暴力を正当化するのは簡単だった。憎しみを溜め込むよりかは健全で、正々堂々としていれば何より男らしい。悪い奴なら尚更、気兼ねなく殴れば寧ろ称賛の的。洋平は自称、正義の味方なのだ。
しかしながら、高々十七年育んだ程度の信条とは浅はかだったか。不意打ちだろうが何だろうがやられた方が負け、余所見をするのが悪い。いつどこから何が飛び込んでくるか、常時背中に気を張っていては当然居心地は良くない。そのゾクゾクする緊張感を昔は楽しんでいたわけだが、しかしもう、いくつだ。いつまでやる気だ……。
小細工に頼らず真っ向勝負をしろと言いたいが、それを奥の手とする彼らに容赦はない。それが自信でありプライドだと、雑魚ばかり引き連れては己を確立している。暴力も暴走も、焦燥感でしかないことを忘れている。
……いつだったか。傍にぶっ倒れた連中を見下ろすなり、血が静まると同時に気持ちも冷めていった。金にならないなら賭けより胸が躍らない。バイトに遅れちまうだろ、と。
それより洋平は、差し出がましくも彼らの先行きを案じてやった。こんなことをしていないで、花道みたいに自分の何かを見つけるべきだ。親が悲しむだけだから、やり直しが利くのは今のうちだからと、そこは自分にも言い聞かせていた。
「いーか? 俺ぁ忙しんだ。間違っても復讐とか面倒くせぇことすんじゃねーぞ」
それだけ言うと、無気力に頷くのを見届けるなりそこを立ち去る。喧嘩が強いのも案外つまんねぇな、と偉そうにぼやきながら、夜の倉庫裏を後にした。
だから、暫くそれとは無縁のはずだった。洋平の拳が血で汚れたのはそれが最後だった。
なのになぜ…………?
「水戸、こんなとこまで逃げてたか。暫く歩けねぇようにしてやる」
そして、手にしたバットを足の脛へ振り落とされる。激痛に戦慄くその間にも、隙だらけの身体は容赦ない攻撃を受ける。
後の惨劇は、曖昧な記憶の内に途絶えた。
「はは、たった一人に十人だとよ。どこのどいつか知らねぇが、とんだ卑怯者だ。とても真似出来ねぇわ」
力なく嘲たのは、情けないことに彼等が去った後だった。
日の当たらない路地裏から、霞む視界に彼等を見送りながら、硬いコンクリートにへたり込み、久々の生暖かさを至る所に感じていた。
「本当オメェら、誰なんだよ……」
全く知らない連中に、知らぬ間に恨みを買っていたというのか。
そして何より、今洋平の居るここは一体どこなのか……。
人の話す声でゆっくりと目を開けた。ぼやけた視界が徐々に鮮明となる中、洋平の目に入り込んだのは白い天井、白いカーテン、白い壁。息の詰まるような白の中、上の方に一つだけ浮かぶは元気な赤。
「花道か……?」
赤は咄嗟に振り向くなり、慌ててこちらを覗き込んだ。
「洋平! 気付いたか?」
大きく身を乗り出しては、仰向けに寝る洋平の肩をがっちりと掴み強く揺さぶる。
「ああ……」
洋平は今漸く辺りを見回した。狭いカーテンで仕切られた中の白、洋平が今寝ているのもまた嫌に白いベッドで、カーテンの向こうからは和やかな雑談が聞こえる。
病院か、と気付いたところで体を起こそうとするが、同時に言い様のない違和感が全身に走った。見ると、片足は見事ギプスで固定されていたのだ。開き切らない右目は重く、頬にも湿布を当てられ、包帯の撒かれた箇所にはうっすらと血も滲む。
麻酔が効いているのだろう。今のところ痛みは感じないが、それは明らかに複数からの暴行を受けた痕だった。
「洋平起きんな。俺もさっき来たんだが…………一体何した?」
ベッド脇のスペースから花道が冷ややかに咎めるが、そこは洋平もよくわからない。
