魚が眠るとき 9

時間は残り二分を切っていた。点差は多少縮まったといえ、まず負けることはないが、流川の課題は一つだ。この残された時間内に決めることだ。が、すでに負けを認めた相手のディフェンスに覇気はなく、ゴール下に踏み入る中でなかなかチャンスを作れないでいた。結局アレをする間でもなく、流川は無難なシュートを決めていた。
やがて残り二十秒を切ったところで、相手ディフェンスの目つきが変わった。それは花形を倒した相手で、最後のチャンスとゴール下へ切り込んだ流川にぴったり着き、程なくジャンプした彼に覆いかかる。
流川はここぞと後ろへ飛び、シュートエリアを大きく遮られる中で鋭い目を光らせ、覗いた瞬間のリングへ迷わずボールを放った。が、同時にファウル、いや退場覚悟の体当たりで勢い良く押し倒されてしまった。見事ボールはリングを通ったが、肝心の花形はボールの行方など見ていなかった。背面から床へ落ちる流川をただただ不安そうに見つめていた。
周囲が固唾を飲んで見守る、試合終了のブザーが刻一刻と近付く中、流川は上に重なる相手を除けるように上体を起こした。間もなく歓喜の声にブザーが掻き消される中、立ち上がった流川はまずその人を探し、視線が合うなり、彼は裏のスコアボードを親指で指したのだ。
一桁の位が二つ加算されるのを見て、花形はにこやかに笑った。
こうして一回戦が終わった。
疲労の浮かぶ帰りのバスで、二人は今日も並んで座っていた。
本日フル出場だった流川はすでに寝息を立てていた。それはファウル覚悟のディフェンスから上手くタイミングをずらし、僅かな隙を見定め見事命中させた、神奈川代表として他を驚嘆させた。実に鮮やかだった。
夕陽の赤が追っては射し込む車内で、肩に乗せられた頭部に花形の片頬が触れる。イヤホンにより周りの音が一切閉ざされ、赤の静寂が夕波のように流れゆく。
流川は今、海の底――。天からはまたも柔らかな光が射し込まれ、トクトクと波打つ優しい鼓動がその耳元へ囁いていた。
「次もがんばろうな」
そう呟いた彼の手に、寝息の絶えない流川の指先がそっと乗せられる。
翌日の勝利を皆が確信する中で、今、一匹の魚がたゆたう波間に眠っていた。




― to be contined. ―




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