※超フィクション、捏造度異常

甘口カリー


 昇り詰めた満月が、ロンドン中の夜の帳を薄ぼんやりと照らす頃。
 ウェストミンスター宮殿の時計塔を中心とした、女王に明日を委ねる街にこぞって見下ろされていた。
 我は両手を袖にしまい、一人道行くその後ろから馬車に追い越される瞬間、ふわっと吹いた夜風に触れ、隣が淋しかったことに気付いた。
「藍猫…………」
 我のただ一人の小妹、我の可愛い藍猫は今、兄の帰りを待っているだろうか。それとももう眠っただろうか。……そんなことを考えていたら、うっかり道を間違えたっぽい。

 一つ野暮用を済ませたあと、我は誰ぞの領する町屋敷へ立ち寄った。
「はい、どなた様でいらっしゃいますか?」
 数回のノックの後、夜の来訪を訝る声は扉の向こうから。まだ社交期の遠い今、家主に管理を託されたその執事が丁寧に応じた。
「我、崑崙の劉と申します」
「劉様でいらっしゃいましたか。これは失礼いたしました。今開けますので、少々お待ちください」
 慌てて開いた扉の奥、暗がりに灯るキャンドルに褐色の執事が浮かび上がる。親しみやすい声が笑顔が我を丁重に迎え入れる。
「悪いねぇこんな遅くに。ちょっと用事があって来たんだけど、これから帰るのだるくなっちゃって」
「それはそれは、どうぞゆっくりなさっていってください。それより、正面の門は閉まっていたはずですが……」
 そこは軽く濁しながら、すんなり通された広間で二人声を潜めた。王子はすでに眠ったことを冒頭に、暗がりで腹の満たし具合を問われ、近況を伺う。キャンドルの灯りを頼りに姿勢のいい背中に連れられ、我は以前も泊まった客室へと案内された。
「今灯りを点けますね」
 そう言って、パッと灯された室内で我を見た執事くん。シンプルな白の寝巻きを纏う、右手を封じたままの執事くんが我に目ざとく指摘する。
「劉様、折角のお召し物に泥がついておりますよ」
 紫色の視線の先、我の着る長袍の裾にびちゃっと泥が散っていた。おそらく先ほど、ここの塀を飛び越えた際にうっかり汚したのだろう。
「綺麗な鶯色が台無しですね。今お召し替えをお持ちします」
 服は洗濯しますから、としたついで入浴を勧められるが、時間と手間を見て遠慮した。間もなく閉まったドアを背に、我は飾りボタンを外しながら着替えを待っていた。
 すると程なく戻った執事くんがドアを開けるなり、顔を真っ赤に慌てて閉めたドアの向こうでも嘆かわしく自分を責める。
「し、しししし失礼いたしましたッ! アアァ、私としたことがノックもせずに入るなど、言語道断……」
 何も男同士、いい大人が裸ごときでとそう思ったが、ここで一抹の疑問が沸いた。さてさてどうして、我はすっかり気を許していたのか。
 他人は皆敵と思え、裏社会で生きるにはもはや人徳に近いその教え。しかしあっさり武装を解いた、意図せず隙を晒した我は青幇を名乗るにあらず、か……。
「それより、着替えちょうだい」
 まあいいやと、開き直る横から躊躇いつつドアが開く。恥じらいの視線を落としたままでそろそろと部屋へ踏み入り、おしぼりと着替えを手渡す間も彼は頬を染めていた。
「それが、準備が行き届いておりませんで、恐縮ですが、今晩は私の着替えをお召しになっていただけますか?」
「ほう、インド式だね」
 受け取った黒のロングクルタ。ふわり仄めく香の薫りが懐かしく、英国にはない、エキゾチックながら上品な薫りに同じ東洋人であることを顧みていた。床しきアジアの風に触れつつ、早速袖を通した我は彼にお茶を申し付けた。

