Pinocchio 3 |
─―翌朝。澄んだ青空に浮く赤い太陽が今日も洋平を顔を照らし、朝の登校を賑わせる。 「ナハハハハ! だろー洋平?」 「はは、よかったな花道」 「……あ、そうだ。昨日よー、部活終わって着替えんのに部室入ったら、松井さんの写真落っこってたんだ」 「松井さん? …………確かそれ、藤井さんじゃねーの?」 「おーそうだっけ。って、なんで洋平が知ってんだよ?!」 「ははは、昨日お前の忘れもん届けた時にあったからな。で、それ今誰が持ってんの?」 「俺。昨日一応誰のだって騒ぎになったんだが、みんな知らねーって。部活前は確かにそんなんなかったんだけどよ。ただ捨てんのも悪りぃし、だから今日晴子さんに……」 つまりそれを口実に、という思惑が透けて見える花道の下心は朝から健在だ。しかし、隣を行く洋平にも別の思惑があったらしい。 「花道ー、それ晴子ちゃんに渡して、もし藤井さんが知ったら、藤井さん気味悪く思うんじゃね?」 「……ああ、そっか……だなぁ。じゃあ俺はコレをどうしたらいいんだ……」 頭をぐしゃぐしゃと掻きまわす、困難にぶつかった花道にいつも解決策を与えるのが洋平の役割だ。 「簡単だ。俺に預けりゃいい」 「……洋平に? な、なんでだ?」 「持ち主に返すからに決まってんだろ?」 「持ち主って……誰だ洋平、教えろ!」 「ははは、嫌なこった」 「なんでだよ!? 誰だ洋平! 洋平のくせに俺に秘密とは何事だ」 「はははは、俺とその持ち主の秘密だからな。さ、貸しなそれ」 にこやかに掌を差し出す洋平に対し、暫し怪訝な仏頂面を浮かべる花道だが、結局持っていても仕方ないといった具合に渋々洋平に手渡した。 「まったく馬鹿だなー安田さん。昨日そんなに良かったんだ」 ひっそり零した洋平は、初夏の快晴に似合わない、どす黒い微笑を浮かべていた。 ――そして昼休み。安田は今騒がしい教室で一人、自分の席で深く頭を抱え込んでいる。いや、昨日からずっと悩み倦んでいたのだ。まずは昨日、写真を部室に忘れたこと。それを今桜木が持っていること。もし洋平がそれを知っていたら、事情をばらされているかもしれないこと。そしてその洋平に、これから体育館裏のトイレへと呼ばれていることだ。 周囲が弁当を口にし出した頃、安田は重い腰を上げた。すでに昼休みに入ってから十五分、今にも留まりそうになる足を引き摺り、向かったのは約束の場所。日中も体育館の陰となって暗く静かな、いつもは無人の男子トイレへ。青葉のささめきの向こうにひっそり佇むその中へ。 奥の閉まった個室からはうっすらと煙が伸びていた。 居る…………――――――――。 ドアの前に立った安田は大きく唾を呑み込むと、両の拳を握りしめつつドアの向こうへ呼び掛けた。 「……よ、洋平くん?」 上擦った声に応じ、中から鍵が開けられる。キィ、と音を立てて開いた扉の奥には待ち人が立っていた。煙草を片手に、壁に寄りかった洋平が漸く訪れた先輩を窄めた目で見つめていた。 「入んなよ」 きっと知る人は少ないだろう、内側から滲み出る冷たさを纏った洋平に、安田は不安を隠しきれないまま恐る恐る足を踏み入れる。 「鍵、かけて」 言われるがまま鍵を掛けると、狭くて暗い密室の中で安田の心音のみが響き渡る。空気が淀むほどに満ちた紫煙、すでに便器に捨てられた一本と、目の前に立つ無言の男に安田はつい後退り。小さく身を竦めながらも、その緊張を打ち破るべく安田は口を開いた。 「……あ、あの、昨日の写真、桜木が持ってっちゃったんだけど、洋平くん……知らないかな?」 しかし上目遣いで窺った先の洋平は、明後日の方向を見たまま何も言わない。 「あ、あと、遅れてゴメンね? 怒ってる?」 安田が気まずそうに機嫌を窺えば、洋平は突然笑いだす。 「フッ、ははははは。まあ、怒ってねっすから」 そう嘲るように宥めると、手にしていた一本をトイレに落として言った。 「で、写真が心配だから来たんすか?」 「え? あ、まあ」 洋平はフーッと息を吐き、今一度昨日の質問を繰り返した。 「安田さん、あの子のどこが好きなの?」 「え? あー、うんと……優しそうな所、かな?」 「優しくされてーんすか?」 「……たぶん」 「へー」 そしてまたも洋平は黙ってしまった。……が、その視線だけはじっと安田の奥の本心を透かし見るように突き刺していて、隙間もない狭い密室での沈黙に安田は今にも酸欠に陥りそう。じっとりとした汗が安田の額を滑り落ちる。洋平の微かな衣擦れにすら軽く肩が飛び跳ねる。 そこでふと、洋平がポケットから例の写真を取り出した。漸く息を吹き返した安田が「あっ! それ……」と手を伸ばすが、洋平はそれを高く掲げる。しおらしく微笑む被写体をじっと見つめている。 「昨日の安田さんのがいい顔してっけどな」 「へ……?」 洋平の言葉に首を傾げる安田。その小さな顎を洋平の指が不意に摘み、紫煙漂う顔の前にグイと引っ張られてはキス……ではなかった。擦れ違った顔は安田の耳の下へ、無防備な首筋を舌でなぞっていた。 「ンンゥ……」 昨日に続く不意打ちに身を強張らせ、息を押し殺す安田に、洋平は顎を摘んだまま問いかける。 「ねー安田さん俺のこと好き?」 