Boys love 7 |
片手にスケッチブックを抱え、いってきます、とサンダルを履いて玄関を出ようとしたら、お母さんに呼び止められた。 「どこ行くの?」 「んっとー、松井ちゃんち」 そ、と言うだけで見送りもなく、家の外に出た私は頭上から直射日光を嫌い、片腕で影を作った。生温い暑さに気を取られ、無意識に松井ちゃんちの方角に向かってふと踵を返した。 じゃなくって、とキュロットのポケットからメモを取り出し、まずは駅へと向かう。思えばすっかり夏休みで、駅舎へと入っていく人のほとんどが海を目指してた。中には同じ学校の後輩なんかもいて、他校の彼氏と共に浮輪なんか持ってきてる。そこに去年の自分を重ねれば、私の隣を歩く安田さんがきっとはにかみながら拙い話をしてくれるのだろう。私からさり気なく手を繋げば、ビックリしながらもそっと握り返してくれる。二人で視線を逸らしながら……そんな淡い恋愛が待っていたはずだった。 思えば安田さんは今どんなキャンパスライフを送ってるんだろう。塩崎さんや角田さん、それに宮城さんとも会っているのかな? きっと同じ夏休みを満喫してるはずだけど、噂の好きな人には振り向いてもらえたのかな……? 正直なところナイと思ってた。だって安田さんは水戸くんの何に惚れたのかがさっぱりわからないから。外見の男らしさとかああ見えて実は優しいとか良いところは沢山あるけど、それで尻を狙ってるってことはずばり安洋でしょ? ずばり抱きたいってことでしょ? そんなの絶対恐くて出来ない。冷たく据わった目で「あ゙?」とか言われそうだし、安田さんもそこまでして抱きたいってタイプでもないと思うし、それに、水戸くんが「しゃーねーな」で受け入れるとは到底思えない。 今となってはまた水戸くんの冗談のような気がして、真相を知りたいとも思わなくなってた。今日もまたそんな冗談を言ってくれたなら、いっそ笑って楽しく過ごそうと思う。ここまでしてもらって今更怯えるのも違うと思い、何も気負わずに向かった。電車に乗って駅を出て、メモにある道を辿り、青い屋根の二階建てアパートに辿り着いた。 そして階段を上がり204号室のドアの前で、遅まきながら水戸くんの言った『一番見たい物』に嫌な予感が走った。それが何なのかは見当もつかないけど、ここで改めて思い出したのが水戸くんの恐さだ。 味方でいる内は頼もしいけど、敵にした途端、何が飛んでくるかわからない。腕力でも恫喝でもない、目に見えない威圧は相手を把握した上で最も効果的な威嚇をしてくる。把握する、だから恐い――――。 そして、それは当たってた。 ピンポンを押す指を宙に留めたままやっぱり引き返そうとしたら、中からドアを開けられてしまった。足音でわかったのか、目が合った瞬間から私はここに来たことを後悔した。 「藤井さん、どうしたの? 上がんなよ」 やっぱり、やっぱりこの人ってなんか恐い。開けたドアを片手で支える、半袖シャツにジーンズといった爽やかな装いの彼の、このなんでもない見慣れた笑顔が今はものすごく恐い。だって、絶対に何かある――――。 「あ、い、いえ……」 躊躇いも覚束ず立ち竦んでいると、水戸くんの腕が伸びてきて私の腕を掴んだ。 「いーから上がんなって」 そのまま玄関へと忽ち引き摺られ、背中のドアが閉まるとすぐ、奥の部屋から人の呻き声が聞こえてきた。 「え? な……何? 何なの?」 うー、うー、と言うだけの言葉にすらなっていない声に最早正気を保てず、私はすぐ引き返そうとするけどすでに鍵が掛かってた。どうしよう、と冷や汗かきながら困惑する私を、水戸くんがいつも通りの落ち着いた声で呼び止めた。 「何してんの藤井さん? もう彼待ってるから、早く描いてやって」 「え? 描く?」 聞き返した私はすでに今日の目的を忘れてた。でも彼がすぐ思い出させてくれる。 「性描写と絵の参考っしょ? お茶菓子も用意しといたから」 「あ、そうだけど…………え?」 まさか…………参考って、つまり本物の人間ってこと!? 