星散りばめたる旗よ 6

去年、二人が仲を深めるきっかけとなったその日から丁度一年が経つ。しかし今年の国大合宿に当然花形はいない。夕食も風呂も済ませ、今流川と同じ部屋にいるのはその人の弟だった。
去年同様班分けされた一室に四つの布団が並んでいる。壁際に濡れた髪を整える福田がいて、そこから一つ布団を挟んだところで惺が何やら鞄の中を探っていた。そして奥から取り出した一本が、今隣の流川に差し出された。
「これ、兄貴から」
クリーニング用のビデオテープを、素っ気なく突き出す弟の頬にはガーゼが貼られている。
受け取った流川はその兄が言った”頼む”を思い出したようだ。
「傷、何した?」
弟を上回る無愛想でその傷を案ずるが……
「何でもねぇよ」
敵対心剥き出しの憎まれ口を叩く弟は、取り出した漫画本を手に布団に寝転がった。
流川は小さく舌打ち、端の鞄から財布を取り出し、十円玉数枚を手にそこを立ち去った。そして部屋の入り口に立つと同時に、目の前の戸が手を掛ける前にスッと開く。
「ああ流川、花形この部屋?」
鉢合わせた至近距離で、部屋を訪ねて来たのは海南の神だった。
「あっち」と指された奥へ、「ちょっと邪魔するよ」と上がろうとした神に流川も尋ねる。
「仙道は?」
先輩を呼び捨てに、先輩に対し躊躇いなくタメ口をきく後輩。そこにいちいち目くじらを立てる先輩は少ないが、拘る人は拘るのだ。
「一コ上だから敬語つかえ」
透かさず戒めたのは福田先輩だった。後ろからの忠告に、流川は大人しく口を正した。
「センドーさんはどこですか」
「はは、俺と同じだよ。隣」
にこやかに伝える神と入れ違いに、流川は隣の部屋へと向かった。
そして無言でその戸を開ければ、それは壁際に腰を据え、『釣り馬鹿特集』と書かれた雑誌を眺めている。ティーシャツに短パン姿で、日中は戦闘モードにある髪も今は重力に倣っていた。
「よう」
馴れ馴れしく、というよりふてぶてしく上がり込む流川に、何かと訪ねてくるその後輩に、悠長な頬杖から目線だけが持ち上がる。
「流川か。1on1なら明日にしてくれよ」
冗談混じりの太い声に、「話がある」とだけ告げる流川はその対面に腰を下ろした。
「オメーはどーすんだ?」
真正面から射抜く眼差しに、仙道はキョトンと見つめたまま質問の主語を質す。
「卒業したら」
「ああ、進路ね。俺はまだ決めてないよ」
そう言って、雑誌を閉じた仙道は実にあっけらかんとしていた。
「アメリカは?」
そう常套句のように尋ねるアメリカもあっさり否定した。
「アメリカ? いや」
仙道は逆に訊き返した。
「流川はアメリカ行くのか?」
「行く」
「アメリカで何がしたいんだ?」
「上手くなる」
「はは、そりゃ結構だ」
にっこり薄笑ってから、仙道はスっと声音を落とす。そして上目遣いに尋ねる。
「それをなんで俺に訊く?」
流川もまた、一切の愛想を省いて答えた。
「オメーは雁物じゃねぇ。それだけだ」
いや、雁物どころか仙道は今年高校バスケ界の頂点に見事君臨した。流川の目指す日本一を先に成し遂げた。しかし本人に自覚はあるのか……
「俺には自信ないなぁ」
情けなく呟いてから、それは独占ヒーローインタビューにのほほんと答えてくれた。
「いやぁ、雁物なんてまずいないさ。今年優勝すべきヤツらは大勢いたな。スゴイよな全国は、猛者共揃いだ。個々の実力で言えばそれこそ森繁か。あいつのパワーに適うヤツはまずいないしなぁ。観戦しただけで他にもすごいのいたしな。…………でも、勝ったのは、優勝したのはオレ達なんだ」
そこはしたり顔で、仙道は小鼻を蠢かしつつ続ける。
「おそらく今、越野はゲーム◯ーイで遊んでるかな?」
廊下を挟んだ向かいの部屋で、今布団に寝転ぶ越野は携帯ゲーム機を手に、ゲームオーバーのBGMに「クソッ」とゲーム機を放り投げたところだ。
「福田はおそらく、特に湘北の態度にイラついてる。植草は受験勉強だな」
続く隣の部屋では桜木が、「テメェ野猿のくせになんでヨーへーと声似てんだよ!」と喚き、「知らねぇよそっちが真似てんだろーが!」と清田が反撃。痴話喧嘩に至る光景を前にプルプル震える福田は、受験勉強中の植草に優しく宥められていた。しかし遂に立ち上がった福田の許へ、丁度戻ってきた神が止めに入った。
「フッキー、落ち着けよ」
「ジンジン……!」
これで落ち着きかけたはずが、桜木が水を差した。
「っつーかフクちゃんの部屋はあっちだろーが! 人の部屋来んなよ!」
それと……と仙道が続ける部屋に、ドカッと鈍い音が響いたのすぐ後ろの壁からだ。
「はは、福田のやつとうとうキレたな」
動じない仙道にとっては日常茶飯事らしい。そしてそんな彼が語るはもう一人。
「彦一は家で、今頃インターハイでのスタッツをチェックしてる。今回のインターハイも、事前情報が緻密すぎて笑えたくらいだ」
そう長々と続いたメンバー紹介に、流川はすっかり拍子抜けしていた。だからなんだと言わんばかりの顔に、話は漸く纏められた。
「アメリカでは、俺はパス一つまともに出せないよ。1on1の試合でもあるなら別だが、言葉も通じない異国でとなると、俺には自信ないね」
そう語る彼は間違いなく、今回トップに立った陵南の中でも図抜けた位置にいる。その彼が自信がないと言い切ったのだ。
「まあ思ったようにやりな」
他人事のように突き放す彼は、その意味深長な笑みは暗に何かを伝えたらしい。
「……わかった」
立膝を着き、立ち上がった流川はそのまま部屋を後にした。未だ収集の着かない部屋の、壁一枚を隔てた廊下で一人、密やかにほくそ笑んだ。
「上等だ。選抜でケリ着けてやる……」
暗い廊下に足音を響かせ、やがて階段を降り辿り着いたのは廊下にある公衆電話だ。非常灯の緑が仄めくそこで、立ち止まった流川は受話器を取った。ポケットの十円玉を投入し、そして声を送る。
「先輩……」
彼氏の母親とのやりとりを経た後、呼ばれた彼氏が電話口に立った。
「流川か。どうした?」
受話器を受け取った彼は、あの親父くさいパジャマを着ていた。
「弟からビデオ貰った」
「そうか。帰ったら試してみて」
「弟ムカつく」
「そうか……」
「あと…………」
手元の分厚い電話帳を捲り、遊んでいた流川の指がピタリと止まる。
『ニューヨークへひとっとび!』と題された宣伝枠は旅行会社によるもので、挿絵にある自由の女神は可愛くデフォルメされ、それはトーチではなく星条旗を掲げていた。
「あと、英語教えて?」
今一度、流川は教えを請う。家庭教師として働く彼に、優しく教えてくれる年上の秀才に。
「ダメ?」
「いや、別に……」
紙面からにっこりと微笑む女神が、今高々と旗を振った。一途な彼の挑戦を、それは遠いバスケの国から待ち侘びているのだった。




― to be contined. ―




戻5 | 6