ハリネズミ 1 |
あれから十日後――。 花道がリハビリでいない今、俺たち四人は相も変わらずただ街を彷徨いてる。アスファルトも茹だる炎天下、その暑さを理由に気怠さを装い、あーだこーだ愚痴を零しては自分の何かを求め歩いてる。 「おめーもな」 「おめーがだ」 「おめーだよ」 「おめーもさ」 自分の何か――――それが見つからないから、こうして暇な時間を持て余しちまう。花道の入部から初試合、県予選、インターハイときてこの度の怪我……。やけにドタバタした三ヶ月に唐突なブレーキがかかり、俺たちも花道共々一段落といったところだ。 いつも俺たちを振り回す主役がいなけりゃ、考えることもすることもなくなって、そもそも主役は自分自身でなきゃいけないと、どこか自分を戒めながらも結局行き着いたのは湘北体育館だった。校門からの慣れた道取りを行く間は最早誰も喋らず、いつもの出入り口に落ち着いた。 ゴリとメガネくんが引退して、流川が全日本合宿に行って花道もリハビリでいない今、人数が少ないながらも館内は真っ昼間から活気付いてる。小刻みにバッシュの鳴く音はとても耳馴染みが良く、外より篭った熱気の揉み合う、四対四の白熱したゲームに俺たちはみるみる目を奪われた。 今オフェンスに就く、りょーちん率いる二年生チームは、それぞれ試合経験がある所為か、プレイに無駄がなく安定してる。連携が上手く図られ、安田のフェイクを起点とした宮城とのパス回しから今潮崎にボールが渡り、スリーポイントが決まる。 「おしっ!」 「ナイス潮!」 一方、ミッチーを率いる唯一三年と一年チームはかなり押されていた。これまで見てきた試合のように、ミッチーがバンバンスリーを打つ場面はまだない。本番じゃないからだ。これが練習だから、一年生への指導あってのプレイはまずチャンスを作り出すところから始まった。 「石井ナカだナカ!」 「は、はい!」 「佐々岡早く回れ!」 「はいっ!」 ミッチーの指示で三人がなんとか立ち回り、最後はミッチーから桑田へのパス、そのまま庶民のシュートを繰り出すが、カクのブロックに阻まれてしまった。 「惜しかったぞ桑田」 「は、はい!」 桑田が照れたように返事するまでを見入っていた俺は、自らの口髭に触れながらふと口に出した。 「ミッチーって、意外と後輩に優しいんだな」 手前の高宮が続く。 「大人になったなミッチー」 隣の大楠も続く。 「俺たちのおかげだな」 「そこはメガネくんだろ?」 洋平の突っ込みには「確かに……」としか言えない。事実『大人になれよ』と叱責したのが彼だからだ。 試合の連続で、これまで己の鍛錬に徹してきたミッチーが、後輩の指導に自ら専念しているのを見るのは初めてだろうか。なんとなく、今もここにメガネくんがいて、同じ場面を見ててほしいと思った。 それに、やはり五対五に見慣れた今は違和感があった。 「ここに花道と流川が戻れば五対五が出来るのにな」 「ゴリとメガネくんも偶に来てくれりゃぁいーのに」 「確か講習とかやってんじゃね? 忙しいさ受験生は」 ……と言った傍から、背後に小走りで現れたのがまさかの本人だった。 「あれ? ゲームしてるんだ」 声に振り向けば、そこに制服を着たメガネくんがいて、更にその後ろからはゴリも歩いて来る。 「あ、メガネくん。勉強がんばってんの?」 俺なんかが声掛けても、彼は気さくに喋ってくれる、正しく大人だ。 「まあね。でもこの暑さじゃ集中出来ないし、じっと座ってるのも退屈だよ。赤木ですらこうなんだ」 そのゴリを後ろに、というより頭上にその顔を見つけ、「俺はついでだ。すぐ帰る」という照れ隠しから言わんとすることを察した。 そりゃそうだ。応援する側ですらあのインターハイの時の熱が冷め止まないのだから、プレイヤーなら尚更だろう。 「いいな三井は。俺も受験やめちゃおうかなぁ」 朗らかに、寂しげに呟くメガネくんの眼鏡が、その三井を映していた。 迫り来るりょーちんに彼がスクリーンをかけたことで、角田からりょーちんへのパスが佐々岡によりカットされ、零れたボールを潮崎と石井が追いかける。僅差で奪い取った石井が透かさずパスしたのは桑田で、彼は安田のディフェンスを上手くフェイクで切り抜け、そして―――― 「桑田入れろ!」 ミッチーの掛け声と共に、放たれた庶民のシュートが今度こそ決まった。 「よっし!」 「ナイス桑田!」 メガネくんからも拍手と高らかな声が発せられ、初めてコートのメンバーが先輩の存在に気付いた。 ミッチーもそれに倣ったが、一瞥した彼は特に歩み寄ることもなく、コートの皆に声を張り上げ、次へと導いた。 「よし、実戦はもういいだろ。