一体誰を? この204号室は1DKで、入ってすぐ脇の脱衣場に水戸くんの制服のシャツがあったことから恐らく彼は一人暮らし。高校生にして自立した自由な空間に彼はあくまで参考として人を招き入れ、それを先の部屋に待たせている。 私は水戸くんの背中に続き、開けられたドアの向こうへ、参考とされる人物がいるその部屋へと足を踏み入れた。 「お、お邪魔しま………………」 窓からの強い日射しを存分に取り入れた、シンプルで雑然とした六畳の部屋に、その中央奥のベッドにその人は座ってた。トランクスパンツ一枚で両手は後ろで縛られ、目にはアイマスク、口には後頭部から猿轡のようにタオルが巻かれ、何を言っているかわからない。ただ、情けなく眉尻の下がったその人が誰なのかはすぐにわかった。 「や、安田さん…………?」 まさかこんな形で元彼と対面するとは夢にも思わなかった。引き合わせた当の水戸くんはローテーブルの前にクッションを置き、こっち、と私へそこに座るよう促す。 でもそんな悠長に寛ぐ気なんかなれない。安田さんは一体何をされてるの? なんで水戸くんちにいて、なんでこんな格好してるの? 安田さんは声で私に気付いたのか、あらぬ方向を見つめながら先程より高い声を上げた。 そんな彼を、水戸くんがあしらうように慰めた。 「安田さんそんな興奮しないでよ。すぐ終わっから平気だって」 ここであれ? と抱いた違和感は水戸くんの口ぶりだ。仮にも先輩に対してあまりに無遠慮というか、寧ろ先輩を下に見ているというか、そもそも、思えば二人の接点が噂以外に見当たらない。そこに気付くのが少し遅かった気がする。水戸くんから見た安田さんは桜木くんという友達が属するバスケ部の先輩で、安田さんからすれば彼はバスケ部の後輩の友達。別に仲良くなるのが変だってわけじゃないけど、二人が仲良くしてる姿を一昨年も去年も見なかった気がする。軽く言葉を交わすことがあっても、互いの家を行き来するような親しさは見えてこなかった。 私はドアの前に立ったまま、グラスにお茶を注ぐ水戸くんに尋ねることで状況を呑み込もうとした。 「えっと、なんで安田さんがいるの?」 「そりゃあ藤井さんのためだって。あの受けのヤツ如何にも安田さんっぽいなって思ってさ」 まあ……言われてみればなんとなく、無意識に重ねてたのかもしれないけど、でも、なんで? 「な、なんで裸なの?」 「クーラーかけても安田さん暑いっつーから、じゃあもう脱いで待ってろっつったんだ」 するとそれを否定するかのように安田さんがまた声を上げるが、依然として言葉にはなってない。そう…… 「なんで、アイマスクとそのタオル?」 「これから女子が来てデッサンするっつったら、恥ずかしいっつーからアイマスク。それでも恥ずかしいって騒ぐから口にタオル巻いて静かにさせたまで。両手縛ったのはじたばたして埃立たないように」 水戸くんはすっかり部屋の奥でお茶を飲みながら、今一度私を席へ促した。 「だからさっさと描いてやっちゃって」 「う、うーん…………」 経緯を整理すれば、私が描いた受けが安田さんっぽかったからここに安田さんを呼び、暑いしどうせ脱ぐんだからとパンツ一枚になり、恥ずかしいと煩いからアイマスクに猿轡、加えて両手の拘束…………。一応理由はわかったけど、でもやってることは悉く強引だし、やっぱり安田さんが可哀想。安田さん、こんなの喜ぶ人じゃないし、今もすごく辛そうだし……。 「でも、やっぱり安田さんが可哀想よ! こんなのイジメよ!」 両の拳を握り締めて声を荒げた私を、水戸くんは下からじっと見つめていた。そして、今更こんなことを口にしてきた。 「あ……そっか。二人って確か付き合ってたんだっけ?」 今この場でそれに気付くのは恫喝考えてもおかしい。というより知っててあえてそうしましたと聞こえるほど、白々しい口ぶりには一体どんな真意が込められてるのか……。 水戸くんは安田さんにも声を投げた。 「聞いた安田さん? 藤井さんってやっぱ優しいよね。今だって心配してくれてるよ?」 私はムッとした。水戸くんはなぜそんなこと言えるんだろう。