友達と友達とその知り合いの友達 6

「俺って恵まれてるのかな……」
神が裏の台に片肘を着きながら、頬杖を着きながら遠い目をしていた。
「なんか洋平の話聞いてたら、俺の不幸って大したこと無い気がする」
それは明るいとは言えない洋平の過去に高々十数年の人生を重ねたようだ。が、その神々しい苗字には見えない御加護がある気もする。
「何すか神さんの不幸って?」
尋ねた先の瞳には一見、不幸の欠片も見当たらない。しかしそれは見せないだけで、彼にも大きな不幸があった。
「んー、まず最近は、インターハイ行けなかったこと」
さり気なく視線を落とす彼は、きっと一生忘れられないだろう。努力を怠る洋平にその落胆はとても計れず、その原因となってしまったことには今でも頭が上がらない。
「いやあ、それは不幸だ。神さんあんなに頑張ったんだから」
だから今日もジャージを着ている。汗を吸った毛先が乾き、天然の無造作ヘアが出来上がっている。
もう妬けてしまう程バスケ一筋の彼だが、そんな彼の抱く夢はバスケだけに留まらなかった。それを今日、教えてくれた。
「あと一つ。小さい頃の話なんだけど、うちは親が旅行会社経営してて、親はしょっちゅう海外行ってんのに、俺はいつも叔母さんちに置いてかれたんだ。俺だって行きたいのに、子供のくせに海外は贅沢だって、大きくなってから自分で行けって」
余程面白くなかったか、不満そうに語る表情に幼少期の面影が射した。
「はは、海外か。確かに贅沢だ」
「まあね」
「神さんどこ行きたいの?」
「んー、沢山だよ。エジプトもトルコもヨルダンも。中東に魅力を感じるんだ。あと母さんの好きなイギリスも行ってみたいかな。そのために俺、親の会社継ぐつもり」
その大きな宿望は今まさに、自分の何かを強く誇った瞬間だった。洋平は無意識のうちに見入っていた。
揺るぎない未来を見据えた眼差しは、いつか花火を囲ったあの夜と同じ。遠く黒い瞳に映り込んだ鮮やかな光と、白い横顔を幻想的に照らし出した淡い光。その人を初めて知った夜のこと…………洋平は、今もずっと覚えている。目一杯に詰め込んだ夢を、凛と語った真剣な眼差しを。だからきっと……
「神さんなら行けますよ」
「そう?」
「だって神さん、そのためなら何でもするっしょ?」
「まあ、多分ね」
そのひたむきさこそが彼そのものだと、あれから神宗一郎を知ってわかったこと。洋平は少し虚しくなった。
「はあ、俺なんか暫くセックスも出来ねんだ」
ふと天井を仰ぎながら、冗談混じりに下劣な不幸を挙げてみた。
「はは、そりゃ不幸だね」
そう見下されているとしたらなんだか惨めに、急に泣きたくなる。これからの退屈を思うと無性に寂しくなり、尖らせた口から愚痴を零したつもりだ。
「そう思うなら、俺が治るまで神さんもセックスしないでよ」
半分は冗談。そしてもう半分は強気の本気。
「何それ? まあ、別に構わないけど」
「まじで俺可哀相なんだ」
いじけた唇で更なる同情を誘う。が、そこで素直に絆される神ではなかった。
「じゃあとりあえず、俺は洋平が治るまでに相手探すことを目標にするかな」
意地悪な笑顔に、洋平は内心拗ねてしまう。自らを棚に上げ、勝手に想像した交わる姿を汚らわしいと毛嫌いした。軽蔑した。
「うわー、神さんヤル気満々だ」
「洋平に言われるのは癪だね」
そんな神の声も耳に入らない程、ヤル気満々の彼に嫉妬は渦巻くばかりだった。洋平は軽くそっぽを向いた。
「それで、もし俺が約束破ったらどうなるの?」
不貞腐れる洋平への、何も知らない粗忽な愚問だ。
「破ったら、もう声に出して泣くわ」
至って真顔の洋平に、神は腹から笑っていた。
「はははは、それは破る価値あるね」
「あ、破るんすか? 酷いなぁ神さん」
「いやぁ、生憎時間がないよ。こうやって洋平の介護も必要だし……」
そう言って、笑みを微かに残した彼がそろそろと近寄る。洋平の顔を手で跨ぎ、今ゆっくりと見下ろしたところ。
「本当、早く治すんだよ?」
明かりの下に陰る顔が、ニヤリと笑うなりそのまま下に降りて来た。乗せられるだけのささやかな介護に、洋平は黙って瞳を閉じた。
しかしながら、ここで手放しに喜べる程洋平も馬鹿じゃなかった。冗談と言えど何故今日もキスをくれるか、禁煙と言えば彼はどこまでしてくれるのか、疑念を抱けばキリがなく、質すべきことは現在進行形で増え続ける。ちっぽけな不安が快楽をも上回る。
攻略に倦むのはパチンコと麻雀とテストだけだと思っていた。しかし優等生の彼の心は更に難解で、不良の洋平にはヒントすら与えられない。ただ嫌われないように真意を窺いながら、飽きられないよう適度にふざけるだけ。甲斐性もなく守備に徹しては、進展のない現状維持が関の山だった。
カーテンの向こうには他の患者も寛ぐここで冷静に考えていた。滾る胸とは別の冴えた頭の中で、洋平は見えない敵と闘っていた。
「さぁて、そろそろ帰るか」
伸びをするように立ち上がった神は腕時計を確認、ポケットから手書きの時刻表を出すと、そのまま背中を返す。
「じゃ、またね」
ぼんやりと見上げたままの洋平に言って、悲しいほど速やかにカーテンの向こうへ消えてしまった。
やがて揺れも静まるカーテンへ、洋平は物憂いの目で呟いた。
「もう来ないでよ……」
そしてベッドを平行に倒し、大人しく布団に潜るがすぐに眠るわけでもない。台の上いっぱいの差し入れに、広げたままの椅子の温もりに愛情を探る。頬を埋めた枕に無謀な想いばかりを吐き出す。
そして、彼の部屋でのあの夜を顧みていた。もうキスだけでは物足りなかった。自ら触れられないもどかしさと、簡単に手に入らないもどかしさが今は吐き出せない性欲に繋がる。
急激に押し寄せた情欲は相当なもので、思い描けば夢精の心配すらした。酒も煙草も許されない、禁欲ばかりを強いられるここはやはり地獄でしかなかった。遠い退院のその日まで、洋平は大人しく寝るしかなかった。




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