 トン、トン、と間を置くノックにその人柄が滲み出る。失礼します、と台車が運ばれ、部屋の隅で注がれるチャイが優しい音色と香りを放ち、早速ベッドで寛ぐ我にカップが手渡される。
「君の淹れるチャイはすごく落ち着くよ。とても美咆」
 鼻腔を癒す仄かな湯気、クリーム色、生姜の効いたまろやかな味わい。喉を伝う温度までがまるで慈愛に満ちている。
 そして手前で腰を屈める、それはよかった、と微笑む彼の、その後光の柔らかさに心底ほっとしていた。ここ数日で冷えた心にポッと熱が戻った気がした。
「それでは、何かございましたらいつでもお申し付けください」
 一礼のあとで律儀に退がろうとする執事くん。だが、我は先日の目撃者をこのまま帰す気はない。
「ねえ、聞かないのかい? 先日のこと」
「先日……ですか……」
「君には謝っておきたいと思って出向いたんだけど、無用だったかな」
 すると、はっと足を止めた彼はその場で徐々に項垂れ、我に背中を向けたまま鬱々と心境を零し出した。
「先日は、本当にご無礼を致しました。まさかあんな所に出くわすとは思ってなくて。全く存じませんでした、まさか劉様とセバスチャン殿が……」
 そこでくるっと振り返るなり、真顔で詰め寄った彼は縁に腰掛けた我の両肩を掴み、頭上から熱心極まりない形相で真摯に我を諌めてくれる。
「しかし劉様があれほど苦しんでいらしたのに、セバスチャン殿は一体なぜ、なぜ劉様を痛めつけるのですか? 劉様があんなに悲鳴を上げていらしたのに、彼はなぜ、どうしてあんなに執拗に………」
 みるみる膝を落とす彼の、遣る瀬ない愁い顔を目の前に見ていた。あっちの執事くんを心底慕う、我のことも心から案ずる目が切々と訴えかけていた。
「お二人がきちんと交際なさっているなら私は何も申しません。しかしセバスチャン殿がまた劉様を痛めつけるようなことがあれば、私は黙っているわけにはまいりません」
 すっと肩を落とした彼の、我の足下へ嘆く声は微かに濡れていた。
「いやあ、彼の行為は立派な執務というやつだよ。執事くんに悪気はないさ」
「執務……ですか?」
 すっかり首を傾げるこっちの執事くん。無垢で慈悲深い彼にはもう、情事を明かす気はなかった。
「それより、もう英国暮らしは慣れたかい?」
「ええ……まあ。これもシエル様を始めとした皆々様のおかげで、ソーマ様も日々笑顔でおられます。こんなに充実した生活を送れるとは、英国に来て本当に正解でした」
 王子の名前で晴れる顔には安堵するが、彼の言葉は毎度毎度、殊勝すぎて調子が狂う。しかしそれがアグニという、罪人アルシャドから転生した現在のこの姿だ。そんな彼を、我は感興の目で見ていたのかもしれない。気付けば隣に彼を招き、アルコールのない異邦人同士の席を設けていた。
 比較的飾り気の少ない客室で二人ベッドに並んで座り、英国の飯のまずさに始まった話は美味をとことん究める方向へ、終いには中華風カリーあんかけに行き着いた。その間まったく眠気がこない、あまり考え事をしたくないのもあるが、互いの故郷の話をするのもまた楽しかった。
 そうしてすっかり打ち解けたところ、隣の口からその名を聞いた。
「そういえば、最近藍猫様を見かけませんが」
「ああ、それはね……」
 うっかり零れかけた返事を我はすんでのところで呑み込んだ。そしてふざけた条件を一つ、とても憎めないこの男へ。
「そうだね、キスしてくれたら教えてあげる」
 彼をからかいたいという我なりの友情表現……のつもりだが、当の執事くんは案の定、再び顔を紅潮させた。
「えっ? キス……? キ、キキスですか?」
 慌ててどもる彼が面白い。強くてデカくて優しくて、真面目くさったこの男がちょっと可愛く思えてきて、調子に乗った我はつい、煙より軽いこの口をうっかり滑らせてしまった。
「あはは、君最高だねぇ。とても逆さ吊り事件の犯人とは思えないよ」
 事件そのものも不面目だろう。しかし執事である彼にとっては王子に手刀を翳す方がよほど重罪なのかもしれない。例えそそのかされたといえ、結果無傷で済んだといえ、神と崇める主に逆らい、下された命に背く場面を我はしかと覚えている。
「そ……それは…………」
 咄嗟に陰る顔を見て我は素直に謝った。沈む彼を下から覗き、
「ああごめんね。悪気はなかったつもりだけど、気を悪くしたなら謝るよ。本当に――――」
 詫びる途中の唇に、そこに不意打ちの小さなキスがチュッと触れた。
「えー…………?」
 さっきまでキスという単語にすらはにかんでいた、あのうぶな執事くんが我にキスを……?
 まんまと虚を衝かれた我に彼は笑って言った。
「私の傷を抉っていただいた仕返しです。では教えてください、藍猫様と何かあったのですか?」
「えっと、あのねぇ……」
 よもや仕返しを受けるとは。キスしてくれたら教えるなどまたふざけた約束だが、ここで冗談とするのも無粋じゃないか。そう思った我は素直に口を開いた。一驚を振る舞ってくれた彼に嘘を言ってあしらう気もなかった。
「じゃあ君にだけ。……実は最近、ちょっと兄妹喧嘩しちゃったんだよね」
「それは早く仲直りを、微力ながら、私もカーリー女神に祈っておきます」
「はは、ありがと。思えば喧嘩なんて初めてなんだけど、反抗期かな?あまり言うこと聞いてくれなくてさ」
「兄妹喧嘩が初めてとは、察した通り、仲睦まじくいらっしゃるのですね」
 すっかり感心する彼にはまだ言ってなかったか。我たち兄妹に血の繋がりがないことを告げると、彼は意外といった顔で神妙そうに我を見つめた。その薄紫の切なる瞳、淀みない虹彩の奥に微かな色気が透けて見えた。
「我の本当の妹は、昔亡くなってるんだよ。藍猫の兄もね」
 ほどけてしまった唇が、あとは零れるように過去を語った。当時、我は青幇最高幹部の息子で、藍猫は敵対する紅幇の娘だったことを。