本心から言ってるならまず拘束を解くべきだし……と思うなり、立ち上がった水戸くんはベッドへ、安田さんの背後に回ると、なんと両手の拘束から解き始めた。 「嫌な気分にさせちゃったみたいだから、しゃーないね」 まるで私の所為とばかりにタオルも外し、アイマスクを取れば、視界を取り戻した安田さんはまず後ろの水戸くんを見て、心なしか赤く上気した顔でうっすらと涙を浮かべてた。するとほんの刹那、私の心がときめいたのは何故だろう……。 そして次の視界に私を捉えた安田さんは、すっかり取り乱してはまた何を言っているかわからなかった。 「えっ! あ、ふ、藤井さん……えっと、あ、うーんと、その……」 目の前に元カノがいるし自分は半裸だし、もう言葉が見つからない、といったところか。安田さんもまた被害者の一人で、私がここに来ることを知らされてなかったのかも。それであんな格好までさせられたなら私以上の被害者だ。絵の参考どころじゃないと、水戸くんのやり方に腹が立った私はこの場でまた、声を荒げようとした。 でも…………出来なかった。 「や、安田さん……?」 安田さんはなぜか今、口を開けたまま眉根を寄せた辛そうな顔で僅かに身を震わせている。更にその……その、胸の突起を固く尖らせ息を荒げ、取り留めない視線を浮かべるその姿は、まさか…………。 安田さんを囲うようにその後ろに座っていた水戸くんが、今一度私に言った。 「清春が悶えてる場面ってこういうのっしょ? メモするなり絵ー描くなり早くやっちまって。一応安田さんにはオッケー貰ってあんだから。な、安田さん?」 耳元に尋ねられた安田さんはコクコクと頷くが、それすら覚束ず、両手でシーツを強く握り締めながら何かにぐっと堪えてた。ものすごく窮した顔をしてるのに、今にも蕩けそうな細い目で宙を見つめ、まるで何かに縋ってた。 一体何故…………と思う一方でこの込み上げてくるようなときめきはあの日と同じ……。あの本と出会った、いえそれ以上の胸の高鳴りがもう抑えられない、顔の熱は上がるばかり。 何より水戸くんの言った通り、これは清春が影路に捕らわれて身悶えるあの場面とすごく重なる。この機会を逃したらきっと一生性描写なんて描けない! 私は安田さんの正面に座ると、持参したスケッチブックを開き、そこに鉛筆を走らせていった。見上げればすぐそこに半裸の安田さんが居て、歯を食いしばりながら膝を震わせながら時折甘い声を漏らしてる。 「ハッ……んぁ、……と、くん……め、あッ」 ……甘美だった。延々と眺めていたい光景がたった今目の前に広がってる。その表情、指先の僅かな訴え、卑猥な声と少し蒸れた匂いまでが私の脳までおかしくさせる。求めていた全てがここにある気がして、私はそれを決して忘れぬために黙々とペンを走らせていた。 ふと、水戸くんの右手が安田さんの前に回った。安田さんのトランクスパンツの上からその中心に滑り落ち、非ぬ場所に触れてる……いや、そこがすっかり盛り上がっていたことに私の目も釘付けになった。 「藤井さん、ここ見たことある?」 水戸くんの問いに私が答える前に、安田さんが慌てて拒んだ。 「み、水戸くんやめてよ! こんなのまで見せらんないって!」 「別に見せるなんて言ってねぇっしょ?」 「え?」 水戸くんが私に言った。 「まあなんとなくこの形から想像で描いてみてよ」 この形……つまり水色のトランクス越しに水戸くんが握り締める硬い棒状のそれ。昔お父さんとお風呂に入った時に見た物とは異なり、天井を仰ぎ少し反ってる。それを水戸くんの手が上下に扱く度に安田さんの全身がビクビクと揺れ、呼吸は益々上気して、遂には座っていることもままならず、水戸くんの肩へ上半身を委ねた。次第にクチュクチュと何か水分の含む音がパンツの奥から聞こえてくる中、安田さんは甘えるように、水戸くんの顔をぼんやり見上げながらうっとりと何かを訴えかけてた。 喘ぎ喘ぎの呼吸の合間にその名を呼びながら、まるで愛を求めるその姿はボーイズラブ以外の何でもない。