「さあ、俺もわかんね」
何よりまだ頭が痛い、回らない。少しばかり頭を押さえると、花道が今日の経緯を明かしてくれた。
「部活中、学校に連絡があったんだ。洋平が怪我したって。だが洋平のお袋に連絡取れねっつーから」
……ということは、見つけた誰かが救急車を呼んでくれたのだろう。
「ああ、お袋今男んとこだ」
「そっか……。でも一応、言っとかなきゃマズイだろ?」
「そうだな」
「連絡先くらいは知ってんだろ?」
「ああ、手帳に仕事先の番号があんだが……」
そう言うと、花道はベッド下の紙袋を手に、「荷物はこっちだ」と中を探る。
「つっても煙草と財布とライターと鍵と……あと汚ねぇティーシャツしかねぇな。おっ、これか」
ガサゴソと奥の手帳を取り出してから、すぐ後ろの出入り口へ向かった。
「じゃあ俺かけてきてやっから、洋平は起きんじゃねぇぞ」
そこは強く言って、花道は病室を出て行った。
「はは、わりぃ」
普段は世話焼きの洋平だが、この状況ではとても甘えるしかない。
そして一人になったところで、少しずつことの成り行きを顧みた。備え付けの置き時計が18時を指すここで、声やテレビの雑音がカーテンを擦り抜けるここで、下の紙袋に覗く、ボロボロになったティーシャツを見つめながら……。
やがて戻ってきた花道は、何やら府に落ちない顔を浮かべていた。
「お袋出たか?」
「いや、二回かけたがずっと話し中だった」
そう言って、彼は備えの台に手帳を置きつつ傍のパイプ椅子に腰掛ける。
「明日またかけてやる」
「わりいな」
……と、そこで咄嗟に花道が血相を変えた。
「で、なんでだ洋平?」
再びベッドに身を乗り出し、病人である洋平に激しく詰め寄った。
「何が?」
そうポカンと口を開けるだけの洋平に……
「なんでだ洋平!? なんで神が出た……!」
仰々しく真顔で質す花道だが、確か神とは今朝別れたばかりだ。その彼が何故、母親への電話に出たのやら。
花道が言うにはこうだった。
「手帳開けたら番号二つあったんだよ。そんで一つ目は話し中だった。もう一つかけたら、そしたら、神ですっつったんだ。たぶん神のお袋が出やがって、それでわけわかんねぇでいたら息子に変わるかとか言われて、とにかく神が出たんだ神が!!」
……湘北の敵であり年上でもある彼との出会いは、洋平にとっても奇妙な偶然。だから、オバケでも見たように取り乱す花道も無理はないかと、洋平は簡略に伝えた。
「ああ、少し仲良くなったんだ。そっか、番号そこに書いといたんだ」
今朝、母親の番号の下にメモしたことも思い出し、納得したところで尋ねる。
「で、神さんと喋ったの?」
「ああ。一時間後に駅まで迎えに来いっつわれた。なんで俺が…………」
「はは、それ返事しちゃったわけ?」
「いや、する前に切られた」
「ははは。でもまあ、丁度いいか……」
……丁度いい。洋平の中で今、十七年培った勘が鋭く働いていた。
「じゃあ悪いが、行ってやってくれよ」
「……わーったよ」
少しの間渋ってから花道は渋々頷く。そして目付きを変えるなり、静かに拳を握るなり、この大層な怪我を案じてくれた。
「で、どこのどいつにやられたんだ?」
「さあ。十人くれぇいたが誰一人知らねぇ。だが確かに水戸っつわれたんだよな……」
「どっかで油売ったんか?」
「いや、なんも」
「何もねぇのにここまですっか普通?」
「ああ、そこなんだ……」
あの有無も言わせない程の恨みを買った覚えなど全くない。しかしながら名前は知られていた。となると、思い当たる節は一つだった。
|