星散りばめたる旗よ 1

二人のディフェンスを切り抜けてすぐ、スライドを止めたバッシュがキュッとコートにしがみつく。一瞬にして整うフォームに隙はなく、流川がショットを放つのはラインの外側から、遠く正確な弧を描き、そしてボールがネットを潜り抜けるその寸前…………鷹揚に構えるリングを間に、二人の視線が重なった。後の歓声を背景に、観客席に佇む彼との間に確かな意思が繋がった。
あの元旦以来の顔合わせは、熱戦に沸くインターハイ初戦の今日ここで、半年近い空白の後、安田のパスカットに沸き立つ次の歓声まで、そこだけ静かな時が流れた。

初戦を勝利で迎えた湘北メンバーは控え室へ戻り、今宮城の集合がかかったところ。後ろから悠然と踏み入れた安西監督がその中央に立ち、実におっとりとした口調で試合の総評を述べ始めた。
「さて、みんなお疲れ様です。初戦は上出来でしたよ」
いつもはあまり多くを述べない先生だが、ここからいつになく話が長引く。ダイエットに励んだはずの布袋腹にあまり効果は見えないが、窓の光に反射した眼鏡は、その奥の瞳は冷静に明日を見据えていた。鼓舞も込められたアドバイスに、勝ち抜いた部員の火照った返事が続いた。
「明日の相手もまた強敵です。しかし君たちはもっと強い。特にディフェンスに定評のあるチームですが…………聞いてますか流川くん?」
唐突な名指しに流川はハッと顔を上げる。彼は先ほどから下を向いたまま、何やら落ち着きなく指をこねくり回していた。
「ウス……」
彼は素直に声を返すが、持ち上がった視線はすぐ明後日の方向に向かう。後ろに組んだ手はまたも落ち着きなく、組んだり組み替えたりの手遊びを後ろの部員が見つめていた。
やがて話が終わったところで流川は素早くジャージに着替え、汗も拭ききらず一番にそこを出ようとするが、後ろから先生の声がかかった。
「流川くん、少しよろしいですか?」
立ち止まった流川は一度、フゥ、と息を吐いてから踵を返した。
そして漸く監督の許を離れた流川は、一人足早に会場のロビーへ出ると、階段を上り観客席へ、踊り場から踏み入れた後ろの通路から、コートに釘付けの人集りをざっと見渡して歩く。
程なく立ち止まったのは、後方の席に一つだけ飛び出した頭だ。通路側の席でコートを見下ろす彼の背中に歩み寄った。後ろの客が不満を零す程高い背に、その肩にぽんと掌が置かれた。
「流川?」
咄嗟に振り返った眼鏡の彼は、予想外に競っていた湘北対海南戦時同様に驚いていた。それと同時に、今周囲の客がドッと沸き立つ。すごいダンクでもあったか、そこは一戦ごとに熱いドラマが展開される。時の止まった二人には何も聞こえていないようだが……。
そんな花形の隣には、すでに翔陽OBとなるいつかの二人も並んでいた。
「お? 流川か。また成長したな」
神奈川代表を讃える藤真長谷川もまた、あの元旦以来となる。
「ウス」
去年の国体での先輩に挨拶した後、「来て」と強気に誘いかける流川の声は、まだ少しの疲れが残る。
頷いた花形が席を立つなり、二人は客席の後方へ、少し離れた柱の影で落ち着いた。たまに人が行き交うだけのそこで、二人きりとなる僅かな時間が会場の隅に設けられた。
二人見つめ合うより先に、まだ熱の引かない左手が下から掬い取られる。半年前はまだ痛々しかったその手が、傷跡の残る手の甲側が優しく持ち上げられた。
「もう、大丈夫なんだな?」
黙って頷く流川に「そうか」と目でも労わる。傷跡に不運の去年が偲ばれる。
するとその眼鏡の奥へ、まだ興奮の冷めない眼差しが下から詰め寄った。
「なんで……?」
ほぼ省略された要点は、優秀な花形にはしっかり汲み取れるようだ。
「ああ、近かったから。こっちでやってくれる分には決勝も来れるよ」
今日何故ここにいるかを要点とした答えに、流川も無表情ながら納得した素振りだが……
「なんで…………?」
続くなんでは、先程より切に訴えかけていた。
「……ああ、バイト始めたり教習所通い出したりで、暫く時間が空かなかったんだ。でも学校も慣れたし、夏休みは暇なくらいだよ」
にこやかに半年を明かすうちにも、二人の手は脚の陰に下ろされ、ずっとやきもきしていた指が隙間なく包まれた。
「今日にも車来るんだ。少し落ち着いたら、乗ってみるか?」
そう問いかけてから、花形は握るその手に視線を落とす。
「言っとくが、俺は居眠りはしない」
去年の事故を皮肉れば、流川は左の口角が少し持ち上がった。
そこに、遠くから彩子の声が響き渡った。
「流川ーっ! おーい流川ーっ!」
「流川くぅーん!」
流川が後方を振り向くと、二人のマネージャーが騒がしい客席に負けない声を張り上げている。
「流川、探されてるんじゃないか?」
いつの間にか離された手に流川は小さく舌打ち、フーッと吐き切る溜息を前に、花形はただ黙っていた。後輩を諭す微苦笑だけがそこに浮かんでいた。
「先輩……」
不満気に見上げた流川は傍を離れ、背中を返す間際に告げる。
「電話出て」
流川は去っていった。
「ああ。わかったよ」
赤のSHOHOKUが印字されたその背中へ、花形が囁くように応えた。
半年ぶりの再会は、前半終了のブザーより先に退場を強いられてしまった。

初日の全試合が終わると同時に、通路は退出する人で詰まり出す。がっくり肩を落とす者、すでに明日の話をする者も入り混じり玄関へと進む。
暫しがやつきの絶えない中、混雑ぶりを見計らうOB三人組は客席に着いたまま、並んで今日の試合を振り返っていた。
「仙道のヤツ、今日で一気に名を馳せたな」
「圧巻だったな。本来ならすでに知られててもおかしくないが、今年やっとってとこか」
「湘北も今年はベスト8も見えるだろう。はっ、神奈川最強じゃないか」
花形が冷ややかに笑う隣で、長谷川が月刊バスケを手に、インターハイ特集を見て言った。
「”去年山王を破ったあの湘北”……か。もうAランクだもんな」
「”今年はその湘北を破った陵南”ときた」
藤真も横からページを覗く。
「ウチも惜しかったんだけどな……」
すでに清掃に就くコートを見つめながら、彼は遠目に呟いた。
「さて、行くか」
空き始めた頃合を見て、花形は鞄を手に立ち上がった。そこでふと前方を見やれば、偶然目が合ったようだ。最前列で今日最も熱い声援を送っていた、少し騒がしいくらいの四人組。今後ろを振り向いたその一人、いつか原付に乗せてくれた彼に、花形は小さな会釈を投げかけた。一見強面の彼もまた、大量の紙吹雪片手に愛想笑いを浮かべていた。


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