犬猿の鎖 2

翌日。俺は電車に揺られること数時間、駅弁で昼飯を済ませ、水戸の言っていた駅で降りた。とりあえず、と水戸に手渡された軍資金を鞄に改札を出るが、なんせ初めての土地だ。廃れた駅前商店街が目の前に広がっているだけで右も左もわからない。まずは地図が必要だ。
丁度出口から道を跨いですぐのコンビニが見えたので、早速自動ドアの前に立った。が、様子がおかしい。客の掻き入れ時であるこの真昼間、薄暗い店内に誰もいない。何より自動ドアが開かない。二十四時間営業と謳っていながらなんの理なく店を閉めているとは何事だ。
……いや、すでに嫌な予感がしていた。無人の改札を出てからというもの俺は人一人影すら見ていない。気付けば人の声、人の気配に少しでも触れたい自分がいて、辺りを隈なく見回していた。そしてふと目に付いたのが建ち並ぶ商店街の一軒、チエコスポーツだった。
他の店舗と比べ目立つ幟が出ているわけでもないが、チエコスポーツの看板にバスケットボールが描かれていた。俺はそこまで歩きつくと迷わず店に入っていった。
「いやぁいらっしゃい。ゆっくり見てってね」
スポーツ用品の並ぶ棚の奥から顔を出したのは髭を生やした気の好い店主だ。ぐるりと店内を見回せば、話声こそ聞こえないものの他に数人の客もいる。漸く見つけた人の声、人の笑顔には安堵の息を吐くばかりだった。
「えっと…………」
早速地図があるか尋ねようとしたが、先程から店長は俺の顔をまじまじと見つめている。そして言い当てたのだ。
「あれ? もしかして君、元湘北の……三井君?」
「え? ああまあ」
「へえ奇遇だね。またなんでこっちに」
「ああちっとばっかし用足しがあって、それで地……」
「あの三井君じゃないか。怪我で引退した時は本当に驚いたよ。俺も応援してたからね」
「あ……ああ、ありがとうございます。で、この周辺の地図ありませんか?」
「あるよ。待ってね」
そう、店主がレジの奥に向かうその向こうに飾られたジョーダンシリーズを見て、俺は納得した。店主もバスケが好きなのだ。だから今日の目的地に近いこの地に店を構え、この寂れた商店街で唯一客が入っている。そう確信した。
ただで地図をもらうのも悪いかと、俺は最近のバスケ雑誌を手に、それをレジに差し出した。
「あい、760円ね」
「あ、領収書付けて」
水戸に言われた通りそこはきっちり願い出る。
「宛名は?」
「狼球会」
当然のように俺が口にした途端だった。それまで親近感すら覚えていた店長の愛想笑いが急に引き攣ったのだ。
「三井君冗談はいけないよ」
「え?」
バスケが好きで狼球会を知らぬものはない。しかし今は解散していて、今度俺がメインで復活することはまだ誰も知らない。今は過去の遺産でしかないのが周囲の認識というわけだ。
「とりあえず、書いといて。そんで、狼球体育館ってこっからどう行きゃいんすかね?」
――予め水戸に伺ったその狼球体育館近くでメンバーハンティングをする、というのが今日の予定だった。しかし目的地を告げた途端、またも店主の様子が急変したから俺もわけがわからない。
青褪めた顔で立ち尽くす店主を前で俺もまた立ち尽くしていると、気付けば周囲の客からも不審な目を向けられている。狼球体育館はどこか、それを尋ねただけなのに、この状況はまるで店主を脅す強盗扱いだ。
「だ、だだ誰かーっ!!!」
依然として俺に脅えた店主がとうとう悲鳴を上げた。すると客が一人、まるでカリメロに似た容姿の男が透かさずレジに駆け込み、「どないしたん!」何故か関西弁で事情を伺う。
店長は恐る恐る俺を指さしながら声を震わせていた。
「ろ、ろろろ狼球……か………………」
聞いたカリメロは悪い目つきを更に尖らせ、俺を睨みつける。そして、どういうわけか襲いかかってきたから俺も慌てて逃げるしかなかった。
「な……ななななんでだよ!?」
未だ事情を呑み込めないが追ってくるなら逃げるしかない。店を出て、相変わらず無人の商店街を駆け抜け、閑散とした道路の脇をただひたすら突っ走る。脇目も振らずフルスピードで気付けば戻る道もわからず、好い加減振り切れただろうと振り向けばカリメロはまだ追ってくる。後ろを振り向くごとにカリメロとの距離が縮まってゆく。
俺とて仮にも元バスケ選手、足の速さではまず負けないわけだが、追ってくる男もそれなりに背が高く走り方も素人じゃない。そもそもスポーツショップにいたのだから何かしら精通している可能性は高く、今カリメロの手が迫ってきたところで歩道を逸れ、浅い雑木林に転がりこんでは辛うじて逃れたところ。
いやそれでも追ってくる……もう足が重い、上がらない。生い茂る林の奥に見えないはずのリングが見える。元々体力がない上に怪我で引退していた身だ。もう、ダメかもしれない。ポカリが欲しい。オフェンスだから今はディフェンスだっけ……ああもう捕まる――――――
……諦めかけたその時だった。林を抜け再び躍り出た広い車道に[空車]のタクシーが止まっていたから、親切にドアが開いていたから俺は透かさず乗り込んだ。
「おいちょっと、急いで出せ! 出してくれ!」
運転席の男を急かすものの、全く動じないどころか返事もない。ウェーブのかかった長髪と着崩した制服からどことなく素行が知れるが、休憩中でもないならただの職務怠慢だ。
運転席背中に貼られたプロフィールを確認し、今にも迫りくるカリメロを恐れてはあくまで正攻法として運転手を脅した。
「なあ、あんた岸本さんっていうの? ここに名前も写真も出てんだから、真面目に仕事しろよ! この豊玉タクシーに電話してクレーム出すぞ?」
ここまで言って運転手は漸く振り向いた。
「なんやあんた? どこ行きたいって?」
そんな岸本の首に『3-KISHIMOTO』とIDのような記号が印されていたが、今はそれどころではない。……いや、遅かった。
「出ろオラ!」
開いたままのドアから身を乗り出したカリメロにとうとう捕まってしまったのだった。
一体なんでこんな目に……と力を落とす傍から岸本がカリメロに話しかける。
「南か。コイツ何したん?」
「ああ、体育館やて」
「ほんまかいな」
まるで気の知れた者同士の馴れ馴れしい会話と嘲笑……まさか、コイツらグルかよ!?
