※執事室内他、超捏造
爪を剥き出し威嚇する


 最後に通した客室で、奇しくもシーツに染みを見つけた。ファントムハイヴの執事たるもの、このような部屋にお客様をお泊めするなど以ての外。あまつさえ空き室もなく悪天候を憂いた結果、私は今劉様と二人きり、我が端厳たる執事室にいる。
 何か企んでるね、とほくそ笑む劉様はすでに見透かしていたようだが、まあいいよ、と折れる優しさはその顔にない。あるのは好奇心に満ちた微笑のみ、彼はまんまと餌に食い付いたわけだ。

 ドアを開けた瞬間から壁を埋め尽くす本棚。各ジャンル別に詰まった重厚な数台に続き、主に燕尾服の収まるアンティーク・クローゼットは実は…………である。そして中央のチェストの奥に我がプライベートスペース……といってもデスクと椅子、シンプルなベッドのみでそこに彫刻も絵画もない。あくまで執事である私に部屋の装飾などおこがましい。それでいて塵も汚れもない、シワ一つないシーツの上で、腰掛けた劉様は暢気に部屋を見渡していた。
「へえ、あんまり面白くないねぇ」
 物言う無防備な背後から、私は一先ず劉様を捕らえた。漆黒のカーテンの向こうでは依然激しい雷雨が叩きつける中、音もなくにじりより、彼が振り向くより先に素早くベッドへ押し倒す。膝を支点に劉様の腰に跨るまでの間、わずか零.四秒。多少驚いたまでの不敵の態度を眼下に望む。同時にギシリ、ベッドが沈んで軽く跳ね返った。
「……これがファントムハイヴ流のもてなしかい?」
 仰向けに寝た劉様の、不服そうに下がった眉尻が今はとても厭わしい。
「我は客人だよ? こんなことしていいはずがないよねえ。これじゃ布団もふっとんじゃうよ」
 口の達者な強気の男は両手を袖に隠したまま、今日もその眼を閉じたまま。それなりに虚を衝いたつもりだが、眠れる虎はベッドの上でも健在だった。
「お許しは得ております」
 ニッコリ微笑みかける私の、見下ろした顔に悪魔が覗いたかもしれない。
「お許しって、伯爵がかい? 彼こんなこと許しちゃうの?」
「ええ、方法は問わないと承りました」
 ……と応ずる傍から、永々不眠の私の目は今日も鋭く光り続ける。
 両手の潜む太い袖口から、そこに小さな銀色が光るなり、鋭利な針先が私の腹部めがけ今一気に刺しかかってきた。
「劉様、往生際が悪いですね」
 腹へ飛び込む寸前でその手首を掴み上げ、さっさと奪い取った凶器はおそらく医療用の鍼なるもの。
「こんな物騒な物で私を刺そうなんて、酷いじゃありませんか」
 研ぎ澄まされた針先へ、私はハァ、と不貞腐れる。油断の素ぶりもキッと爪を剥き出す動機も気まぐれで結構ですが、悪魔の眼を誤魔化せないことは承知いただきたい。とは言っても、まったく……可愛いものですね。
 私は右の中指から白手袋を牙に引っ掛け抜き取り、彼の胸元に素手を置いた。白い長袍に咲く花ボタンを首から脇への順に倣い、手際よく外し取った。その間、余裕の消えゆく薄い顔立ちを上からよくよく窺い見る。煌々と明る灯火を四方に、一見眠る劉様の上で生地の隙間に素肌を覗かせた。
「力でねじ伏せても、裏社会に生きる貴方には面白味がないでしょうから」
「大して変わらない気もするけどね」
 冷めた苦笑いに抵抗の意志を窺いながら、私は跨った下の腰の長い帯を外し取った。
「私はただ、お客様に見合ったおもてなしをと思いまして」
 劉様に見合った一興をと、ここで得意のアレを披露する。手を回した腰下から、舞龍柄の生地を引き剥がすはあのテーブルクロス引きの如く。大事な中身を零さぬよう、鮮やかに滑り抜けたあとで胡乱な男の身体を知る。