バカにするつもりはないといった声だが、あまりにスかしたその顔も本気とは程遠い。軽薄な告白は続く。 「これ初めての告白なんすよ。真面目に答えてくださいね」 「そ、そんな…………」 ――――という洋平の気持ちは今、実は半分本気で、半分遊びだ。ここに呼び出した昨日の約束も本気ではなかった。 脅えていた安田が今日本当に来るとは思っていなかったわけで、冷静を取り戻した洋平もそれなりに反省していたため、謝るなら日を改めようと機会を作ったに過ぎなかった。 しかしあれだけ大事にしていた写真を忘れたということは…………事実、今こうして窮しながらも火照った顔がすぐそこにあっては、洋平も止まらなかった。 「安田さんにフられたら俺、泣くかもしんないよ? いいの? 俺泣いちゃって」 耳奥に直接囁きながら、ズボンにきちんとしまい込んだシャツを引っ張り出す。下から右手を滑り込ませ、ひんやりとした掌でその体温に触れ、胸元へ、激しく乱れる心音に触れ、更にその先端に触れると洋平の口元が綻ぶ。 「ひやッ……」 安田の素っ頓狂な声を上がった。次いで与えられる過ぎる刺激に激しく身を捩り、泣きそうなまでに顔を歪め、歯噛みから漏れそうな声をはっと両手で塞いでいた。……が、すぐに慌てて洋平の腕を振り切ると、窮屈な間合いから逃れ、背中をドアに貼り付ける。視線で来るなとばかりに訴え後ろの鍵に手をかけ、わなわなと引き攣った顔で洋平に降参を告げた。 「よ、洋平くん、僕よくわからないけど、その写真返してくれなくていいから、もう、帰っていいかな……」 つまりばらされても構わないから逃してくれと請うている。 洋平はそんな安田を捕まえるでも追うでもなく、新たな一本を取り出しては淡々と問いかけた。 「そういえば昨日、あの後どうしたの?」 「す、すぐ……部活行ったよ」 洋平に嘘は通じなかった。 「へー。安田さん、下半身膨らませてバスケすんだ」 「それは…………」 ニヤリほくそ笑む年下の悪魔に安田はとうとう項垂れてしまった。 見兼ねた洋平はやんわりと突き放した。 「いいよ安田さん、返事あとでいいから。無理矢理っつーのも性に合わないしさ」 そっちの気がない人間にもここまでしないが……とでも言いた気な顔で副流煙を吐きだすと、持っていた写真を持ち主に差し出す。 「はいこれ。大事にしな」 「あ、ありがとう……」 そしてそのまま安田を帰すと思いきや、受け取ろうと伸ばした腕を掴み、さらりとトドメの口付けを。 「明日、またここで待ってますから」 昨日から相次ぐ騙し打ちに、毎度騙される安田は慌てて個室を去っていった。洋平は笑顔で見送るが、そんな二人の再会はすぐだった。 放課後のこと。今日も洋平が部の練習を見に来ていたのだ。学年が変わった今もこうして、まるで第三のマネージャーを担うべくバスケ部を応援している。いつもの光景だった。 しかし今日の安田はいつもと違った。いつもと同様、桜木を見ては笑う洋平をチラチラと気にしていたのだ。その隣には藤井がいるものの、今の彼には見えていないようだ。 オフェンスに切り替われば尚更、立ち向かうディフェンスの向こう、狙うゴールの下に洋平がいる。昼休みとは打って変わり、桜木の速攻に沸き立つあの男が………… 「……――――!!」 うっかり目が合ってしまったことで安田の動きが止まった。慌てて視線を逸らす安田だが、再度洋平に目をやれば、またもその場で立ち竦んでしまう。本来この場にない空気がその場に立ち込め、蒼褪めた安田の顔はまるで悪寒を催していた。 今、先程の桜木を見る目とは全く違う目が、部室とトイレで見たあの蔑む視線が安田を見つめていた。あの目がまた、こうして安田の心音を軋ませていた――――。 その間にも味方のシュートは外れ、気付けばディフェンスに回る番。しかしまんまとオフェンスに抜かれ、呆気なくシュートを決められてしまう。 「ディフェンスあめーぞヤス」 「ああ、ゴメン……」 その後の安田のプレイも酷いもので、案ずる声も耳に届かぬほど洋平の視線に弄ばれる。魘される。 「うぅ…………」 もう部活どころじゃない。今日は早く家に帰って風呂に入って寝て………… 「眠れる、かな……」 ――――眠れなかった。夜、自室のベッドに横たわった安田は暗闇の中で薄掛けに包まっている。頭まで被りつつも目だけが冴えている状態で、茫然と自らの胸を弄っていた。 ……今日、洋平は気付いていただろうか。トイレの中であれだけ嫌がった素振りを見せながらも、安田の下半身はしっかり熱を発していたこと。火照った吐息を漏らしていたこと。それは今も熱を帯びていて、甘い溜め息を吐き、瞳を潤ませ頬を染め、間もなく右手を下半身に送る。 「ハァ……」 今、洋平から無理に身体を甚振られているわけではないのに、必死で拒んだトイレの続きをこうして自らの手で繰り返している。洋平の愛撫をなぞるよう、痛いくらいに抓っては身悶え、零れそうなよがり声を何度も何度も押し殺す安田がいる。 やがて達しそうになったところで、安田は記憶の中に甘えていた。 「洋平、くん……もっと…………――――――」 |
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