Boys love 6

約束は昼休みの図書室だったはずだけど、英語の授業中、ふと後ろから昨日のファイルが手渡された。誰も見てないとは思うけど、でも、なんで今? と中を覗けば、そこには昨日渡した私の絵に加えてもう一枚、大まかなプロットの書かれた紙が入ってた。それが英語の四線ノートであることから恐らく今書いて千切ったもの。ハネや払いが強い右上がりの字で綴られたその内容は、しくじったヤクザの若衆頭をドジっ子警官がうっかり取り逃したことから始まる任侠物…………だった。 ヤクザの世界はちょっと抵抗があったけど、読み進めていくうちにわかったのがこの読みやすさ。簡潔に纏められた起承転結だけで忽ち興味がそそられる。こんな任侠物なら私でも読めそうだし、いえ、すごく読んでみたい。こんなところにも才能が出るんだと感心しながら、シャーペンを持ち直した私はそこに更なる理想をはめ込んでいった。
男A、男Bとされた彼らに、私はまだ名前すら与えてない。水戸くんなりの解釈で、私の絵から感じ取ったキャラの性格や背景から話を纏めてくれただけ。勿論それだけで感激だが、下の方に書かれている通り、もっと設定や要素を足さなきゃ物語は膨らまない。あの本よりずっと内容が薄いから、残る授業時間、私の頭は勉強とは別の方向に回転した。
そして昼休み、友達には暫く晴子のところに行くと言って、約束の図書室へ、奥の隅の席で水戸くんを待った。それぞれの席で読書する生徒がざっと八人、ページを捲る音のみが響くこの空間に、入り口から学ランを羽織った水戸くんが一人でやってきた。
「ごめんね藤井さん」
「んーん、こっちこそ」
「たぶんあいつら尾行してくっと思うけど、気にしねーで」
「あいつら……? 尾行って……」
水戸くんが親指で指した後方、図書室の入り口を見て納得した。顔だけひょっこり出した野間くん大楠くん高宮くんがこちらを覗き込んでる。
「ったく、藤井さんに勉強教わるだけだっつーのによ」
水戸くんなりの言い訳には即、「本当にそれだけかよ」と怪訝な野次が飛んでくるが、ここを読書や勉強の場とする他の生徒らがそこに厳しい視線を放った。するとこの場にそぐわない彼らは、不審な眼差しを置いてそこを去ってった。おかげで邪魔者は消えたけど、水戸くんは今も不満そう。
「俺大学受験するっつーのに、あいつら信じてくんねーんだもんな」
「えっ? そうなの?」
「あっ、藤井さんまでそう言うわけ?」
「いえ、別に……」
「まあ嘘だけど」
やっぱり、この人とは真っ向から付き合えそうにないと思う。
そんな彼が私の前の席に腰かけ、膝を付き合わせれば、これから二人だけの秘密の作業が始まる。まずは授業中に書き足した要素や設定を正面の彼に差し出し、それを見てもらった。が、頬杖をついた彼はうーんと唸るばかりでいい手応えが見えなかった。
「ど……どう?」
「うん……まず攻めの名前。歌江龍道(うたえ たつみち)って、ちっとやりすぎない?」
「えっ? そ、そうかな?」
「いくら強面のヤクザだからって、ちっとベタベタっつーかさ……」
「えっ? 強面?」
確かに彼の中で私の描いた攻めは勝手にヤクザとされた。だからそれっぽい名前をつけたつもりだけど、そもそもちょっと目つきが鋭いだけで強面ってわけでもないんだけどな……。
「水戸くんは、どういうのがいい?」
「うーん……俺としちゃあ、今時ヤクザっつってもそんなベタベタなヤツ見ねーし、もっと垢抜けた雰囲気っつーか、クールさっつーのを前面に出した方がいい気がする」
「なるほど……。例えば?」
「そうだな。苗字は宇内(うだい)、名前は龍道より影路(かげみち)だな」
「あっ、なんかかっこいい!」
サラサラと紙に書かれたその字面は正しく彼の言った通り。いえ、プロットに書き加えた私の理想にもぐっと近付いた。垢抜けたしなんか知的! 水戸くんにお願いして本当によかった。今度は受けの名も訊いてみよう。
