その13【ハロウィンの夜】

神「……それは風の乾いたハロウィンの夜。帰宅して宿題を忘れたことに気付いた信長は、部室の鍵を手に夜の部室へと一人戻った。そして漸く辿り着いたそのドアの前で、鍵の閉まった戸の向こうから不気味な声を聞いたんだ。「ウ……、ンゥ……」っていう、喉を締め付けられるようなもがき苦しむ男の声。戸締りはしたはずだし他に侵入口もないのに、それは確かに人の声だった。そう考えると急に恐れをなした信長はすぐその場を離れようとしたが、振り返る間もなく金縛りにあい、動けなくなってしまった。冷や汗が背筋をつうと滑り、身体から体温が奪われてゆくのをじわじわと感じる。暗い廊下に一人きり、助けを呼ぼうにも声が出ず呼吸すら難しくなる。同時にドアの向こうの呻き声はだんだんと大きくなっていった。まるでその声の主が乗り移るように首を締め付けられる感覚。そしてだんだん、耳元に迫る呻き声……。『このままではきっと殺される……』そう悟った信長に、霊がこう囁いた」
流「zzz…………」
暮「な、なんて……?」
神「それはもう呪い殺すような声で……、『赤木の方が老けてるぞ』
牧「………………」
洋「幽霊っちゃ基本的に根に持つタイプだからな」
暮「怨念ってやつか」
形「よほど気にしてたんだな」
神「こうしてこの話は怪談として海南バスケ部に受け継がれるようになったんだ。『ハロウィンの夜』ってことで」
形「その類の実体験はあまり信じられないがな」
暮「けど清田は本当に体験したんだろ?」
神「らしいですよ。でも結局、翌朝見に行ったら鍵は開いてて、当然中には誰もいませんでした」
暮「どういうこと?戸締りはしたんだろ?」
神「ええ。信長は結局鍵を開けず宿題も忘れ、金縛りが解けるや否やすぐ逃げ帰ったみたいです。けど寝ぼけてた可能性もありますから」
洋「寝ぼけてたにしちゃぁずいぶんはっきりしてんな」
形「赤木という個人名までしっかり覚えてる」
暮「鍵となるのはその鍵だよな。なぜ開いてたのか、開けたのは誰か」
牧「俺だ」
神「え?」
暮「牧が開けたのか?」
牧「ああ」
形「じゃあ牧も霊に遭遇したのか?」
牧「いや」
暮「朝練に一番に着いた牧が鍵を開けたってこと?」
牧「いや、夜だ」
洋「へ?」
形「夜中に何してるんだ……」
牧「いやそれが、部活のあと部室の奥でうっかり眠ってしまったところ、気付けば戸締りされていた」
神「………………」
暮「じゃあその呻き声の正体は……」
牧「出られないことに気付いて暫し弱ったが、時間を持て余すのもなんだと筋トレを始めた」
形「ということは、霊の台詞の正体も……」
牧「ああして気持ちを声に出すことで力に変えている」
神「信長も大袈裟なんだ……」
流「…………?」
暮「でも、牧はどうやって鍵を開けたんだ?」
牧「ああ、後々内側から開けられることに気付いて、そのまま帰った」
神「………………」
形「実に人騒がせな幽霊だ」
洋「ここまでうっかり屋で存在感のある霊もいませんよ」
暮「はは、でも幽霊じゃなくてよかったじゃないか」
神「いや、事実は事実で怖いですよ……」
流「霊なら俺も見た」
洋「湘北でか?」
流「夜一人で練習してる時、何千何万という異様な視線を常に感じた」
暮「ほ、本当か?あそこそんなに霊が……」
形「幽霊も妬む男か」
流「初めは大して気になんなかったのが日を追うごとに倍増して、気が散った」
神「それって見られてるだけ?」
流「たまに恐怖に慄いた悲鳴が響く」
暮「かなり怖いぞ……」
流「怨念の篭った手紙が置いてあったこともある」
形「よほど妬まれてるんだな」
神「どんな内容?」
流「『いつも草葉の陰から見つめています。憑き合ってください』」
神「ん………?」
洋「…………それってよ、親衛隊じゃね?」
流「……?」
洋「恐怖に慄く悲鳴じゃなくてただの黄色い声。んで『草葉の陰から』はただの誤用。そんで憑き合うんじゃなくて付き合ってください」
流「あ…………」
牧「無神経というより無関心というか、無頓着というか」
形「本当どうでもいいんだな」
流「だが一度だけ女じゃねー奴もいた」
洋「そりゃあんだけキャーキャー言われてりゃ、野郎には相当憎まれてるだろうからな」
暮「どんな感じ……?」
流「戸の隙間から女にはねー殺気立った視線を感じて、振り返れば奴がいた」
牧「なんだそれ……」
流「奴は捨て台詞を吐いて帰ってった。今度は退場しねーだのオメーより点を取るだの……」
洋「それ花道だろ」
流「赤い気はしたがちっとぼやけてたから霊かと」
神「それはさ、汗が目に入ったとか疲れてたとかで視界が悪かったからじゃなくて?」
流「ああ」
洋「ああじゃねーよ」
牧「そうそう幽霊など見えてたまるか」
形「牧は見たことないのか?」
牧「あるわけないだろ。トイレ行ってくる」


