犬猿の鎖 5 |
翌日。メンバーハンティング三日目は予定通り水戸が同行。午前中から水戸の運転するバイクの後ろに跨り、振り落とされそうな身を支えながら景色の良い裾野を下っていた。 「で、水戸さん今日はどこ向かってんですか?」 「今日はですね、少し観光しようと思いまして」 「観光? そんな時間ないですよ、早くメンバー探さねーと。そもそもこの辺鄙な町に観光すっとこあんですか?」 「ございますとも。それはそれは立派な仏像がございまして。三井さん、先日から何かとストレスを溜めておられるようですから、ここは少し癒されてはいかがかと」 「はあ…………」 ストレスは溜まっているが、何故仏像に癒されなければいけないのか。今はこの超スピードに耐えることでいっぱいだった。 そして、辿り着いたのは無人の駐車場。バイクを降り、到着前から嫌でも見えていた雄大なご神体をいざ目の前にする。いや、大きな山と山の間にデカデカと居座る仏像の、今にも雲に届きそうなそのご尊顔を見上げている。 「………………」 全身が銀色で、メガネだけが金色に塗装され、それらしいポーズはとっているがなぜかバスケットボールを手にした肥満体型のオヤジモデルだ。……もはや開いた口が塞がらなかった。 「どうですか三井さん、もっと近寄ってみます?」 「いや……結構です」 一体何が楽しくてこのふざけた仏像を観光しなければならないのか。そもそも誰がこんなふざけた仏像を建てたのか。理解に苦しんでいると、水戸が仏像に対する解説を始めた。 「これはですね、何でも塗装が半端なまま打ち切られてしまったようで。だから眼鏡だけ金色なんです」 「はあ、でも知りませんでしたねぇ、こんなデケェのがあるなんて」 「さようでございますか。ちなみにこの仏像には名前がございまして、『白髪仏』と申し、ある人物が自らをモデルに作らせたようです」 「へー」 「いやあ、全くもって慈悲深いですね。この御方がいなかったら今の私もないくらい、いや本当に、全くもって……」 水戸が慈悲深さを訴えたかと思えばそのまま黙り込んでしまった。さて何事かと見守っていると、依然として下を向いたままの水戸が、その両肩が小さく肩を震え出した。 「ど……どうしたんですか水戸さん?」 返事はない。まさか、泣いてるのか……? 大仏の慈悲深さあまりに……? 「水戸さん何も泣くこたないでしょう? なあ、ちょっとマジかよ」 これまで何かと淡白だった水戸の見せる感情の昂ぶり……意外性というのだろうか。俺はこの人を疑っていたかもしれない。度の越えた偶像崇拝といえ、ここまで慈悲深い人を見るのは生まれて初めてだった。 水戸の肩は次第に大きく震えだした。そして頭を上げるなり―――――― 「……くっ、なははははは!」 「な、泣いてない!?」 ……なんと紛らわしい。水戸は腹を抱えたまま白ける俺の横で笑い続けた。 「泣いてた? ワタクシがこの大仏を見て泣いていたですと? ははははは! なんと馬鹿らしい。大体、よくもこんなふざけた仏像……なははははははは!」 「水戸さん笑いすぎっすよ……」 それでも水戸は笑い続ける。 「ひぃ〜はははははははは! はぁ、もうまじウケるっつーの、なははははは!」 目に涙を乗せイカレたように笑い声を上げ、やがて………… 「ははははははっ、はっ…………ゲホッ、……ウォエ、ウ、ック…………」 昨日と同じ。苦しそうに咳込み胸を押さえ出した水戸はとうとう白目を剥き、やがてぶっ倒れてしまった。 「な……ちょっ、水戸さん!?」 体を揺するが返事がない。ピクリともしない。まさか……死んでしまった――――!? 冗談じゃない!! 焦った俺はバイクへ、水戸の所持していた鞄を取り出し、昨夜飲んでいた薬を探る。あった! と取り出した白い粉はやはり怪しい。注射器まで出てきてはもはや確信に至るが、勘ぐっている暇はない。粉を無理矢理水戸の口に押し込んだ。しかしぐったりした水戸は飲み込んでくれない。埒が明かない。 次に水戸の鞄にあった携帯電話を取り出し、すぐ百十九番に頼るが……圏外だった。俺は公衆電話を探しに向かう。途端、激しい雨――。忽ち雷鳴も轟く中、バケツをひっくり返したような雨に早くも全身がびしょ濡れ。目を開けるのも難しく片手で視界を確保、公衆電話を求め突っ走ったはいいが、突如垂れ込めた黒雲で辺りはすでに真っ暗だった。重くなったジーンズが走る度にボテボテ音を立て、気付けば戻る道もわからない。 「クソ、ここはどこなんだ」 そして、また誰もいない……… 「だークソッ、何なんだよここはっ!!」 今は公衆電話より己の身が優先だった。雨に打たれ続けた体は芯から冷え、暫くの間くしゃみが絶えない。どこか雨宿りをと辺りを彷徨い、通りかかった空き家らしいの敷地内の屋根の下で蹲った。雨は一向に止まなかった。 あれだけ晴れ渡っていた空が急激に垂れ込めてからどれ程経ったのだろう。取り留めなくザーザーと雨打つ音を聞いているだけで悪寒が襲う。俺はこれ以上水分を含まない服を全て脱ぐことにした。どうせ誰もいないのだから、身を守ることが先決だと服を絞る。絞る指先の感覚もなく、「あー寒みっ」「うー寒みっ」とでも呟いていなければ俺も死んでしまう気がした。 水戸はどうなっただろう。他に観光客が来れば救われるはずだが、その望みは薄い。そもそも駐車場からここまで人一人見掛けないとは、やはりこの町はおかしい。町も人も天気もおかしい。それでも今は、おかしかろうが正常だろうが人であれば誰でも恋しかった。誰でもいい。このまま雨が止まず救助もなければ、俺は全裸で凍死するかもしれない。せっかくバスケに返り咲くチャンスを掴んだばかりだというのに、メンバーすら集まらぬうちに終わるとは、やるせない。まだまだ終われない。だから、誰か…… 「誰か………………!」 本当に窮した時に祈りが叶うか否か、それで神のご加護の有無が見えてくる。 今、どこからか車の近付く音と光。その光に導かれるよう、俺は全裸のまま慌てて車道に飛び出した。 「す、すいませーん!」 車は急ブレーキ。程なく運転席から現れたのは背が高く無表情な男だった。……いや、無表情ながら全裸の俺を不審な目で見つめていた。 「ああその……服濡れちまってさ。道もわからなくて、あっちで雨宿りしてたんだ。怪しいもんじゃねー。だから頼む、俺を助けてくれ!」 裸を隠しながらの拙い言い訳と心からの祈り……神のご加護はきっと、今日の大仏が呼び寄せてくれたに違いない。 「わかった」 男は了承してくれた。 「風邪ひく、乗れ」 男に促されるまま俺は全裸で車に乗り込む。男はタオルを貸してくれる。顔は暗くてよく見えないが、尻を叩かないレイプもしない、今のところたかられもしない。少しはまともなヤツだろうと、俺は雨の当たらない車内で安堵の息を吐く。同時に意識が薄れゆく。 |
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