Pinocchio 8

十一時三十分を指す駅の時計の下に、辺りをキョロキョロと見回す藤井が不安げに立っていた。
そこに漸く待ち人が現れれば、息を切らしながら急いで駆け寄れば、藤井の表情はぱっと明るくなった。
「ハァ、ゴメンね藤井さん、三十分も待たせちゃったね」
しかし対面してすぐ、憂いの色が帯びる。
「や、安田さんその顔……」
白く華奢な指が安田の腫れ上がった頬に触れようとしていた。
安田はいつもの柔和な表情で、なんの前置きもなく、その手を掴み止めたから藤井も取り乱していた。
「あ、私……ごめんなさい。痛そうだったからつい……」
他の誰でもない、安田の怪我を案じての行為だったはず。況して待ち合わせに遅れた上の怪我となれば藤井の心配も大きかったことだろうに、そこにこの仕打ち。触れることを拒むというその振る舞いは、女子の優しさを踏みにじるその行為は無礼にもほどがある。藤井は今、涙目だ。
しかし対する安田は、今目の前にいるその男は、優しい羊の皮を被っただけの最低な男だった。
「ごめんね藤井さん」
清々しいほどに率直で急な謝罪に、藤井は口ごもる。ごめんね……と続く言葉に何も言えず、ただただ立ち尽くしている。
安田は告白した。
「僕、好きな人いるんだ」
今さっき蕾が開いたばかりの咲き誇った笑顔は、目の前の藤井を見ているようで見ていない。藤井の向こう、ここから見えない駅横のガソリンスタンドを見据え、デレデレとはにかんで告げる台詞はまるで浮気の言い訳だった。
「本当ごめんね藤井さん。でも僕もう、その人じゃないとダメみたいで……」
深く俯く藤井をよそに一方的な言い訳は続く。
「最初は愛情なんてないと思ってたんだ。でも、助けられた僕に代わって喧嘩まで受けてくれるんじゃ、僕もう、何も言えないし。そもそも否定してただけで、気付かなかっただけで、僕も充分その気だったんだ。さっき……気付いたんだよ。もう胸が張り裂けそうで、痛くて痛くて仕方なかった。でも君の告白で舞い上がってから、ずっと想いを封じようとしてたんだ。なかったことにしてた。…………だけどもう、僕嘘吐きたくない。だってまた嘘吐いたら、もっと鼻伸びちゃうだろ?」
藤井は怒りを通り越して呆れていたようだ。訳のわからない身勝手な言い分に加え、ここに来て童話を持ち出すふざけた態度に唖然と涙を零していた。
しかしそこに追い打ちをかけるよう、安田は諭すかのように真っすぐな目で言い放つ。
「だから、ごめんね。君じゃダメなんだ」
ごめんね…………つまり安田があれだけ片思いしていた藤井を彼はきっぱりとフった。
藤井は腫れた頬と逆の頬を勢い付けてパシンと叩き、響き渡るその音で周囲が注目する中、急いでその場を立ち去っていった。泣きながら、顔を覆いながら、幼気な女子高生の淡い恋が無様に砕け散った瞬間だった。
「ごめんね……」
消えゆく藤井の後姿を見つめながら、安田は依然、謝罪を続ける。
「本当に、ごめんね。本当、ありがとう……」

――――君は愛を教えてくれた。まるで、青い妖精のように……

安田は踵を返すと、大好きな彼との待ち合わせ場所に向かっていった。







―to be continued?―


あとがき


戻7 | 8