「飛水健太(ひみず けんた)……もナシだな。ドジな警官ってよりただの体当たり野郎って感じ」
「と言うと?」
「つまりコイツは間抜けだけど根は人一倍勇気あるヤツっしょ? だから…………清田清春(きよたきよはる)、かな」
「え……?」
その名を聞いた途端、ふと浮かび上がったこの違和感はなんだろう。同じ文字が入っている所為か、面白味がないと思ったからか……。真相は後でわかったけど、この時はまだ、ただただ不思議なだけだった。
「オトボケの春と、純粋さと勇気の清さ、そんな感じ」
言われてみれば合ってる気がする。水戸くんの話はいつも理に適ってるようで大人しく頷けちゃう。
「確かに……いいかも!」
他にキャラの背景や家族構成、職場環境や人間関係を今週中に詰め、導き出した接点からタブーを作り出し、その解消と恋愛関係への発展にまた一週間、大方の構想が纏った頃には妙な噂が立ってた。友達からは早速その真相を問い詰められてしまった。
「藤井ちゃん、水戸くんと付き合ってるって本当なの?」
「て言うか私も見たんだけど……。その、二人が図書室で机囲って話してたの」
「晴子ちゃんたちと一緒って言ってたけど、まさか水戸くんだったなんて。 そんなことなら早く言ってよ〜!」
ただの噂ならいくらでもとぼけて誤魔化せたものの、見られてたなら下手な言い訳は出来ない。だから、私は半分だけ本当のことを言った。
「実は……水戸くんに勉強教える替わりに小説の構想練ってもらってたの」
勉強、という嘘は水戸くんのため、本人からそういうことにしてほしいと言われてたから。そして私への協力に関しては別に隠さなくていいと言っていたから、そのまま話した。
理由はよくわからないけど、彼はボーイズラブに寛容というか、不快さや背徳といった感情は持ってないらしい。凡ゆる文芸作品の分野の一つでしかないと、それに限らず全てを俯瞰してる気がするけど、私はそんな彼の感性に今回はすごく助けられた。私には思いもよらない発想が次々と出てきて、いくつか取り入れられなかった場面が惜しいくらい。
きっと彼が仕事のパートナーだったらそれこそ上手くやっていけそうな、すでにそんな存在だった。だから付き合ってるという噂は彼に対して申し訳ない、私なんかと……という謙虚な気持ちで噂を否定したつもりだけど、ここで一つ忘れてた。そもそもこの密会に至る元のきっかけとなったのは彼女たちなんだから。
「ちょっと小説ってどういうこと? なんで水戸くんなの?」
当然食い付くのはそっちで、私は水戸くんの感性や視点の鋭さを解くことで噂の解消も図ったつもり。おかげで彼女たちにも水戸くんの素晴らしさが伝わったみたい。
「水戸くんが……意外!」
「正直優しいのか恐いのかよくわかんない人だけど、まさかそんな才能があったなんて……」
私だって知るまではそう思ってた。でも今では創作においてすごく信頼の置けるパートナーで、よき理解者でもある。これからさっそく纏めた文を書き起こし、仕上がったらまた彼に推敲してもらおうと思う。

その日も帰宅するなり文章に挿絵に時間を労を費やした。時には寝る間も惜しみ、勉強の時間も削りに削り、ペンタブとキーボードを走らせた。
睡眠不足になるし肩も凝るし作業はすごく大変だけど、同時に幸せも感じてた。好きなことに打ち込める幸せ、壁に当たって悩める喜び……。これが素人の拙い駄作だとしても、この中には詰まりに詰まった切ない愛がある。私の私による私のための世界だけど、きっと世界中の誰か一人にでもこの想いが伝われば、それだけでこの苦労が報われる……。だって、こんなにも素晴らしい愛で満ち溢れてるんだから。

――一ヶ月後。七月中旬、夏休み目前に私はそれを学校に持ち込んだ。仕上がりは九割といったところだが、とりあえず水戸くんの意見が聞きたくて原稿の入ったファイルを朝一番に差し出した。
「水戸くんこれ……」