あとは基礎だ基礎」 まるでキャプテンを継いだが如く、主導する彼にはリョーちんが愚痴を漏らすが、部員が出入り口に立つ先輩に挨拶したことで自然と練習は中断する。リングの下で笑顔と談笑が交わされ、「じゃ、俺たちの分まで頑張ってくれよ」後輩への激励を残し、ゴリとメガネくんは帰っていった。 あとは単調なトレーニングが始まったが、それは花道がミスでもしなきゃ何が面白いわけでもなく、その本人がいなければ、俺たちの占拠する出入り口はただの溜まり場と化した。 その場にすっかりしゃがみこみ、およそ館内とは無縁の談笑に沸いた。 「いやぁメガネくんは大人だな」 「大人ねぇ」 「なんだ大楠? メガネくんには比べちゃあ俺たちゃガキだぜ?」 「っつーか大人ってなんだよ? 俺と何が違がうっつんだ?」 「そりゃなんつーか、懐の深さとか、落ち着いた大人の余裕とか、色々とだな」 「なんだそれ、俺にもあるだろうそんくらい」 コート上の掛け声にもボールの行方にも見向きせず、相変わらずくだらない話題であーだこーだ言っていたわけだ。が、ここで放った洋平の一言が、今日のこれからをとんでもないものにした。 「つまり、童貞かどーかってことだろ?」 三人揃って言葉をなくした。理由は言うまでもなく、まず俺たちが童貞だからだ。いや、洋平を除く、としたいのは、年頃の男子にとって、該当者には特にナイーブな単語を涼しい顔で発したからだ。場所や時間帯といったものを憚らず男らしく堂々と口にする。懐の深さ、落ち着いた大人の余裕を垣間見た瞬間だった。事実はさておき、今の言動で童貞ではないと言い張れる資格を得たようなものだ。それが嘘偽りでも許される。そんな洋平の存在感は、昔から俺たちと一線を画す。 その洋平が言った。 「意外とメガネくんみたいのって年上ウケすっからな。わかんねーぜ? なんなら賭けるか?」 俺は思った。洋平が言うならあり得るのかもしれない。考えてみりゃ背も高く優しく真面目、何よりあの眼鏡を外せば結構いい顔してる。 「俺も洋平に同感。ああ見えてしっかりやることやってるって感じだな。はい二票」 洋平に頷けば、手前の大楠から透かさず反対票が飛んだ。 「いや流石にねーだろ? こんだけバスケやってきて今は受験生だぜ? いつデートすんだよ? っつーかそもそも彼女いんのか?」 「それにメガネくんがそこまで大人だったら……なんか嫌だな……なんでだろう。俺、なんか悲しい」 眼鏡をずらし涙を拭う高宮も反対として、結は纏まった。が、問題があった。 「でもどーやって調べんだ?」 「ちょっと鎌かけりゃわかんじゃね?」 「どーやって?」 「直接訊くか、それかゴリとかミッチーに探り入れるか」 「それが一番無難だな。それでいるっつったら本人とこ行ってまた探ればいいし、知らねっつわれたら、うーん、やっぱ最後は本人か」 「でもゴリにそんなこと訊けるか?」 「そこはあれだろ? 赤信号、みんなで渡れば怖くない」 「じゃあ効率よく三人と一人に別れようぜ? じゃんけんな」 結果、俺がミッチーでヤツらがゴリに決まった。わかり次第ここに戻り、最後は四人でメガネくんちにちゃっかり上がり込もう。当人からすりゃ傍迷惑な計画だ。 折しもマネージャーが戻ってきたのでついでに尋ねた。 「あ、晴子ちゃん、住所教えて」 「いいけど、どうしたの?」 「ちょっとゴリに相談が……」 間もなく部活の時間が終わり、あとは居残り練習となった。早くも自主練習に取り組む部員と休憩に向かう部員がばらばらに散る中、俺たちも揃って腰を上げた。 「じゃ、ゴリんちわかったわけだし、手土産持って行ってくっか」 「ついでにメガネくんちの住所ゴリに訊くの忘れんなよ」 「あ、そうだそれも訊かねーと」 「じゃ、探り次第ここに集合な」 三人が去り、特に急ぐ必要もない俺だけがこの場に残る。部活は終わったようで終わってなくて、恐らくミッチーも休憩に出てったみたいだから、俺も一度ここを去った。この暑い中校門を出て、外の自販機で缶コーヒーを買ってのんびり戻った。 さてどこで飲もう。校庭は野球部にサッカー部、校内は補習だ講習だで、皆夏休みを満喫しない。青春してない。俺は私服の暇人だというのに、皆が自分の何かに打ち込んでる。だから自然と人気のない方に向かった。陽の当たる炎天下は逃れるとして、なんとなく行き着いたのは結局体育館だった。いや、いつもの出入り口とは反対側の、静かな塀と壁との間だった。壁の向こうからはバッシュやボールの音が絶えず聞こえてくるが、日陰となるここは青葉がささめくだけ。そこには当然誰も居らず、一人きりの静かな時間…………となるはずだった。 |
1 | 2次 |