星散りばめたる旗よ 3

そこは花形にとって約一年ぶりとなる、去年流川の怪我で見舞いに訪れて以来の駅だ。夏休み真っ只中の今、同年代の学生らが水着や浮き輪を手にする中、鞄を一つ提げた花形は一人改札を抜けた。
「待ったか?」と歩み寄る先に首を横に振る流川の姿。二人は駅の壁際で、ベスト8という報告の電話のその翌日に落ち合った。
「せっかくだから車で来ようかとも思ったけど、まだちょっと不安だな」
並んですぐ正面口を潜れば、ギラギラの日光が二人の黒髪を直射する。そのまま階段を下りると、「待ってて」と添えた流川は駐輪場へ、自転車のハンドルを握り戻ってきた。
そして海とは逆方向へ、歩道を歩き出した二人に、その背中に早速潮風が吹き付ける。さらさらと白い半袖を靡かせ、二人のいるそこには今日も静かな時が流れた。
「お疲れ」
昨日の敗退を、昨日帰還したばかりの選手を癒す声が、さざめく潮の囁きと重なった。
視線を落としていた流川は足を止め、口を噤んだまま隣の肩を掴まえ、そこに額を擦り付けた。隣の足音も止まった。
波がサァっと引くと同時に、悔しさに滾る血も少しずつ穏やかに、日本一への志しも、今は休息の内に熱を鎮めた。
明日にはもう部活、四日後には全日本の合宿が始まり、帰っては早々国体合宿、そして国体地区予選が待っている。これもエースの宿命か、流川に与えられた休日はほんの僅かだった。
そんな流川の家は駅から十五分ほど、コンビニの裏へ回ってすぐの二階建てだ。新しくも古くもない、建売らしきシンプルな外観が住宅街に溶け込む。
車庫には乗用車一台が止まり、二人はその手前のシャッターを潜った。玄関脇に自転車を止め、ドアへと伸ばした腕にはうっすらと汗が滲んでいた。
そして先輩を後ろに、ガラッと戸を開けた流川にただいまの挨拶はない。が、折しも居合わせた女性がおかえりを言った。
「あらあんた」
大きな手提げを手に中から出迎えたのは、いつか息子の看病に駆け付けた流川の母親だ。小言の多い、元旦に出産したという実にめでたい女性だ。
「あ、どうも……」
息子越しに軽く小首を下げる花形を、母親は忽ち笑顔で歓迎した。
「あらやだあんた友達いたの? うち汚いけどゆっくりしてって頂戴ね。あ、うちの子無愛想だけどよろしくね。仲良くしてやって頂戴」
「はぁ……」
親子を疑うお喋りに、花形は暫し唖然としていた。
「じゃ、私はもう行くから。あんた少しは掃除しなさいよ」
そこは口を酸っぱくして、母親は急いで流川家を出て行った。
「……ということは、またしばらく一人か?」
後ろの問いに流川はコクッとだけ頷く。母親はこれから、今日も父親の赴任先へと戻るらしい。
そしてそんな流川の部屋も二階で、六畳のそこは実に男児らしい雑駁ぶりが広がる。壁にはNBAのポスター二枚、ラックに並ぶCDは、聴いていただろう数枚を除ききちんと収納してある。が………
「流川、服片付けるか」
それだけはだらしなく部屋の隅に積まれていた。
「これはもう洗濯してあるのか?」
そう一枚を摘みあげる花形に流川が頷く。
「畳むのが面倒だったら、ハンガーにでも掛ければいいよ」
言っては早速ハンガーを手にする彼に、流川も黙ってそれに続いた。地味な共同作業を黙々と進める中、開けっ放しの窓に遠く飛行機雲が伸びていた。
「あの後ね……」
花形がふと、次の服を掛けながらあの正月以来の半年を明かす。
「あの後、惺の勉強は俺が見ると母親に頼み込んだんだ。だが勉強だけで頷く親じゃないからさ。夜の外出禁止に加え金髪もピアスも注意された。でも毎日学校に行くようになればそう酸っぱく言わなくなったんだ。おかげで毎日部活に出てる。藤真とも長谷川とも、卒業してからもよく翔陽に顔出してるんだ」
それは未だ翔陽に、先日のインターハイにも訪れたOB組の、癒えない未練が解消される日を今日も待っているようだ。
「きっと、藤真の口が巧いんだ。惺のやつ調子に乗って、まあそれなりではあっただろ?」
そう尋ねるは県予選決勝リーグ、今年も全日本に選出された彼に新翔陽を窺う。
「ディフェンスはまあまあ」とだけ口を開く流川に、花形は微笑みながら近況報告を続けた。
「実は、大学行った今も藤真は翔陽の監督なんだ。すでに自分の部活はそっちのけらしい。今年もインターハイは逃したが、選抜は絶対だとメンバーより意気込んでるよ」
そう言って、最後の一枚が壁にかけられた。
営々と歌い続ける蝉の声が、眩しい真夏のコントラストをジリジリと歪めていく。人の鋭気を挫くほどに、光と影が眩む外界、それを閉ざすべくピシャッと窓が閉められ、片付いた室内に冷房がかけられた。
チラチラと角の捲れるポスターはダンクを決めるマイケルジョーダン。そよそよと冷風が流れるそこで、二人きりの静かな部屋で、流川は早速微睡みに落ちた。並んで腰掛けたベッドの上で、それは隣の彼に遠慮なく凭れかかった。
まだまだ疲れが溜まっているのだろう。察した微笑が上から見下ろし、今脚の上に乗せられた頭に、無言でそよめく髪にそっと触れた。耳を避けるように撫で、甘やかした。
「いいよ。寝て」
すると早くも、無垢に甘えるその寝息が徐々に深まる。隙のない筋肉に、まるでバスケのためだけに生きる身体に極上の昼寝が捧げられた。
しかし程なく、「にゃろう……」と突如発せられた声は寝言なのか。枕代わりのジーンズをギュッと握り締め、眠ったままで歯を食い縛る流川は、夢の中でも昨日を繰り返しているようだ。いや、仲間を全国制覇に導けなかった己を恨んでいるのかもしれない。
「流川…………」
そっと名前を囁く声に、優しく背中を摩る手に、強張った表情が少しずつ安らいでいった。




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