「あ、もう出来たの?」
「お願い! 読んで感想聞かせて?」
頭を掻きながら受け取ってくれた水戸くんは、午前の授業中に全部読んでくれたようだ。よって久々に図書室のあの席で再び落ち合う約束をした。
これまでと同様、先に来て奥の隅の席で待っていると、一人でやって来た水戸くんはズバリ一言。
「とりあえず、性描写が浅いわ」
そう……言われた通り正にそこ。埋まらない残る一割というのは性描写、加えてその挿絵だった。
別にその部分がなくともボーイズラブは成り立つ、というのは後から借りた本で知ったけど、でも最初に出会ったあの本がどこかで私の中のボーイズラブを作り上げてしまったというか、無意識のうちにそれが教科書となってしまった所為で、ボーイズラブに性描写は絶対だった。でも全てが想像でしかないのだからあんなに密に書けるわけない。本で読んだ時だって、挿絵から動きや変化を想像してたに過ぎないから、いざ書こうとしたところで疑問は増すばかりだった。挿絵なんて以ての外で、愛し合う男同士の身体なんて描けるわけがない。
私はその旨を正直に水戸くんに打ち明けた。
「どうやっても想像が行き着かなくて、これが限界だったの。当然だけど……その……見たこともないし」
こんなことを書いて見せておいて今更恥ずかしがることもないけど、でもやっぱり恥ずかしい。声が消え入りそうになったけど、その辺も寛容な水戸くんは嘲ることなく受け入れてくれた。
「そりゃ女子はAVなんて見ねーしなぁ。エロ雑誌は見たことあんの?」
白昼の図書室に卑猥な単語が飛び出せば、周囲の視線は何故か私に刺さる。焦った私は人差し指を唇に当てながら、身を乗り出して小声で答えた。
「道端に落ちてるのなら見たことあるけど、でも……男の人はそんなに写ってないし、受けっぽい男の人なんてそもそも雑誌に載ってるの?」
「さあ。俺もそんな雑誌は見たことねーな。あとはその手のAVでもレンタル屋行って借りてくるか……」
「えっ? か、借りる!?」
尤もなアドバイスだけど女子高生がそんなビデオ借りるなんて……そんな……出来ないってば!!
顔を激しく横に振る私を見て、水戸くんは笑ってた。
「はは、冗談。でも、現実にそれしかない気がすんだけど」
「まあ、そうよね……そうだよね……」
それに、例え借りられたところで正直あまり見たくないのは、見知らぬ男と男が絡んでたところで寧ろ気が萎えそうだから。参考のために見たいのは確かに男の絡み、裸の営みだけど、きっと想像してるものと違うのは楽に察せる。だってお父さんの背中なんか肉が垂れてるし、なんか臭ってきそうだし、やっぱり想像の中の綺麗な世界だからこそボーイズラブは美しいんだと思う。じゃあ、どうしよう…………。
一人悩み倦んでると、前の席で腕を組んでいた水戸くんが何やら顔を上げ、閃きを打った。
「あっ。じゃあさ、夏休みでよかったら藤井さん俺んち来てよ」
「えっ? どういうこと!?」
あまりに唐突な誘いに声が跳ね上がりそうになる。しかも、水戸くんち……。一体何をするっていうんだろう、と不安がってると、水戸くんはすごく意味深長なことを言った。
「たぶん、藤井さんの一番見たいもんが見れると思うから、ちゃんとスケッチブックとか持ってきて。日時はあとで知らせるから」
「わ、わかった……」
そこまで言うなら、水戸くんなりの策があるものだと私はうっかり返事しちゃった。不安は今も残るけど、でも、水戸くんは恐いけど悪い人じゃないし。もちろん女性に何かする人じゃない、強いからこそ優しい人だって、そう信じてる。だからきっと、大丈夫よね……?
先に図書室を去る彼の背中は、一昨年のあの時だって常に誰かを守ってた。
思い出せばそこにもう一人、勇気を出して立ち向かった優しい先輩がいた――――。




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