腕筋、胸筋腹筋背筋とありながら白くしなやかな流線は、先程あんなことをした男を前に惜しげなく披露される。小窓から差す桃色の夕陽を羽衣のように纏い、そして待ち惚けを喰らったままの洋平に冷めた視線が落とされた。
「ちょっと洋平…………」
「そりゃ神さんはスッキリしたからいいけど、俺まだだし」
「で、どうすんの?」
そんなことわかっているくせに……。意地悪な流し目に反り勃った下半身がビクリ、更に膨らむその瞬間をまた静かに見つめる彼の手を、洋平は黙って掴み取った。頭上のスカした顔を見上げ反撃を、その手を自身の性器へと引き寄せながら言ってやった。
「俺の口ん中まだ神さんの精子入ってるけど、キスしていい?」
「……ハァ、わかったよ」
物分りの早い彼は手を腰に、苦笑を零し一旦コップを取りに戻り、それを洋平に差し出す。そして浴室に敷いたバスマットの上に座り、「ほら、こっち」その長い脚の間に洋平を誘っていた。
背中向けて、という指示通り口を濯いだ洋平は、その人に背を向け腰を下ろす。すると脇腹から腕が回り、待望の位置へ行き着いた手が今根元をしかと握り締めた。そのまま何も言わず、包み込んだ長い指で躊躇なく扱き出した。背中にぴったりと人肌が貼り付き、微かな吐息もうなじを擽るその中で、すでに先端が濡れていた所為であらぬ淫音も響き渡る。上下する手に絶妙な握力も加われば、洋平は早くも昇り詰めた。神に快楽を支配される今、洋平はとても素直で無邪気で一途で、健気な犬へと成り下がっていった。
「クッ、神さん…………」
こんなはしたない声を漏らせば彼はどんな顔をするか、それでも規則的に滑る手は何を思うか、真後ろにいては何も見えない。うっかり油断するなら思考も呼吸も止まってしまう。漏れそうな声を押し殺し、近い射精を躊躇うだけで身も心もいっぱいだった。
しかし後ろの彼ときたら、こんな時に嬉しくない告白を淡々としてくれるから、また惨めな気分になった。
「俺きっと、洋平みたいな友達が欲しかったんだ」
「俺みたいなっ……て、こんな、不良と絡んで、……ッ、親御さん、心配してんじゃないの?」
「そう、その不良だよ。俺って自他共に認める優等生だろ? 別に優等生ぶるつもりはないけど、勉強できて遊ぶ間もなくスポーツに入れ込んでれば、誰にだってそう映る」
そこは神の言うとおり、自ら優等生などと口にしても己を客観的に捉える優等生には厭味もない。だからなんの接点もない不良にどう思われようと構わない、という考えもまあ納得出来た。別に優等生でいたいわけじゃないが、今更落ちこぼれる理由もないからと。
「例えばさ、前みたいに俺がビールを一口でも飲めば、バレたらもちろん退学だけど、それ以上に周囲の落胆が大きいよ。友達も後輩も、監督なんか泣くだろうね。別にそうなるべくしてそうしてきたわけじゃないんだけど、海南バスケ部のあの真面目なキャプテンが……なんて言われた日には俺もたった一口の誘惑を恨むよ。でも、相手が洋平なら……わかるだろ?」
そんなことを明け透けに告げるのも、きっと洋平にどう思われようと構わないからだ。だから羽目を外して馬鹿もできる。それが気楽であり楽しくもある。つまり、落ちこぼれである洋平は優等生にとって都合のいい存在だと、甲斐甲斐しい右手をそのままに打ち明けてくれた。
「そりゃあ、ずいぶんと見下されたもんだ」
……そう。まるで犬並みの扱いじゃないか。
「別に、馬鹿にしてるわけじゃないよ」
などと言いつつニヤリ、依然忙しい右手の他に、今洋平の胸を滑る指先がそっとその先端に触れた。
「ちっと神さん……」
