鳴かぬなら…… 1


いざというタイミングにおける花道の凡ミスを、流川がさり気なく突つくことでまた不毛な喧嘩に発展する。
「ぬ……。俺としたことが……」
「コノどあほう」
「んだと? 何か言ったかこのキツネ」
「黙れどあほう」
毎度毎度、この蒸し暑い体育館を更なるイライラに変えてくれる。
体育館の出入り口から眺めるこのやり取りもあれから三年目となった今、何も変わらない。もう楽しくてやっているとしか思えないわけだが、そんな二人も今は湘北を背負って立つキャプテンと副キャプテンで、増えに増えた部員達を取り纏める地位にいる。気質の反する二人が先頭に立つとあってそれなりに問題も抱えているが、それが湘北バスケ部をここまで成長させたことはもう誰もが知っているはずだ。だから高校最後の夏、その瞬間を待つ人々で今日も館内は賑わっていた。騒がしいギャラリーの見守る先に、決勝リーグを再来週に控えた彼らの気合いと汗が飛び交っていた。
「次、スライド」
きびきびとしたキャプテンの声も青葉に掠る、暖かな薫風漂う今日は六月の初旬だった。一年前の丁度今頃、洋平はある男と出会ってしまった。
あれから何も連絡はない。あの人が今どこでどうしているのか何も知らない。知ろうとも思わない。きっと予感した通りだからだ。男子校から共学となれば今は楽しくて仕方ないだろう。あの身長が目に止まらないオンナはいない。可愛い娘にはすでに彼氏がいるように、いい男にもすでに彼女がいる。だから穢れた男との交わりなど疾うに必要ないわけで、実家を後にした時点ですぐ解消されたこと。あの感触も、あの約束も……。
これで良かった。これで漸く目を覚ますことができたのだ。このまま会うことがなければもう、あの感覚はやって来ない。穢れを嫌い、潔癖を患うあの不思議な感覚は二度と襲ってこないのだから、今日もこうしてダメな自分に甘えていられる。
「じゃ、俺お先」
軍団に、そしてマネージャー目当ての弟に告げ、洋平は学校を後にした。裏道に入ったところですぐ懐から一本を取り出し、立ち昇る毒々しい煙で早速肺を満たしてやった。今はやめる必要もなければ止めてくれる者もないわけで、これ以上にいいものなど、すでに肺の黒で塗り潰してしまった。一度は更生しようと思えただけ大きな進歩だ。
ちなみにパチンコはやめた。事情を知った親父が金を工面してくれるようになり、怪我をしてからは暫くバイトをする必要もなかった。仮にも学生としての生活を送っていたが、そこで勉学に励むはずもなく、ただバスケ部の応援に顔を出すだけ、だらだらとした日課を青春としていた。
高校三年となった今、そこに不安はなくもない。ただ今年こそと全国制覇を睨むヤツらの目が、禁煙すら出来ないこの愚かな肺にやけに沁みる。楽を選んでばかりなのも少し飽きてきて、未だ自分の何かを見つけられないならそれはそれで、そろそろバイトでもしようと思った。それも時間を無駄にしないといった程度だが、働いて金を得られれば多少の生き甲斐は感じられる。ただし今年も必ずインターハイがあるわけで、だったらその後でいっかなぁと、それまではこうして何もせず、無気力に呟いてみたり。
「いっそ早死に出来ねぇかな……」
溜息ついでに吐き出した寂寞をいつもの通学路に置いて帰った。

アパートの鍵を開けると、ヤニの染み付いた六畳一間はだらしなく散らかったままだ。野郎二人の生活となればこうなるのは仕方ない。しかし黒革の服、菓子、漫画、ゲームソフトは全て弟の物で、もちろん片付けてやるなんてことはせず足で適当に纏めるだけ。洋平の私物といえばテーブルの上のカタログのみ。脱いだ制服を放った洋平は腰を下ろすと、早速最新の単車が並ぶそれを眺めた。
「ブロスかスティードか……」
いつか中古で買おうと思っているが、それでも軽く二、三十万。その前に普通二輪の免許が必要、実は原付免許も持っていないとなればやはり、そろそろ腰を上げるべきなのだ。
今年高校最後の夏、およそ一ヶ月の夏休み、インターハイが終わったらすぐ……目的があればバイトも捗るだろうと、まずは求人広告を漁りに野間家を訪ねてみるとした。





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