犬猿の鎖 7

その後、別の部屋に通された。理由はそう――
「寿、1on1相手しろ」
「い、いや、これから? 室内で……?」
唖然として見回したこの部屋には、壁の棚には沢山のトロフィーやメダル、賞状に楯が並んでいて、いずれもバスケの功績だった。思えば流川の名も聞いたことあるな……と、ここでふと今度の目的を思い出す。仮に今水戸が死んでいたとしても水戸のバックはいた。プロジェクトは開始したのだから、俺もまたそれを担う一人としてその役割を果たすまで。メンバーハンティングは終わっていなかったのだ。それに、よく見ればこの流川もなかなかのイケメンではないか。切れ長の目といいサラサラの黒髪といい、不愛想を補えるだけの顔を充分に備えている。……だがその前に、これまでずっと気になっていたことを質しておきたい。
「流川も、元狼球会のメンバーなのか?」
「そう」
答えた流川の首筋にはやはり【1-RUKAWA】と記されていた。
なんとなくわかってきた。きっとこれは元狼球会メンバーの証。となれば勧誘する他ない。
「なあ流川、ここで俺と二人でやるより、また大勢で試合…………」
「早くしろ、寿が先だ」
……聞いちゃいなかった。この深夜に室内でバスケなど、しかも棚にトロフィー等が飾られた中でとても暴れる気になれない。……いや、何より悪寒を感じていた。きっと熱があるのだ。雨で体が冷え切ったせいで背中がゾクゾク、顔は熱く体が重い。疲れもあって頭も痛い……
しかし軽い眩暈でよろめく間にも流川はすでにボールを手に、それを俺にパスしようとするから、俺は正直に断った。
「や、悪い。熱があるんだ。頼むから、少し寝かせてくれ」
流川は持っていたボールを床に叩き付けると、不機嫌を露わに部屋から立ち去っていった。やがて持ってきた布団をリビングの中央に放り投げ、ぶっきらぼうに言い放った。
「じゃあ寝ろ」
煌々とした照明の真下で、無駄に広いこの部屋の真ん中で寝るというのも気が引けるが、そうも言ってられないほど体が怠い。俺は仕方なくその布団に潜り込み、固く目を瞑った。
すると程なくして、やけに聞き覚えのある音がすぐそこから聞こえてくる。ダム、ダム、ダムという、床の反動を得ては弾む身に覚えのある音……嫌な予感を承知でゆっくりと瞼を開けた。
「流川……オメェ、何やってんだ」
流川はこの部屋の中央に立ち、俺の寝るすぐ隣でドリブルをしている。
「バスケ」
見たままの行動を答える流川に対し、俺は朦朧とする意識を叩き起こすと、流川の気に障らぬよう柔らかく諌めたつもりだ。
「流川、バスケは外でやったらどうだ?」
気付けば外は静か、雨は止んでいたようだ。しかし流川は「暗い」とだけ一言。痛む頭を更に痛めてくれる。
気を取り直し、しかし体が辛いことにはやや不機嫌に、それでも流川ほどの不愛想にはない程度に諭したつもりだ。
「でも、部屋ん中でバスケやる馬鹿いねぇだろ?」
……その、馬鹿がまずかったらしい。流川は今、まるで怒りをぶつけるようボールを壁に叩き付ける。トロフィーや楯がガシャンガシャンと床に落ち、いくつか壊れてしまった。
当たり前のことを言ったまでだが、ここの住人、いや元狼球会メンバーは皆変態なのだ。そしてその変態を怒らせてしまったのは相当まずかったらしく、流川が俺の寝る布団を強引に奪い取る。そして怯える俺を見下ろすなり、こんなことを言ってくるのだからやはり変態なのだろう。
「寿は俺が好きか?」
「は? ちょっ……な、何言ってんだ流川」
「それは俺の服だ。返せ」
そう言って、俺の着ているガウンを無理矢理剥ぎにかかった。
俺は熱く火照る怠い身で必死に抵抗。
「な、待て流川、俺風邪ひいてんだっつーのに! 服脱いだら死ぬ!」
流川の手は一旦止まるが、気を緩める間もなく「じゃあ着たまま……」と俺の服の中に忍び込む。
「おい、な……クソッ、ざけんなっ!」
今すぐにでも蹴り飛ばすべきだがもう限界だったようだ。視界が崩れ天井が回る、頭が回る。
そんな状態などお構いなしに流川は服を捲り上げ、俺の胸元に舌を這わせてくる。最早風邪の所為かもわからない悪寒で硬く尖った胸の突起を嬲りながら、遂にパンツにまで手が忍び込んでくる。
終わった……――――――。意識が遠くへ飛んでいくと同時に、俺自身も消えた気がした。最後の最後という時に浮かんだのはあのふざけた大仏だった。