思った時にはもう遅く、カリメロもとい南の強力な腕力により俺はタクシーから連行された。
「なあ、俺何もしてねーだろ?」
道端で強引に引き摺られながら南に悪態を吐くが一向に無視。続いてタクシー降りた岸本までが俺の手首に縄をかけ、両脇からぎっちり囲まれる。そしてどこかに連れて行かれる…………
「おいどこ行くんだよ! だいたい、あんたら何の権限があって俺にこんなことすんだ! おかしいじゃねーか!」
詰る言葉を散々ぶつけようと手縄を掛けられては逃げることもできず、ただのスポーツショップにいた客とタクシードライバーの二人に黙々と連れて行かれるしかなかった。
そうして着いたのが、『立ち入り禁止』の掲げられた見るからに怪しげなコンテナ。入口の南京錠には『鍵を壊すな!』と手書きの忠告があるが、それは南の取り出したバールにより難なく破壊されてしまう。
「おい、嘘だろ…………」
コンテナの中に入ればそこはどことなく懐かしい臭い。確かバスケ現役時代、猛々しい男たちの若い汗と青春が記憶の内に蘇るが、辺りを見回してもまた懐かしいのは正に記憶と被ったからだ。
日も射さず薄暗い中でも確信が持てる。壁沿いに並ぶロッカーは穴が開いたり落書きがされていたりするものの、そこからはユニフォームが垂れ下がり、ベンチには紙焼けしたバスケ雑誌が数冊放られ、奥にボールが転がっていればあえて質す必要もなかった。破られた壁のポスターが、ジョーダンが言っている。ここはバスケ用の控室なのだ。
しかし何故ここが立ち入り禁止なのか、どうして俺がここに連れてこられたのか、これからここで何が始まるのか……未だ繋がれた手縄を見下ろしては冷や汗が零れる。やっと両脇を解放したこの二人の目的とは何なのか。
「なああんたら、そろそろ訳を言ってくれてもいいんじゃねーのか? こりゃ歴とした誘拐、拉致監禁罪だぜ?」
あくまで一人間の権利を精一杯訴えると、南は持ってきたモップの柄で俺を思い切り叩きやがった。
「痛っっってっ! ちょっ、何すんだオメェ! ここまでくりゃ暴行罪、いや殺人未遂だ!」
大袈裟な脅し文句ではない、これは事実だ。叩かれた額は痛いし視界も揺らぐ。僅かながら血も出てる。それでもいざ警察沙汰となった時に自分が不利にならぬよう、言葉で正当に追い詰める俺は意外と冷静だと思った。
しかし、相手はもっと冷静だった。
「黙りぃや」
真顔で詰め寄る南により、俺は程なく押し倒された。
「な、何する……!」
動揺する間にも着ていた服に手をかけられ、シャツを捲られ、中のティーシャツにまで南の手が滑り込む。両手が不自由なら両足で抵抗するが、それを今岸本に押さえられたところ。……冗談じゃない! 更に足をバタつかせるが、またもモップの柄が飛んできた。
「痛ってーなこの!」
文句を言えばまた容赦のないモップ攻撃。痛みで目が眩む合間にとうとう上半身を捲り上げられてしまった。
「おい、テメー、やめ……ろ…………」
今度は晒されたアバラを打たれる。骨までいったか息も苦しく、もう抵抗出来る体ではなくなった。モップの鞭はあまりに強力で、全身が痛み動けない。手縄を掛けられていては尚更敵わない。
ぐったりと身も意識も放り投げた俺の胸に、今南の舌先が滑ったようだ。俺はぼんやり天井を見つめながら、薄れゆく意識の中で最後の抵抗を声に託した。
「や……め……………」
最後のモップを食らった。頭に受けた衝撃で、俺の意識は天高く飛んでゆく……
同時に視界も徐々に消えゆく中、俺が見たのは南の首筋だったのだろう。
『2-MINAMI』
岸本と同じように記されていた。




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