濃厚な甘い蜜が滴る場面には思わず垂涎……はしないものの、私の右手は尚無意識に踊りまわった。目に見える全てを模写すべく、ぐっと目を凝らして視力の限りを尽くした。 すると、今度は水戸くんの逆の手が安田さんの胸に、その薄い桃色の頂に触れたことで安田さんが声高く鳴いた。 「イッッッ……!」 触れたというより抓ったのだから私も痛々しく顔を歪めるが、安田さんは寧ろ更なる刺激を強請るような目で水戸くんを見つめてる。 水戸くんはそれを焦らすように軽く触れたり弾いたりしながら、また強く抓り上げた。 「ヒッ、ィ…………んッ」 水戸くんがその耳元に囁いた。 「安田さんいいの? 藤井さんに見られてんのに、そんないい声出しちまって」 「え、ぁ……んぁッ」 安田さんは寧ろその声に酔ったように朧げな声を返すまで、そして今も激しく扱く右手に弄ばれ、性感を支配されるまま、彼は片手を水戸くんの首に回した。そこにあるシャツの生地を掴み、そして下から蕩けた眼差しで水戸くんを見上げ、何かを訴えればすぐに水戸くんが応じる。 「安田さんいいの……?」 水戸くんの低くて温かい声は私も初めて知るもので、コクっとだけ頷く安田さんに、今、水戸くんが口付けした…………。 み、見ちゃった……。これだけの行為を見ておいて今更キスに驚くこともないのに、このキスで初めて二人の関係が本物だと実感して、目を閉じることすら惜しくなる。啄むだけのキスから舌先を突つき、水戸くんの左手が安田さんの後頭部を撫で、そして絡めあうまでの間にピチャピチャと音が激しくなる。水戸くんの瞼が閉じられ、まるで胸を塞ぐような表情から愛おしさが透けて見えるようで、甘やかなやり取りに私までうっとりとしちゃう……。 やがてキスに声を塞がれつつ、安田さんが何か言った。 「ンクッ、ンー! んッ、ンッ………………」 激しく身を捩ったと思ったらすぐにグッタリとして、下の方を見ればトランクスの先端から染みが広がり、独特の匂いが立ち込めた。 離れた水戸くんの掌も濡れていて、彼はティッシュで拭いながらこんなことを言った。 「安田さんっていっつもキスの最中に出すんだから」 いつもキスの最中に出す…………ってことは、それだけいつもしてるってこと? えっ? ちょっと待って! これがまさか、あの噂の答えってこと? ここまで見ておいて今更だけど、つまり本当だったの!? 安→洋というより洋安だったけど、二人は本当に出来てて、安田さんに振られた私は水戸くんに負けたと……。まあそれはもうどうでもいいとして、つまり恐らく仕組まれた今日のこの仕打ちは、安田さんと付き合った私に対する当てつけ? 水戸くんなりの牽制だったのかしら…………。 二人は体を洗ってくるからと浴室に向かった。ぐったりと足腰の立たなくなった安田さんを水戸くんが支え、この部屋を去ってしまった。 今となっては正直なんとも言えない匂いが籠る部屋で、私は一人、外を走る車の音で冷静を取り戻すなり、このアパートを出ることにした。誰にも見せられない絵が描かれたスケッチブックを閉じ、それを抱えて部屋を出れば、すぐの浴室からは今も聞きなれない音が聞こえてくる。チュポッ、ヂュポッとまるで何かを吸い込む音はきっと今も二人で何かしている証拠。 確かに私の求めた参考はここにあったけど、それは水戸くんからの牽制と二人の愛の貢献にも繋がった。提案した水戸くんにとっては一石二鳥だ。抜かりないなぁ、とは思うけどもう済んだことだし、私はもうここを去るべきだと、今も浴室からの音がまるで急かしてる。 「み……水戸くん、私もう帰るね」 壁の向こうの浴室に声をかければ、ちゃんと声が返ってきた。 「あ、もうデッサン終わった?」 「ええなんとか」 「じゃあ気をつけてね」 と言った後に「ほらさぼんない」と何かをさせる妙な台詞……。 何をしてるのかを考えないようにして、私は一先ずアパートを出た。爽やかな夏の空気をいっぱい吸って一呼吸、気持ちを切り替え、家に帰った。 |
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