 ――当時紅幇は、こと阿片事業に関しては何かと青幇を干渉してきた。勢力をおよそ二分する関係はそれまで支障なくやってきたが、トップ交代で一変、阿片を我が国へ持ち込むための権利書、イコール黒字貿易に群がる外国人を遣い、紅幇は国内随一のマフィアを築こうとした。つまり、母国における阿片事業の独占を目論んでいたのだ。
 そこで彼らが目に付けたのがこの我、幹部の息子である我を人質として攫うこと。それを権利書との引き換えとした外国人が、留守中の我を狙い私有地に忍び込んできた。歳にして十の頃、妹と遊ぶ花畑に突如白人らが現れ、気付いた時にはもう、妹の形がなかった。残った身体のほんの一部、それだけで死を知るには我もまだ幼かった。まるで悪夢を見ている気分で、本当に悪夢のような気もして、我はふと、「胡蝶の夢」を口にしていた。
 茫然とする間もなく、人質となった我は紅幇関係者の家庭へ、見知らぬ母子の暮らす家へ預けられた。しかしそこに思っていた監禁はなく、ひどい拷問も折檻もない。乳を与える母は優しく歳の近い兄も状況を案じ、失望に暮れる我を家族同然に受け入れてくれた。人質であることを忘れそうなほど、血も安らぐ家庭での暖かな生活が待っていた。
 そして、そこで出会ったのがもう一人。無表情に乳を吸う、色白で目のぱっちりとした柔い赤子。あまり泣き声をあげない彼女は当時はまだ他人だった。
 ……ああ、そういえば。……そう。だから、彼女の本名は我しか知らない。
 やがてそこでの生活も慣れた頃。日を見ない生活にはさすがに飽いてきた年の暮れ、そこにも火が放たれた。居場所を突き止めた青幇による人質の救助、同時に紅幇への復讐劇が大きな幕を開けたのだ。とはいっても、幼い我はただ救助される身。赤子を実の妹のようにあやしていた我は瞬く間に燃え盛る地獄から男たちにより保護された。業火に飲まれる家屋を前に、泣き叫ぶ彼女を腕の中に、逃がされはしないだろう兄と母を見殺しにした。仮にも敵対する人間であったことを幼いながら悟っていた。思えば、それが最後に見た彼女の、藍猫の涙だったかもしれない。
 一方、紅幇に乗り込んだメンバーがその親玉を射殺。それで全滅とはいかないがマフィアとして共に名を連ねた時代は終わり。結果として、国内における阿片事業の大半を青幇が牛耳る形となった。そうして我は、無事青幇の袂へ戻ることができた。我の実の妹の名前、藍猫と名付けた赤子を抱き、彼女を養女として迎え入れた。共に青幇の門を潜った日から我は彼女を我が小妹と呼んだ。

