車道の風切る原付は、とても似つかない二人の高校生を乗せて歩道の歩行者を追い抜いて行く。ハンドル握る洋平の、その後ろに跨る長身の彼は少し窮屈そうだが……
「本当にすまない」
「いえ、俺も昔世話んなった病院なんで」
そう言って、前の車に続き洋平がハンドルを左にきる。カーブを曲がり切ったところで、花形が手前の彼に尋ねた。
「それで、流川の怪我はどのくらいなの?」
「ああ、手の骨折ったっつってました」
「折った? って、そんな……」
そのままなだらかな軌道に乗り冬の潮風を避けて行く。小慣れた安全運転を為す洋平もしっかり前方を向きながら、後ろの彼に問いかけた。
「流川に何の用あったんすか?」
「用と言うほどでもないんだが、連日電話しても出ないから、何かあったのかと」
そして止まれの赤に従ったところで、花形がもう一つの用事を願い出た。
「そういやこの辺に……」
やがて、とあるショップから袋を提げた花形が路上駐車した原付へと戻ってくる。
「本当に悪いね」
いえ……と跨ったままの洋平が後ろに跨った彼を確認、再び車道へと走らせた。
「何か買ったんすか?」
「ああ。とりあえず見舞いだ。これは確か持ってないと言ってた」
洋平はミラー越しにCDの透けた袋を見て、「ああ、そういうことね」と納得していた。
その様子を怪訝に覗き込む花形へ、きっと湘北の皆が今日抱いたであろう疑問を明かした。
「いやぁ、あの流川を尋ねてくる野郎がいるなんて、不思議に思ってたんだ。でも、あいつも趣味が合うなら別なんだなって、感心したとこ」
洋平はすっかり親しげに問いかける。
「それ、誰のすか?」
「synspilum」
「はあ……知らねぇな」
そうして到着した病院の門の前。停車した洋平が地に片足を着けて言った。
「駐車あっちなんで、面倒だから俺ここで待ってますから」
原付を降りた花形はややよろめきながら、朗らかに礼を言う。
「ああ、申し訳ない。すぐ戻るから」
背中を返し、袋を提げた彼は敷地内へ足を進めていった。
その大きな背中を見つめながら、洋平はポケットから早速一本を取り出す。目を細め口に咥え、白に塗り固められた外壁を無表情に見つめている。立ち昇る陰気な煙の向こうに、微かに仄めいた寂寞が覗く。
一方、受付を訪ねた花形はすぐ階段を上り、その長身に人々が騒めく廊下を真っ直ぐに進んでいった。しかしいざ304号室の前に辿り付くと、ドアを叩こうと握り締めた拳を直前で宙に留めた。
「え…………?」
とだけ声を発し、暫しその場に立ち尽くす。小難しく眉を寄せ、目の前に張られた結界をまじまじと見つめている。
今、二人を隔てる一枚のドアに『面会謝絶』の札が掲げられている。
「そんなに、悪いのか……」
絶句する花形だが、今一度面会謝絶を見てはその場で息を落とす。
「仕方ない、よな……?」
自らに言い聞かせるように、提げた見舞いの品を見つめた。
それから数分後。花形の申し出により、見舞いの品は看護婦の手により304号室の患者へと無事届けられた。
受け取った流川は袋の中を確認した途端、咄嗟に目の色を変える。持ってきた看護婦へ即刻質す。
「これ持ってきたのいつ?」
「確か、二、三分前ですけど」
看護婦が答える途中にも流川はベッドを飛び出し、若干よろめきながら、ドアに向かい駆け出していた。
しかしドアノブに手を掛けるなり、後方からは当然の警告が飛ぶ。
「走っちゃダメですよ! 熱もあるんだから、まだ安静です。昨日手術したばかりなんだから」
看護婦が呆れつつ、取り押さえた彼に「ほら」と体温計を差し出す。そしてベッドへ連れ戻しながら……
