犬猿の鎖 1 |
「三井……もうあれから何日経ったと思っとる! 今日こそ家追い出すぞテメェ!」 妻の晴子が先日離婚を突きつけてきたことで、それまで妻の実家に生活費を頼っていた俺は、今、義兄である赤木剛憲に早く家を出ていくよう、玄関先で怒鳴られていた。……当然だ。ここは不動産屋を営む赤木の土地、そして結婚を記念に赤木の義父が建ててくれた一軒家。すでに晴子が実家に帰った今、義理の弟に住ませる義理などないわけだ。 「待ってくれ赤木、仕事がないんだ。すぐにでも探して金作っから、それまで待ってくれ。頼む、お義兄さん……」 こうして頭を下げるのももう十回目だった。加えて赤木には借金もあり、今家を出されてしまってはそれこそ仕事にありつけず、お先真っ暗。だから今も近所に聞こえるように怒鳴る赤木になんとか頼み込み、最早ゴミ屋敷と化したこの家で一人塞ぎ込む毎日。もうやってられない。 ストレスに耐えかねた夜、俺は行き着けのスナックに出向いた。元マネージャーの美人ママ、彩子のいる店だ。 かつてバスケでもてはやされていた時代は俺も羽振りがよく、客足がまばらだった頃も何かと仲間を引き連れては通ってやったが、そんな彩子までが態度を変え出したから俺もニコニコしていられなかった。確か二年前、俺がバスケを辞めてからだ。徐々に素っ気なくあしらわれるようになり、今日もいい感じに酒が回ったところで店を出ようとすると…… 「ちょっと三井先輩」 彩子はまるで汚物を見るような目で俺をハリセンで叩き出す。 「うちに無職野郎に飲ます酒はもうないのよ、もううちの店には来ないで頂戴! わかったわね!」 俺に恩こそあれ恨みなどないはずなのに、店の外へ放り出されてしまった。時間の問題ではあったが、とうとう出入り禁止を食らってしまったのだ。ここが最後の店だった。他の店はとっくに出入り禁止を食らっていた。当然だ。ツケツケツケで一度も払ってないのだから。何より赤木家の息のかかるこの地区で飲み歩くことすらもう許されない。それでも多少昔の俺を思い、彩子だけが迎えてくれたわけだがそれも今日で終わり。近所を歩けば白い目で見られることにも慣れてきた。――――こうやって、徐々に人が離れていった。 「ハァ、仕事か……」 仕事などしたことがなかった。いや、バスケで知れていたおかげかコネを使って入社は出来た。だがすぐに遅刻、ヘマをやらかしてはまるで一週間も続かなかった。仕事を紹介してくれたヤツは皆、そんな俺を見放していった。 まさに崖っぷちだ。何かしら仕事に就かなければ生き残る道はない。しかしいったいどんな仕事なら出来るというのか。学力も体力もなくてはきっとどこも雇ってくれない。バスケの他に何か手に職をつけておくべきだった。 「手に職………………」 ふと、視線を両手に落としては過去を、過去の栄光を振り返ってみる。職と言えるほどの実力が残っているかはわからないが、自分に残るのはやはりバスケしかないのかもしれない。いつかMVPを掴んだこの手はきっとまだ、諦めていない。何故ならそう、俺は諦めの悪い男、三井寿なのだから―――――――― ――そんなある日のことだった。今日も真昼間からけたたましく玄関のベルが鳴り、早速頭痛に侵された俺は布団を頭から被る。きっとまた赤木の退去命令だと、ここは居留守を決め込むが………… 「…………だーっ、しつけっ!」 居ることはわかっている、とでも言いたいのだろう。そりゃそうだ。行く所はもうない。俺は仕方なく玄関を開けた。 するとそこに立っていたのはあの大柄な赤木ではなかった。 「あのー、こちら三井様のご自宅でいらっしゃいますか?」 それは今時リーゼントを決めたボスらしい男を筆頭にヒゲ、デブ、金髪の四人。如何にも金満そうなスーツを着込み、なんとも胡散臭い笑みをタバコの煙越しに並べている。……まるで知らない。 「ど、どちら様で……?」 「えっと、三井様のお宅でいらっしゃいますでしょうか?」 「ああ、俺だ」 「三井寿さん、ですね?」 「ああ」 「あの3Pの達人の」 ボスがそう言った途端、後ろの三人が「よっ、達人!」と紙吹雪を巻き上げる。これは益々胡散臭い…… 「ああ……まあ、昔のことだが」 するとリーゼントのボスは丁寧に名刺を差し出し、「ワタクシこういう者でして」と漸くその名を明かした。 「なん……だと…………?」 俺は絶句した。 【ジャパンバスケットクラブ 狼球会 代表:水戸 洋平】 狼球会――過去有り余る資産で日本中の実力者を集い、一時期は国内トップに君臨し続けたバスケ界の超大物クラブ。最近はめっきり名を聞かなくなったが、過去バスケに通じていた自分には未だ超大物クラブである。 