「おや、中も然程変わらない」
 シーツに溶け込む白き絹肌。その片腕に纏う厳しい龍柄。薄い胸板には花ボタンが二つ、恥じらいの色に染まっていた。
 一方では手にした長袍から何やらガチャガチャと零れ落ちる。先程の鍼を始めサイやヌンチャク、楔や判官筆の暗器類が至る所から仕込まれた手品のように次々と床に散らばる。
 ……なるほど。
「これだけ、というわけではなさそうですね」
 どうだかねぇ、ととぼける彼に跨ったままで下のズボンも下ろし、目に映る男の全てを露わにした。
 そこに突如、背後にビカッと稲妻が走り室内が白く光る。そのカーテンの黒をも貫く閃光に、ふと顧みたのはあの無愛想な義妹のこと。
「ところで、こんな時は決まって藍猫様が助けにくる、という展開を案じていたのですが」
 この雨の中待機しているかは定かでないが、恐らく何かしらの合図で窓ガラスを割ってでも兄の危機に駆け付ける。血筋以上の兄妹を思い、私は一通り鼻を利かせていたが……。
「今日はね、呼んでも来ないよ」
 顔をそっと横に背け、伏し目がちに告げる劉様の顔はおそらく初めて見るものだった。
 無防備にしどけなく、浅い肉付きを晒す彼は今一人。ここで無様に腹を返し服従する犬に成り下がるか……と思ったが、程なく持ち上がった顔にすでに先の物憂いはなく、あの忌々しい糸目であっけらかんと薄笑う。
「あれー? なんだい執事くん、まさかうちの小妹に惚れちゃったとか?」
「ええ。あれほど美しい方はまずお見受けしませんので」
「それはそうでもないって顔だね。でも執事くんがどうしてもって言うなら、考えてあげなくもないよ」
 そんな戯言を抜かす余裕はやはりこの瞼の内に、依然見続ける夢の中か。よもや逃れる術のない、置かれた身を承知で眠るこの男に惹かれる理由がわかった気がした。そう、何故なら私は…………
「私は、犬はあまり好きじゃないのです。ですので劉様には、是非猫じゃらしでお相手願いたいのですが……」
 私はゆっくり上体を屈め、傾れ込んだ先の耳許へ囁いた。目の前の耳紋を舌先でなぞり、クッ、と漏れた声をすぐそこに、硬い歯噛みの奥の震えに悪魔の口は思わず綻ぶ。
「嗚呼、遊んで下さるのですね」
 私は重なった下の胸元へ手を伸ばすと、指先に小さな凝りを捉えた。それを軽く親指で潰し、耳紋に沿い舌先を挿入。
「しつ……じくん、マジなんだ……」
「劉様にお許しいただけるとは、たいへん光栄に思います」
 そう、こんなにもあっさり身体を許すとは。
 妹を呼んでも来ない。暗器は服にあったまで。そこに嘘はなかったか、もはや力で適うはずもなく、脱出は無謀と察した彼の賢明な判断といったところか。
「さすが劉様、話がお早い」
 首筋に降りた舌先と、更に下へと這う掌に上気した肌を感じた。
「そんな、やだなぁ……」
 端正な顔が歪んだのは適度に温む彼の雄に触れた途端。僅かに頬を引き攣らせ、不満げな声にも微かに熱が帯び始めていた。
 私はそんな劉様を抱き竦め、逃げ道一つ与えまいと全身を封じた。そして片手に握る彼の性器を強く扱いた。ンゥ……ッ、と悶える声を近くに、固く反り出した形を愛で、濡れ出した先からその全体を包み込む。耳障りな雨音の合間、忙しい水音と不規則な呼吸を絶え間なく聞いた。
「嘘……待って。ハァ、ァ、ンンゥ……」
 後ろのシーツに爪を立て、おぼろ気な声も喘ぎ喘ぎの劉様。そんな扇情的な光景を下にすれば、熱っぽい吐息にすら私の下の血が疼き始める。
「ハァ、ハァダメ、もう、執事くんもぅ…………」
