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淡々と式目をこなす厳かな卒業式は長く、メインの卒業証書授与は優に一時間を超え、名簿順に安田の名前が呼ばれたのは最後から三番目だった。館内に凛と返事を響かせ、姿勢良く起立し、数回のお辞儀を済ませ、壇上ではスムーズに証書を受け取る。あとは前の生徒に続き壇上を降り、証書を片手に奥の席を目指せば、同時にずらりと並ぶ在校生と向かい合った。 すっかり式に飽いた彼等の中には眠っている者もちらほらいて、静かに閉式の言葉を待っている。中でも座高までが抜きん出る後輩二人は特にわかりやすく、片や鼻提灯を膨らませ、赤坊主の彼はすでに椅子からずれ落ちているほどだ。つい緊張が解けて口許が緩んでしまうが、それも束の間のこと――――突き刺すような鋭い何かに異様な悪寒が走った。 このゾクゾクくる感覚と、ドクン…と大きく脈打つ胸が一体となる瞬間は身体がしっかり覚えている。忘れるはずがなかった。安田は無意識に視線を追えば、それは三列目の壁際で、静かに腕組み足をだらしなく放っている。じっとこちらを睨み据え、あの冷たい、血も凍るような眼差しで下から舐めるように見ていた。 思わず証書を落とした安田は、一気に視線が集まる中で慌ててそれを拾い上げ、急いで席に着いた。 やがて式を終え、最後のホームルームを終えた後は校庭での写真撮影が始まった。「ほら安田くんも」と女子に腕を引かれればもちろん悪い気はしない。へへ、と鼻の下を擦りながら皆の輪に交る。そして、「いくよー」とカメラを構える生徒に皆がそれぞれの表情を決める中、安田だけ咄嗟に笑みを消し去った。 …………また見つけてしまった。カメラの後ろを通り過ぎる彼がジロリと横目をくれた。若干浮かれつつある気持ちを見透かしたような目が、胸に痛い程突き刺さった。ときめきとかそんなきれいごとじゃなくて、もっと汚い感情を引き出されるような、恋心ともまた少し違ったもの。程なく角田に声を掛けられるまで、安田はその場に立ち竦んでいた。 その後も皆で集まった体育館ではバスケ部での送別会が始まる。もちろん、部員以外に馴染みの連中も揃っているが、そこに意中の彼は居ない。 「あ、洋平くんは?」 輪を囲う中で、安田は隣り合った彼の親友にそれとなく尋ねてみた。 「ああ、来るっつったんだが、遅ぇなそういや」 ぐるりと周囲を見渡す桜木だが、「それよりヤス……」と真っ直ぐに見下ろされた視線はいつになく真剣だ。そのままガッと両肩を掴まれ、目を丸くする間もなく熱い抱擁を受けた。 「俺たぶん、ヤスが居なかったらここに居ねぇんじゃないかって、今思い出した」 確かな胸筋の中で受けた桜木からの感謝の言葉だ。 「ああ、うん……」 即興の告白には多少突っ込みたいところだが、その一昨年を振り返っては思わず視界が潤んでしまった。しかしそっと堪えるより先に、離れて行った桜木は透かさずリョータに泣き付いていた。「リョーちん俺、俺……」と涙ながらに訴えるその理由は……。 「なんで俺が副キャプテンなんだよ! なんであの無神経な男に仕えなきゃなんねぇんだよ!」 これにはリョータも腕を組み、「仕方ねぇだろ……」と呆れ顔で宥めるまで。 するとそんな新キャプテンからも安田にぼそりと声がかかった。 「お世話になりました」 無愛想ながらも丁寧に頭を下げてくれたことに忽ち胸がいっぱいになる。流川に対しては、もう無愛想という偏見を自分の中から払拭していたのだ。これが彼なりの精一杯の愛想だと信じていた。 ……そして、もう一人――――。 「あの安田さん、これ……」 トイレへ行こうと向かった出入り口付近で、しおらしく恥じらいながら、突如目の前に突き出されたのは一枚の手紙だった。告白にも似たシチュエーションにはすっかり舞い上がり、顔にはボッと火が灯る。 か弱い声をした彼女からだった。黒いショートカットでいつも控えめな表情の、所謂元カノからだった。 「え……………?」 どういうことだと狼狽える安田に、彼女は言葉を付け添える。 「その、これ、私の気持ちです。本当にすみませんでした」 目の前で健気に頭を下げられても、その真意がさっぱり解せない安田だが取り合えず受け取っておく。 「あ、ありがとう……」 まいったな……と頭を掻く姿を皆の不審の目に晒されながら、どこでその手紙を剥こうか考えていたところ、突として今度は制服の背中を後ろから引っ張られた。その所為で足元が崩れ、転ぶのを覚悟でわわっと素頓狂な声を上げれば身体はしっかりと支えられていて、程なく犯人と対面した。 「あれ? 泣いてんのかと思ったら泣いてないの?」 残念とばかりに口端から零れた息が安田の顔に吹きかかった。 「あ、洋平くん……」 体勢を整え、なんだ……と落ち着く間も与えられないままの安田に、用件だけがさらりと告げられる。 「安田さん二十七日空けといて」 え……? と呆気に取られる安田を残し、洋平は指に引っ掛けたカバンを背中に回し、「卒アルでも持ってきてよ」と早くも踵を返してしまう。 「あ、洋平居たのかよーっ」 館内から響く親友の声にはいつもの笑顔を向け、「わりぃ、俺もうバイトだから」と高らかに手を上げた。そしてすぐ、こちらを振り返った洋平にはすでに笑顔がなかった。……いや、それでもよかった。やっと逢えた。やっと声を掛けてくれた。やっと話ができた。それに今、安田は大切な卒業祝いを受け取った。 「五時過ぎ、S駅で待ってて。じゃ」 その夜は興奮してあまり眠れなかったほどだ。 |
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