同時に喉が仰け反ったから、人相の悪い不機嫌な顔をつい後ろに向けてしまった。が、勃ってたからつい……などと言われ視線を落としたその先は何故か、固く尖っていた。ぎゅうと抓られる左は勿論、触れてもいない右の突起も痛いくらいに腫れている。不意に転がされるものなら反射的に、無意識に背中まで仰け反り、異様な汗が吹き出てきた。
「ハァ、だからさ……」
女じゃないんだから、そこに性感帯があるはずない。だがその反応は女同様、いやそれ以上か……。
洋平も知らない身体の反応に言いようのない恐怖を覚えていた。だから、慌てて神の許を離れ、振り向いて対面にその膝へ跨ると、しっかり首へ腕を回し、迷惑な悪戯を止めた。
「すごかったね今の。ビックリしたよ」
そう弄んだ本人も真顔になるほどだ。慣れない屈辱に眉を顰めた洋平は、視線の縮まった正面の彼に一度濃い口付けを、傍で熱い湯船が出来上がる中、じっとりと汗ばむ肌と肌を執拗に擦り合わせた。そして彼の胸にも触れるが、先端にも触れてみるがその反応は薄かった。
「うーん、俺はくすぐったいだけかな?」
「じゃあこっち」
下の方は多少、洋平の腹に低く頭を擡げたところ。それと交差するように洋平のいきり勃ったモノが神の腹に触れている。赤黒く先の照ったソレと、健康的な肉色をしたソレが向かい合う二人の隙間を埋める。
「神さん石鹸借りますよ」
そう言って、身を捩った洋平の先には三つのポンプボトル。
「いいけど、何するの?」
怪訝な声を聞き流しつつ中身を片手に掬い、「洗浄まで抜かりなくやんのが奉仕ってもんでしょ?」洋平の腹に凭れる先端からそれを塗り付けた。ぬるぬるとしたボディソープの感触にまた満足してくれると踏んだが、神は顔を顰めていた。
「奉仕はいいけどさ、それボディソープじゃくてシャンプーなんだよね。しかもメンソール入り」
という指摘を受ける合間に、そのひんやり感を洋平自身にも塗りわけていた。熱く火照ったソレがジワジワと冷却され、寧ろ熱く感じるのはそこに快感を得ているからか。気付けば太く筋立った脈が射精を欲し膨れていた。 まあ、これはこれでいい。 新たな性感を知っては手前の肩に片手を置き、腰を浮かせ、愛しいソレと自身を右手でぬるぬると擦り合わせた。
「どお?」
「まあまあかな」
濃く白い泡の中で摩擦はより滑らかに、意図的に感じ取る彼の熱に愛は昂るばかりだ。おかげで限界に達していた洋平のそれは間もなく吐き出された。その人の腹筋を己の欲で穢した。如何にも支配欲を満たす場面が出来上がるが、そこに思っていたような手応えはなかった。
「なんか、ちげーんだよな……」
そう腑に落ちないでいる間にも何故か左腕を取られ、身を返されている。神のソレを預かる右手はそのまま、先程と同じ姿勢で背後から抱かていた。
「何すんの?」
「いいから、ちゃんと手動かして」
言われるがまま後ろで器用に働けば、神はまた、胸元への悪戯を仕掛けてくる。しかしどことなく察していた洋平の左手がそれを阻止。可愛いのはわかったから、「もういいっしょ?」これ以上、痴態を晒すのは勘弁だった。
「なんだ、ちょっと可愛いかったのに」
「いいからちっとは集中してください」
そこに折悪く、「ただいま」と幼い声が響いてきたのは廊下の奥の玄関からだ。二人一瞬固まってから視線を合わせていると、その間にもダダダダッと廊下を走る足音がして、そして、目の前の浴室の戸がカラリと開いた。
「お兄ちゃんズルイ! わたしも一緒に入る!」
可愛い邪魔者は口を尖らせ、仲良く泡を纏う男色の場に臆することなく、その場で服を脱ぎ始めた。
「母さんは?」
「今荷物下ろしてる」
「宿題は?」
「まだ。お風呂入ってからやる」