 めいっぱい喉仏を反らした劉様は、苦しそうな声で顔も身体もぐっと強張らせ、ぁ……、と声を漏らした数秒後……。
 吐き出された精液は私の手に、数回に分け熱く迸しった。
「ハァ、酷いよ……」
 横向きにぐったりと腕を放り、火照った吐息でぼやく劉様。私は掌を拭うなり、言い換えると未熟な魂を啜り取るなり、一舐めした指先を下の窪みにあてがった。呼吸を整え仰向けに寝る劉様の、その下肢を下から押し上げ更に上から押さえ付けた。
「……さて。準備も済んだことですのでそろそろ本題に参りましょう」
 宣告して、私を仰ぐ中央の秘部にある成分を塗り込む。
「ングッ……」
 悪魔の唾液に含まれるという、媚薬にも似た清涼感は多少痛みも解すというが、頑なに目をつぶる劉様にまだ効果の程は窺えない。しかしそれはそれとして本題へ。ここからはあくまで執事として与えられた命を優先とする。
「それではまず、風俗店経営者について。彼は元紅幇の者との情報を得ましたが、そちらはご存知ですか?」
 グリグリと指を挿し込みながら、下で悶え続ける劉様に淡々と問い質す。しかしそう易々と口を割る男じゃないのは承知の通り、嗚呼煩わしい。
「ちょっとなんだい? こんなことすれば我が吐くと思ってるの?」
「貴方を泳がせようと思いましたが、泳がないなら捕らえてしまった方が早いと思いまして」
「仕方ないじゃないか、この雨なんだから」
「ええ、そうですね」
 本日数度目となる完璧なる悪魔の笑顔。私はとてもとても朗らかに二本目を挿入した。
「ンンッー! もう酷いなぁ。我は本当に知らないんだよ」
「お怪我をさせるつもりはございませんが、余裕のない貴方を見るのもまた一興ですね」
 綻ぶ顔をそのままに奥を摩って差し上げると、今、ズブズブと拡張を試みる私を下から見据える瞳があった。細い視界を開けた黒眼が漸く、私に貫かれる現実を真正面から受け入れてくれたようだ。
「執事くんはまるで、悪魔だ……」
 劉様はそう言って、続く三本目に悲鳴をあげた。
「いッ、痛い、いぃぃ痛いよ執事くん!」
 ……はてそこまで痛むとは。劉様は手足をバタつかせ、今にも泣きそうなまでに顔を歪めて訴える。 らしい泣き声は些かオーバーな気もするが、私も未知のソコは相当キツイのかもしれない。
「ちょっと、もう無理。ねぇ聞いてる? 痛いよマジで」
 外は依然として激しい雷雨。劉様がいくら声をあげようと、廊下を素通りする程度ではまず誰も気付かないわけだが。執拗な足掻きは無謀なわけだが…………
「セ、セセセセセバスチャン殿ーッ!」
 アグ二さんが、慌ててドアから飛び込んでくるまではそう思っていた。
「セバスチャン殿ぉ! 早まってはなりませぬ!」
 勢いよく開いたドアから私の許へ一直線。私はまんまと羽交い締めにあい、力技で劉様から引き離された。……が、手前の裸体を目にするなりアグニさんは一変する。
「こ、これは…………」
 目を瞠り、はっと息を呑むアグ二さん。同時にふっと緩んだ腕に私の身体は解放された。
「し……しししし失礼いたしました。私その……」
 素早く身だしなみを整える私と、突然の事態に上体を起こした劉様の前で、褐色の肌を真っ赤に染めたアグ二さんは大袈裟に跪いた。
「本当に、ご無礼を致しました……」
 低い声音で切実に、まるでカーリー女神へ祈るよう床にひれ伏し謝罪する。そもそも私がドアの鍵を閉め忘れたことが一番の過失なわけですが……
「しかしアグ二さん、貴方のような方がノックもされないとは。少々驚きですが、ご用件は何でしょう?」