「……お二人には、そんな過去がおありだったのですね」
 洗いざらいに打ち明けた後、隣に震える唇を見る。うっ、と詰まる鼻声はまさか……そのまさか。執事くんはすっかり涙していた。
「そんな藍猫様と今、喧嘩して胸を痛める劉様を思うと私も、私もとても、胸が痛みます……」
 ほろほろと頬を伝い落ちる一滴、また流される新たな一滴。その涙を拭ってやれば、生きた血と同じ熱が指先に触れる。
「ついでに、もう一つ聞いてくれる?」
 我は明かす気のなかった話を、今回の件の背景を彼だけに伝えた。
 最近東洋人街に店を構えたある男、彼が藍猫の実の兄だと名乗り出てきたこと。本人は焼死したと聞いていたが、その男が今英国にいて、我の商売を邪魔してくれる。
「それはご本人なのですか?」
「さあね。でも藍猫は信じてなくもないみたい。あの全身包帯姿の男をね。まったく、胡散臭くて仕方ないよ」
 兄だと確認できるものは名前だけ、記憶もないと抜かされては取り付きようがない。今日はその本人に面通しを願ったが、生憎不在だと嘘を言われ渋々踵を返した。
「誰かが流したウチの商品で彼は派手に商売してくれる。まずはその誰かを突き止めるべき、なんだけど、それが少し恐いんだよね……」
 我はまだ、阿片の横流しを働く裏切り者を割り出していない。ただ妹を疑いたくない、それだけの理由で今日まで何もしなかった。所謂兄バカだ。
 先日ファントムハイヴへ伺ったのはあちらの動向を探るため、結果ひどい目にあったところ、折よく居合わせてくれた彼に一言でも……。それでここに寄ったはずだが、本来の目的は疾うに消えた。今は酒の席を囲うようにぐだぐだと愚痴を零したい、そんな気分に酔っていた。
「本当は、その男が偽物だってもう見抜いてるんだよ。だから近々殺っちゃうつもりだけど、そしたらあの娘、どんな顔するかなって、考えちゃって……」
 我は一度、藍猫の実の兄を見殺しにしている。そう口にしたら切なくなって、らしくもなく感傷に浸った。
「劉様は本当に、妹思いの優しいお兄様でいらっしゃいます。だからきっと藍猫様も、どこかでその気持ちを感じ取っているはずです」
 ……いや、我は所詮モルモットの皮を被った卑しいハイエナ。同情に絆されこそしないが、小妹のこととなればこうも胸が痛んでしまう。我の唯一の弱点を、そんな同情という形で痛いほどに抉り出されてしまうとは……

 ……ねえ、もうやめてよ?