――牧一時退室。


暮「でも本当にいたらやっぱり怖いよな」
形「感じる程度でも怖いが、金縛りだの実害があると厄介だ」
洋「力で敵わないってんなら対処しようがねーからな」
暮「ああ、幽霊じゃなくて本当よかったよ」
神「まあ確かに、だといいんですけどね………」
形「ど、どういうことだ?」
洋「さっきの話は正体が牧さんでめでたしじゃねーの?」
神「実は、あの後も妙な噂は絶えなくて、なんでも牧さんの近くにいると不気味な声が聞こえてくるとか……」
暮「ど、どんな……?」
神「まるでこの世の終わりを感じさせる低い地鳴りのような……とか、可愛い小動物の鳴き声とか、初老の男の呻き声だとか宇宙の雄叫びとか。人によって違うんですよ」
洋「聞いたことねーな」
形「木暮はあるか?」
暮「まままままさか……」
神「中には取り乱して部をやめる子もいたくらい。本人の知らないところでちょっとした騒ぎになったんです」
流「霊だ」
形「そうか?」
流「除霊が要る」
洋「どーやって?」
流「俺がやる」


――牧戻る。


牧「ただいま」
流「牧さん失礼します」


――牧の前に立った流川は早速除霊した。


牧「…………?」


――除霊すること僅か数秒、牧の前から離れた流川の手には一本のフッキーがあった。そして牧の片頬には何やら除霊したとされるこんな跡が残されていた。




形「こ、これが除霊なのか?」
洋「フッキー一本で出来んだな」
牧「ん……?一体なんなんだ?」
暮「意味深な模様だな。黒子をまじえた点の集まり……果たして何を意味するか……」
神「まさか、こういうこと?」




洋「ハァ……」
暮「はは、これなら俺でもできるな」
形「本当に除霊できたなら大したものだが」


――そこに今、牧の許からまるでこの世の終わりを感じさせる低い地鳴りのような声が響き渡る。


形「き、聞いたか今の……?」
洋「確かに不気味だ」
暮「嘘だろ、こんな音が聞こえるなんて、本当に何か憑いてるのか……」
神「これは騒ぎになるはずだ」
流「除霊が、効かなかった……」
牧「除霊…………?(そういや腹減ったな……)」
形「木暮、急いで祈祷師の許にでも連れてった方がいいぞ」
暮「わ、わわわわかった」
神「向かう途中で何かあったら急いで逃げてくださいね」
洋「最悪殴っても許されますよ」
流「俺の除霊が効かねーなんて……」
牧「だからなんなんだ……?(今日は何食うかな……)」


おわり