ゆく風、くる風 8

「なあ、せっかくだから五人でやろうぜ」
それは惺の決意が冷めないうちに、もう少し感覚を植え付けておきたいという監督の思惑が窺える。今年の仕事納めはまだ終わらないようだ。
「ああ、でも流川は……」
すでにフェンスの中で隣の怪我を案ずる花形だが、「片手でやる」と言い張る流川はすでに上着を脱ぎ捨てていた。
「無理はダメだぞ」
「ヘーキ」
「病人だったのか。じゃあ勝ってもつまんねーじゃん」
そう口を挟む惺はずっとボールを手にしたままだ。そしてそんな二人はまだ一年生で、先輩にはない幼さが健在する。
「俺が勝つ」
「やってやるよ流川」
「テメーにゃ無理」
「は? それ喧嘩売ってんのかキサマ」
「おい惺……」
火花の散る間に入る兄だが、後ろからキャプテンの一声で事は片付いた。
「大丈夫だ花形。流川も馬鹿じゃない。限度は知ってる」
よって五人は野ざらしのコートに集結した。風もあれば規模も小さく、リングとラインのみの極簡素なコートだが、二対三を繰り広げるそこは試合同様の熱気が渦巻く。何とも不思議な面子ではあるが、そこに今、この時期には少し珍しい、やさしい風が吹き去っていった。

今年最後の陽が落ちたそこで、フーッと息吐く長谷川は端のフェンスを背に、すっかりへたり込んでいた。
「ハァ、もう終わりでいいだろう」
藤真花形も続いて腰を下ろすが……
「もう終わりっすか?」
コートを出ない元気な一年生が、今日久々にボールを持った彼が、何とも調子良く呼びかけていた。
藤真は力なく笑いながら、それは妙にしたり顔で唯一の湘北生にけしかける。
「おい流川聞いたか? この体力だ。桜木に首洗っとくよう言っといてくれ」
そう暗に惺を持ち上げてから、次は肩を並べた同級生に語りかける。
「なんつーか、最悪で最高の一年だったな」
赤く沈む夕陽を背に、顔に陰りを灯す彼は、すでに残り僅かとなる今年を振り返っていた。
監督もいない、それでいて大量の部員を背負いながら、彼等は最後まで『闘魂』を全うした。が、夏の屈辱を晴らすことは出来なかった。湘北に海南に当たる前に、彼らは陵南に敗れてしまった。今年翔陽に吹いた風は、酷く冷たいものだった。
「藤真……」
長谷川がそっと、隣の藤真に手を差し出す。
「今年は、楽しかった」
……と、逆隣からは花形の手が伸びる。
「ああ、そうだな。楽しかった」
三人は固く手を取り、そこに三年間の思いを馳せた。そして未だ駆けずり回る影を見ては、来年の翔陽はきっと…………
そう、同じ期待を胸に抱いた。

 

長谷川は先に帰り、惺は友人宅へと向かい、残る三人はファミレスで夕食を取った。
今はその帰り道、灯りの少ない正月の商店街で、顔も引きつるような寒さの中、主に二人が談笑を交わしていた。
その途中で、「あ………」と後ろの流川が立ち止まった。
「どうした流川?」
藤真が振り向けば、流川は思い出したように一言。
「前、弟と試合した」
それは、花形のジャージにあった青の三島中と漸くリンクしたようだ。
「へー。どうだった?」
藤真が尋ねると、「センターだった」とだけ答える。
「ははは、そこかよ」
笑顔で突っ込んでから、藤真は隣の兄に伝えた。
「おい花形、惺に今の教えといてやれよ。あいつはおだてりゃいくらでも伸びるタイプだ」
え……? と隣を見つめる兄は、そこまで弟を知らないらしい。
「流川が覚えてたなんて知ったら、きっと喜ぶに決まってる」
藤真はそう続けてすぐ、「じゃあ、俺あっちだから」と差し掛かった別れ道で、行く先を親指でさし、二人に背中を向けた。
「ああ藤真……」
帰路に就く背中を花形が咄嗟に呼び止める。そして間もなく振り返った元キャプテンに、礼を告げる。
「悪かったな」
今日弟に光を見いだしてくれた彼へ。誰よりも尊敬するリーダーへ。
「今日が仕事納めだ。じゃ、またな。仲良くしろよ」
にこやかに笑って、今日4番を捨てた彼は、ひらひらと片手を上げ去って行った。
立ち止まった花形は、その背中をじっと見つめる。そして藤真健司という男を誰よりも深く語った。
「あいつは監督としてもキャプテンとしても、もちろんプレイヤーとしても完璧なヤツだ。個々の人間性を見抜いて、その中身を伸ばすことに誰より長けてる。巧く方向性を与えてやれるんだ。だから皆がついてきた。歯向かうヤツなど誰もいなかった。選手兼監督も、伊達じゃないんだ」
そう言い切って、吐いた一息が闇に溶けてから、続く夜風に隠すよう密やかに呟いた。
「藤真が、惺の兄だったら…………」
すると、隣から見上げる煩いの顔が今の言葉を否定する。
「先輩は、優しい」
そう優しさを溢す声で、流川は黙って手を繋いだ。花形はその手を握り締めた。
「冷えてきたし、帰るか」
汗をかいた身体が冷えないよう、風邪をひかないよう、こうやって少しでも寄り添っていないと凍りつきそうな夜の街で、二人はしっかり隙間を塞ぎ、凍える帰路を急いだ。





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