 そう顔を見つめて請う我に、尚も愛を説いてくれる彼は案外ヒドイ男だと思った。
「人は皆、どこかで心を鬼にしなければ生きていけません。しかしその根底には必ず愛がある。だから躊躇い、苦しむのです。……もちろんここにも、誰より深い愛が潜んでいらっしゃるのです」
 ここにも……と触れられた我の心臓。左胸に息づく鼓動が彼の掌の内に溶けてしまった。同時に我の弱さを知られた気もして、少し恥ずかしくなってしまった。
「こういうのって、本当は少しずつ溶いてほしいものだよ」
 照れ隠しもままならないほど。
「君とはいい友達になりたい」
 わけあって我は今、ここ英国で最愛の友人を欲していた。彼は快く受け入れてくれた。
「私めでよろしければ、ぜひとも友人とさせてください」
 まるで告白の返事を受け取った気分で、思わず胸躍った我は先程の仕返しを。
「はっ! 劉様……」
「我に返らないで」
 忽ち染まる両頬を押さえ、その唇に軽い口付け。二回、三回と続くキスを我的友人に贈る。
「あと、様ってつけるのやめてね」
 そんなうわごとの内にゆっくりと離れたあと、「劉様、少しお待ち下さい」執事くんはそう言って、この部屋を出て行ってしまった。
 さてやり過ぎたか……。一人残されては不安になるが、戻ってきた彼を見れば杞憂だったと言える。
「劉様、まだ眠くなければ、少々お時間をいただけますか?」
 彼は我の手前に膝を着き、持ってきた篭を床に置いた。中には色鮮やかな塗料、指の先ほどもない装飾品がまさに粒ぞろい。彼は早速小筆を取ると、座ったままの我の前でにっこりと笑って言った。
「新しい友人に、お近付きの印です」
 動かないでとされた我はされるがままに、顔を固定され額になにやら施される。至近距離に真剣な眼差しを見る。
 そして微妙なくすぐったさに耐えること数分。手渡された手鏡に、普段は味気ない我の顔が少し華やいで映った。
「はは、いいねこれ」
 さり気なく上品に額を飾るビンディー。石は深緑色、周囲は金色の洒落た模様が描かれる。洗えば簡単に落ちると言われたが、折角のそれをすぐに消す気はない。またいつでも描いてくれると言うが、我は躊躇った。あえて一つ、異文化交流を持ちかけた。
「そうだ執事くん。今度、服を一着もらってくれないかな? ……そうだね、君の目と同じ色がいい。差し色を紫にした黒の牡丹柄」
「それではその、出来れば……」
「君の王子様のぶんもね」
 照れ臭そうに鼻の下を擦る、その仕草で考えがわかってしまう。
「ではぜひ、私めも劉様にお一つ……」
 そう白い歯をこぼす彼は誠実で、徒に生きる我とはとても対照的。英国暮らし僅かにして、今日できた二人目の友人がまさかのインド人とは、われながら大驚愕だ。

「アグニ、待って」
 おやすみなさいを言う彼を呼び止め、我はこのベッドに誘った。軽い気持ちで添い寝を乞う、甘える我に下心はない。見えない程度にしかない。
 意外と寂しがりなのですね、と言われても気は穏やかで、隣に横たわるアグニに迷わず擦り付いた。すると忽ち紅潮する彼を見てはまたしても胸躍るが、燃えるような性欲とはまた違う、ただ甘いキスをして、執拗に馴れ合って、手を握り返してくれればそれでよかった。
「アグ二」
「劉、さま……」

 自ら仕掛けた最後のキスで我は何時の間にか眠っていたらしい。カリーの匂いで目覚めれば隣に友人はおらず、用意されていた着替えに袖を通し、我を見て驚く王子と共に朝食を囲った。チャイとサラダ、ナンとカリーが食卓を彩るダイニングルームで。王子に倣い素手を遣い、一口食べればほっぺが落ちる。そして食後、重い腰を上げた我はのんびりここを発った。陰気な白い空の下、朗らかな二人に見送られ、栄華を誇る女王の街に見下ろされ……
「さあて、そろそろやらなきゃ……」
 漸く帰路に就いた我は今、友人から貰った紺のロングクルタを纏っている。