「……で、このクラブがうちに何の用で?」 すると名刺を差し出したボス水戸が、俄然、先程までの低姿勢を崩した。取り出した煙草を片手にフゥ、と一息、昨今のバスケ事情を悠長に語り出した。 「いやあ、時代は変わりましてね。いくらバスケの実力があれど、金は顔のあるチームに流れる。実力なんてオマケに過ぎませんで。流行とは残酷なもんです。……しかし弱すぎても注目してもらえない。双方に重きを置くべきとして、一に顔二に実力というわけですな」 「へぇ。……で?」 「で、我々が目を付けたのがあなた、三井さんです。いやあ、今も実にいいお顔をなさってる……」 水戸の浮かべた下品な笑みにゾゾッと悪寒が走るが、これは歴とした勧誘だった。あの狼球会からのスカウトだった。 「そこで三井さんをメインに、日本一のイケメンバスケチームを作ろうと思ってましてね」 「イケ……メン…………」 俺は調子に乗った。毎日毎日底を覗く崖っぷちの人生に漸く救世主が舞い降りたわけだ。 ……が、勧誘に続く水戸の話はバスケ以前の問題だった。 「しかし、バスケは団体競技ですから、メンバーが必要です。そこでぜひ、三井さんにはまずはメンバーハンティングに出向いていただきたい」 「え? メンバーいねーんですか?」 「いえ、もちろんおりますよ。ですが、しばらく狼球会を解散している間に皆バラバラになってしまいまして、まるで連絡がつかない。何人かはある街に残っていることは確かなんですけどね。ですがワタクシも色々忙しくなりまして、その、メンバーを探す時間がないのでございます」 「え? じゃあ、俺がそれを?」 「もちろんそれなりの報酬、そして経費はご用意いたします。皆実力はございますから、あとは三井さんの気の合う、そして良き顔を揃えていただきたい」 「はあ……」 「以上です。と言っても、三井さんも急な話で驚きでしょう。明日またお伺いしますので、それでは後ほど」 一方的に事情と条件を言い切ると、代表水戸率いる四人はまた騒がしいオープンカーに乗り込み、賑やかに去っていった。 ざっと三十分。今日初めての訪問からまさかのこの展開……人生何が起こるのかわかったもんじゃない。そりゃ急な話で驚きだ。今も玄関先に突っ立ったまま受け取った名刺を見つめている。 ――――狼球会。バスケをやるヤツで知らぬ者はない。確か晴子と結婚後、俺が怪我で引退すると同時に忽ちバスケ界で名を馳せた。それが最近名を聞かなくなったのは解散していたからなのか。それをこの度、水戸の言っていた一に顔二に実力として復活させようとしているのか。俺が、そのメインメンバーとして………… 何よりバスケをさせてもらえる。加えて金が入る。そのメンバーハンティングとやらをこなせばまずはその報酬が入る。若干胡散臭さが拭えないだけで悩む理由などなかった。家を出る必要のある今は、今すぐにでもそのメンバーハンティングとやらで金を、そして好きなバスケでまた金のある人生を送れる。夢を見たらきりがない。 だったらもうこんな家ともおさらばだ。俺は家中に散乱する大量のゴミを玄関に纏め上げた。別れの近いこの家を少しは綺麗にして赤木に返そうと。とても運びきれる量ではないが、まあ出来る範囲で。 翌日、さっそく玄関のベルが鳴った。水戸に快諾の旨を告げようと俺は玄関へ躍り出たが、積み上げたゴミの向こうから聞こえてきたのは赤木の大声だった。 「ぬ……ぬゎんだこれはぁっ!!!」 ゴミ山で姿は見えないが、そのゴミ山に向かって怒っているのは確かだ。 「あ、赤木これは、今日片付けようと……」 しかしそんな言い訳など聞く耳持たず、今日も飛び出したあまりの怒声に大地もが震えだす。 「何が片付けるだ! よくもまぁこんなにもゴミを溜め込んで! ここはゴミ処理場じゃない!」 すると重ねられたゴミもゆらゆらと揺れ出し、これはマズイと慌てている間にも赤木の上へと崩れ落ちてしまった。 「ヌォ、ウアーッ!!!」 漸く姿の覗いた赤木はゴミ山に埋もれ、倒れていた。 そこに、「こんにちは」と開いた玄関から昨日の胡散臭い笑みが覗く。 「あ、水戸さん……」 すぐにゴミから赤木を救出したものの、それは後頭部をから倒れた所為で怪我を負っていた。そんな赤木を水戸らのオープンカーで病院へ運び、今、その赤木に睨まれているところ。 不可抗力ではあるが責任を問われればやはり俺の所為。ゴミは凶器にもなると知った。 気まずい俺は赤木から視線を逸らすべく、水戸に昨日の返事をする。 「昨日の話、ぜひお受けしたいんですけど」 「そうですか、それはよかった。ではですね……」 |
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