強烈な日光をものともしないカモメがギャーギャーと騒いでいる。激しい空腹に割れるような頭痛は最悪以外の何でもなく、腕で目元を覆ったまま、まだ起き上がるのは躊躇った。
固いコンクリートの上では背中も痛く、酷い目覚めだが、ザワザワと語りかける波の音だけが心地良かった。痛つつつ……と腰を摩りながら上体を起こした。
付着した背中の砂利を払い、横を向けばそこにアベックの忘れ物を見つける。暗闇から忽如現れた洋平の所為で未使用に終わったコンドームだ。階段の逆端に昨日の今日を確認した。
そして漸く顔を前に、浮かんだ朝日と対面した。青を極めた見事な水平線を視界いっぱいに埋め尽くす。腰掛けた最上段から、キラキラと反射した海の美しさを拝んだ。が、その眩しさが今は却って頭痛に響いた。
「あーっ、まじ痛ってぇ……」
頭がガンガン鐘を鳴らす。俯いては両手に抱え、痛みを消し去るハンドパワーを信じた。やがて傍らの缶を手に、痛みと眩しさを表情筋に封じ、底を突きそうな僅かを飲み干した。ただの不味い麦芽汁、最高の朝飯だ。
勿論ハンドパワーなんてものはない。紛らわすにはやっぱこれ、ポケットに潜む残り数本だ。取り出した一本を囲った火に、口に持っていけば、肺も頷く美味さに満たされる。
そこに聞こえてきた笑い声は階段下からだ。見下ろせば、微妙にゴミの残る砂浜にボード抱えた数人がいた。蒸かした煙の向こうに、ざわめき始めた朝の海を見守った。洋平は一人、ぼんやり毒を吸いながら静かにその時を待っていた。
待ち人がやって来たのは約一時間後、背中に近付くかったるそうな足音に、不機嫌の覗く声が穏やかな潮風を遮った。
「何してんだー?」
ほーら。思った通りだ。
思わず口元を緩めた洋平は、手放した五本目をすぐに踏み付けた。
「花道ぃ、学校はいいのか?」
擦り付けた三段目に呼びかければ、背中で足音が止まった。
「またサボリか洋平」
「オメェはどうなんだよ」
そう言って、座ったまま振り向けば汚い制服の膝があり、見上げれば、伸び始めた赤の坊主頭が苦々しく見下ろしていた。
「お袋心配してたぞ?」
「あ、まじ?」
「ったく、書き置きくれぇしてけばいいだろ?」
そう吐き捨てると、花道は洋平の隣に腰を下ろした。忙しいカモメの声の下、並んで水平線を眺めた。
……やっぱりだ。花道は今日も迎え来た。そして、ここまで来てくれた。ここ、覚えててくれた。
「なんで俺がここだってわかった?」
「俺は洋平のことは何でも知ってる」
「……フッ、はははは!」
思わず噴き出してしまった。そんな真面目に言い切られても、でも少し擽ったくて、波を見つめる隣の横顔に訊いてみた。
「そんなに学校来てほしいの?」
「ああ」
「一人じゃ学校行けねぇのか花道は?」
「……………」
楽しく茶化したつもりだが、それは遠目に口を噤んだまま、怒っても笑ってもくれなかった。ハァっと嘆かわしく息を吐き、とうとう俯いてしまった。重い額を片手に支え、酷く寂しそうな顔した。
花道はズルい、そう思った。そんな表情を見たらもう胸が潰れそうになり、遣る瀬無くなる。やんわりからかった自分が惨めになる。
ゴメン花道、わかった行くから。……と、つい快諾しそうになる。そうやって俺の心を弄ぶんだ。
でも、今日はまだダメなんだ。今日は花道が絆される番だから。だから……
「花道がキスしてくれたら行くよ」
朝に相応しい爽やかな声で、眩しい日差しを片頬に乗せ、無言の隣に屈託のない笑顔を見せた。
すると漸く顔を上げた花道は、真顔で振り向き洋平をまじまじと覗き込みながら、声色一つ変えずに言った。
「わかった」
え? まじ……? と驚く間もなく、影を帯びた花道の顔がズイと迫ってくる。鋭い目つきを眼前に、透かさず鼻息が当たり、直後唇が触れた。
思いがけないことで一瞬視界がずれたが、ボケたピントを戻すと、目の前の男は赤い髪をしていた。そんな男のガサついた唇を、一方的に押し当てられるだけの無駄に長いガサツなキスを、洋平は黙って受け入れた。
が、間も無く不満を覚えた。何故ならこれはキスじゃない。
だから違ぇよ花道、これ、ただ合わせてるだけだろ? おい違うだろって、なんだよこれ? ガキじゃねーんだから。カモメにすらギャーギャー笑われてるじゃねぇか、馬鹿じゃねぇのって。……そう。こんなんで胸躍らせてる俺がさ。
「なんですんだよ!」
そう言って、不満を露わに花道の肩を押し離した。
「昨日のに比べたら何でもねぇ」
低い声音で言い切った花道だが、すぐに洋平の顔を見るなり、咄嗟に面食らったようだ。
「な…………よ、へ……?!」
目を剥き、言葉の途絶えた唇がそのまま固まっていた。
実は今これが花道に見せる初めての顔だったりするから、当たり前だ。
花道は慌ててポケットを探り出すが、当然誂え向きな物はないらしい。抱えた赤い髪をグシャグシャに掻き乱す姿にはうっかり笑いそうになった。
「な、だ、だだ大丈夫か洋平!?」
狼狽えつつ案ずる花道の片手が、その大きな手が洋平の目元に伸びてきた。伸ばした袖で恐る恐る拭ってくれた。袖の向こうに酷く不安な表情を見つけ、改めてその優しさを噛み締めた。
洋平は、そんな優しいた片手をしっかり掴んだ。何事かと見下ろす花道をじっと見据え、そして、とうとう言ってしまった。
「なぁ花道ぃ、俺と晴子ちゃん、どっちが大事?」
さぁどうする花道? 先の涙は布石だった。友情を踏みにじるための安い嘘だ。
花道は未だ困惑し、ただただ慰めの言葉を口走る。
「だ、だだ大事なのは洋平だ。た、たぶん……」
「いーよ無理しねぇで」
そう俯いて見せれば花道は益々取り乱す。……いや、尤もらしく逃げていた。
「ま……待て洋平。その、何つーか、俺大事とかよくわかんねぇから、もっとわかりやすく言ってくれ!」
馬鹿を前面に晒すことで難局を避ける、花道の得意とするところだが、今日の洋平は逃がさない。
覚悟してくれ花道……
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