「ああそう、面会謝絶、まだ掛けときますか?」
「あ………………」
すっかり立ち尽くした流川の、その目は虚空の白だった。ふと緩んだ右手から、受け取ったばかりの体温計が零れ落ちた。
昨日、自ら願い出た結界をすでに忘れていたらしい。その効果は絶大過ぎたか、その場に崩れ落ちそうになった彼は看護婦に支えられながらベッドへ向かった。が、再び足を止めた彼はふと窓の外を見やる。まるで吸い寄せられるようふらりと歩み寄り、窓際に立った流川は、外の玄関から門への道をガラス越しに辿っていた。
彼はすっと、右手を上げた。
「………………」
今門へ歩みゆく、あの大きくて静かな背中を見つけたところ。
温度差で曇ったガラスの向こう、帰りゆくその人を今、人差し指にゆっくりと触れた。指先ほどに小さくなった背中をそっとなぞった。
待って………
門の向こうへ消えてしまっても、流川は冷たい窓に貼り付いたまま。
先輩………
物憂いの目で見つめる先は、すでに門しかなかった。それでも彼は、小さな残像を一筋に追っていた。
「変わんねぇで………」
……と、最後に呟く。映る窓に、極僅かな微苦笑がうっすらと浮かんだ。
彼は大人しくベッドに戻った。体温計を挟み、見舞いの品を手にする前に、垂れ込め出した外の初めの一滴を眺めていた。
そしてその一滴は、ふと空を見上げた洋平の額に零れ落ちる。
「一雨来るな」
一人呟く彼の許にメガネの彼が戻ってくる。
「ごめんね、待たせたかな」
「あ、もう?」
洋平はまだ吸い終えない一本を急いで処理し、原付に跨った。
「早かったっすね。流川どうでした?」
「それが、面会謝絶の札が掛かってたんだ。仕方ないから、見舞いは渡してもらうよう頼んで来たよ」
「面会謝絶?」
花形は洋平の後ろに跨りながら続ける。
「ああ。きっと静かに過ごしたいんだろう」
……と言う彼は、他校の流川をよく知る口ぶりだ。エンジンをかけた洋平は、ぱらつき出した車道へ原付を出しつつ尋ねた。
「流川と仲いんすか?」
「ああまあ」
「へえ、意外だな。あいつ学校じゃ誰一人友達いねぇのに」
湘北での流川楓を知った花形は、地味な含み笑いを小雨に滲ませる。
「まあ、口下手なだけできっと根はいい子だよ」
そう流川楓を語る彼は、湘北の外の流川楓を知ったばかりだ。眼鏡の前に上げた片手で、前方から吹く雨粒を避けていた。
「あ、駅向かっちまいますよ?」
「ありがとう」
花形が尋ねた。
「君、名前は?」
「水戸っす」
「水戸くん、流川とは喋らない?」
「まあ、あいつ喋りそうにないんで」
「はは、確かにそうだな。でも、水戸くんなら話すんじゃないかな」
その台詞は、今日の親切な洋平無くしては出なかった言葉だろう。
「はは、どうすかね。別に嫌いとかじゃねぇけど」
洋平の濡れ崩れた前髪が苦笑する額に貼り付いていた。
そして漸く駅に着いた頃には空が黒い雨雲に覆われていて、洋平の言った通り、そろそろ本降りが近付く模様だ。
「水戸くん本当にありがとう。何の礼も出来ないで、申し訳ない」
停車した南口前で降りた花形は、濡れた前髪を片腕に拭いながら、神妙に礼を告げた。
「気にしねぇでください。礼なら流川に貰うから。じゃあまた」
跨ったままの気易い声を受け、花形は夕刻の駅の中へと紛れ込んで行った。
「ありゃ流川の保護者か」
口端で笑った洋平は、落ちた前髪を後ろに撫でつけると、いよいよ本降りの氷雨の中へと飛び込んで行った。
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