やがて、ふと気が付けば明らかに煙たい、焦げ臭い。俺は手放したはずの意識を手繰り寄せ、それを開けたばかりの視界に繋げた。
「な…………な…………!」
燃えていた。壁が、家具が、天井が……
しかし流川は依然として俺の萎えた性器に触れ続けている。
「おい流川逃げるぞ! 火事だ! わかってんのか!」
すでに熱があることなど忘れていた。熱なんかより火はもっともっと熱いのだ。
俺はイカレた流川の手を掴み、すでに火の海と化した家を彷徨い出口を探す。目を開けるのも熱く、呼吸をすれば死んでしまう。いつ何が落ちてくるかもわからない、メラメラバチバチ云う壁が、天井が焼け落ちては逃げ道が塞がれてゆく中、やっとのことで火と火の間に外へ抜け出る道を見つけた。
「おし、流川行くぞ!」
流川の手を引きながら一目散に駆け込み、そしてどうにか外に飛び出せた。が…………俺は飛び出した瞬間、うっかり流川の手を離していたようだ。するとまるでそれを遮るように、開いていた抜け道が今うねる炎で覆われる。すでに流川の姿は見えなかった。
「な……おい、流川出てこいっ! 早く出るんだ!」
外から家に向かって叫ぶが、流川が出てくる気配はない。
「おい流川!! おい、流川ーっ!!!!」
火は家ごと呑み込んでいた。この燃え盛る火の中へ流川を助けに行くなど、自殺行為に等しい。
「おい……嘘だろ……」
まさかの火事に、目の前で流川を見殺しにしたことに俺はその場で立ち尽くしていた。何故こうなったのかを考えたところで流川は帰ってこない。こうして待っている今も姿を現さない。
「クソッ…………」
仮にどんな変態でも一人の人間であり、虫や動物のように殺されていいわけがない、放っておいていいわけがない。つまり誰にでも人権は保障されるべきだと、思ったのはつい最近のこと。嫁から離婚を突き付けられ、金がなければ生活もままならない中、人である自分自身を手放してからだった。落ちぶれたことで悟った、というより単に痛みを知った。仕事がない、金がないだけでゴミ同然に扱われるなら俺もまた気が狂い、遂には発狂して変人と化していたかもしれないのだ。そう、ここの住人と同じように――。このご時世、誰もがそんな可能性を抱えているなら、そうなる前に再生する機会を与えてやる。それが人として生きる権利でもあるのではないか。俺は奇しくもそれを手にしたが、きっとここの住人にはまだ与えられていない。だから――――――
……と考えていたところに今、物陰から俺の様子を窺う人影。――――どあほうだった。ひょいと現れては俺の許へ駆け寄り、服の端と引っ張ってくる。
「よかった……お前は無事だったのか」
顔を見て安心すると同時にふと怖くなった。もし今流川が死んでいたとしたら、俺は放火殺人犯として真っ先に疑われるのではないか? 健気に警察に通報したところで俺はアリバイなしの第一発見者、無一文に無職とくれば誰から見ても容疑者だ。冷静に考えるほどこの状況は非常にまずい。
「なあ、俺、何もしてねーよな?」
唯一の証人であるどあほうの腕を掴んで問い質せば、どあほうは黙って頷く。
「よし、いい子だ」
庭には流川が送ってくれた車があった。キーがかかりっ放しのそれにどあほうも連れて乗り込み、俺たちは逃亡した。すっかり雲の引いた東雲の下、水戸に負けないスピードで燃え続ける流川の家から遠ざかっていった。




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