 眉を顰め伺えば、頭を上げたアグ二さんは頬を染めたままで経緯を述べた。
「私はその……セバスチャン殿にカリーパンのレシピをお訊きしたく出向いたのですが、ノックをしてもお返事がなく、中から苦しそうな声が聞こえたので、もしやセバスチャン殿に何かあったのかと……」
 しかし入り口から見ればまるで、馬乗りになった私が人を殺めているように見えた。痛いと悲鳴が聞こえては尚更、しかし間に置いたチェストのせいで裸の劉様までは見えずに……とのことだ。
 数回はしたというノックは音が雷雨に掻き消されたというよりただ私の不注意。何より数時間前、カリーパンの作り方をいつでも教えると言ったのはこの私であり、篤実なアグ二さんに過失などなく、全ては私の失態でしかなかった。
「本当に申し訳ございません。何とお詫びすればよろしいか、見たものは全て水に流しますので……」
 嗚呼、この汚らわしい場面を忘れてくれるとは実に情け深い御方。口止め料は後日、私のポケットマネーから出すとしましょう。
 アグ二さんは項垂れたまま立ち上がるとすぐに踵を返した。その彼を、馴れ馴れしく呼び止めたのは着替えを始めた劉様だった。
「待って、そっちの執事くん」
 はい? と振り向くあちらの執事へ。裸を慎まない彼は悠長に袖を通しながら、喉が渇いたと無遠慮に茶を申し付ける。
 不自然に視線を落としたまま「かしこまりました」とドアが閉まると、二人きりに戻ったここで劉様はニヤリ、ほくそ笑む。奇しくも舞い込んだ助け舟に、中断せざるを得ない状況に再びその目が開けられた。そして振り返った笑顔はとても強かだった。
「あはは、拗ねちゃった?」
「いえ……」
「まあ待ってよ、我だってそんな意地悪な人間じゃない」
 充分な意地悪をした後でそう言って、劉様はまた意地悪をする。私の襟首をぐいと引き寄せ、続くキスの寸前でぴたり止める。瞼の奥から舐めるように、間近に私を見つめた彼は大人しく仮釈放を望んできた。
「少しだけ、泳がせてくれればいいから」
「……わかりました。今日のところは不問と致します」
 許しを得た唇はその後軽く触れただけ。機会を生かせなかった私は己の注意不足を戒めていた。

 やがてお茶が用意された後のこと。今日は任務を諦めた私だが、劉様には一つ尋ねておきたい。アグニさんが来る前からその一点がずっと気になっていた。
「時に劉様、先程はなかなかの声で鳴いておられましたが、まだ痛みますか?」
 媚薬と同成分を含むはずのアレは私の過信だったか。そう考えていたが、私は相手が劉様であることを不覚にも忘れていた。
「ああ、すごいねあれ。執事くん、媚薬なんて何処から仕入れてるんだい?」
 足を組み、優雅にお茶を啜る劉様は今夜ここで休むと言う。我が物顔で寝る支度をして間もなくベッドに横になった。

 ザーザーと降り続く雨は深更に及んだ。私は部屋の灯りを全て消すと、ベッドの上で無防備に眠る、仮にもマフィアの幹部を夜目に見下ろしていた。
 武装を解いた彼のとても窮屈そうな寝相。口から零れる小さな寝息。アグ二さんの訪問をいいことに今悪魔の袂で休む彼は嘘を吐かない、知ったかぶりをしない。手に入れた安眠の場で猫のように丸まる彼はやはり、やはりそうなのだろうか……。
 ゴロゴロと寝返りながらも、両手を隠したままの袖にはよく研がれた爪が潜む。それを気まぐれで剥き出すから、私の胸は焦がれて止まない。惹かれた理由は明確だった。
 しかしこんな調子で私は今回の命を全うできるか。少しばかり臆しては、すやすやと眠る彼の尻に尻尾の存在を探ってみた。