兄妹による日常のやり取りは、依然気まずい洋平を間に行われた。右手の中は何時の間にか萎み、彼の取ったシャワーにより泡も色情も流される。そして包み隠さない洋平の正面に妹が飛び込んでくるから、腹にひしと抱きついてくるから、悪い気はしなかった。
「やあ、ゆめ子ちゃん」
「洋平ちゃん久しぶり」
兄に名前を教わったようだ。初対面では恐がっていたというのに今ではもうちゃん付け。それも含めて教わったのだろう。
少し見ない間に背も髪も伸び、気持ち大人っぽくなったような気がする。それでいて兄に似た大きな瞳でじっと見上げ、男心を締め付ける術まで早くも心得ていた。
「洋平ちゃん全然来ないから、もうノブお兄ちゃんに浮気しちゃうよ?」
「ノブお兄ちゃん? って、野猿くん?」
「たまに遊んでくれるの」
「そりゃ参ったな。毎日来ないと取られちゃうね」
そう柄に合わない笑みを浮かべる洋平だが、背後からは異様な殺気が突き刺さる。
「妹には変な気起こさないでね」
後ろの愛しい笑顔からうなじに触れる優しい声と、実に禍々しい空気。
「やだな神さん、俺そこまで変態じゃねーって」
「へえ」
白々しい返事に次ぐ、そっと胸元に感じた指先を洋平は透かさず取り押さえた。
「神さん体冷えてっから、先風呂入んなよ」
にっこり促せば、その人は何食わぬ顔で湯船に足を差し入れる。浴槽で窮屈そうに身を屈めるが、「ゆめ子、おいで」そこに可愛い妹を呼んでも彼女は洋平の傍を離れなかった。
「今日は洋平ちゃんの背中流すの」
「おっ、いいの? 悪いね神さん」
洋平の気のいい声にややむくれる兄が隣の浴槽にいる。普段はあまり内側の見えない彼の貴重な一面かもしれない。そうスポンジの滑るこそばゆさを背中に感じながら、廊下から響く母親の挨拶に愛想よく応じた。

その後入浴を交代、妹と二人浴槽に納まり今は仲良く雑談する。天井に着きそうな位置から体を流す洗い場の彼に、近々置いていかれる者同士、今は誰より気が合ったりする。
「ゆめ子ちゃんも、お兄ちゃんと離れんの寂しい?」
「うん」
「じゃあ今のうちにいっぱい甘えときな」
兄弟が離れる寂しさを知っているから、こんな幼い時期に別れを知るのは少し酷だと思ってみる。しかしそんな二人の気持ちは届かないか、透かさず割って入る兄に涙の色はなかった。
「離れるって言ったって、そう遠く行くわけじゃないし、ちょくちょく帰ってくるんだから」
……やはり、何もわかっていないのだと洋平は妹に耳打ち。聞き取った妹はしたり顔で、洋平に代わり非情な兄へ反撃してくれた。
「お兄ちゃん、もう帰ってくるな!」
愛しい妹に湯をバシャバシャとかけられた神は矛先を洋平へ。
「ちょっと何吹き込んでんだよ」
「ゆめ子ちゃん、もっとやってやんな」
それから食卓でも笑顔の絶えない、母親の手料理を囲う暖かな時間をまたここで過ごした。人数分の皿と湯上りの香りと「いただきます」、流れるテレビをきっかけにした話題、疲れて帰った父親に言うおかえりが、この家には全てあるのだ。
すっかり毒牙の抜けた洋平には妹が更に甘え、目の前に人形が並べられる始末。それでも、悪いね、と微笑みかける彼がいれば着せ替え遊びも付き合える。国語の宿題も見てやれる。
「"生"と、"学"と、"正"と、"力"習った」
「そっか。俺みたいになんないように、勉強がんばんなよ」
守りたいものに出会った時、本当に必要なものがわかるように。腕力だけでは守れないものがこの世にはたくさんあると、そう誰かさんに教わったから。





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